2024年10月22日火曜日

遠野と怪異と希望の星~安楽死制度を議論するための手引き:あとがき

遠野と怪異と希望の星~安楽死制度を議論するための手引き:あとがき

2024年10月22日 12:00

「安楽死を議論するための手引き」も、今回で最終回。
 このあと、全ての原稿を出版社にお送りし、書籍化の作業に入ります。
 これまで長らくお付き合いいただきありがとうございました。また書籍化したら、皆さんにお知らせしますね。

前回の記事はこちら↓

画像
画像
画像

 先日、岩手県の遠野に訪れた際、民話の語り部の方から「座敷わらし」の昔話を伺いました。

「むがす、あったずもな(昔あったそうな)」から始まる座敷わらしの物語は、栄えていた家から座敷わらしが引っ越してしまうと、その家は没落してしまうというお馴染みのもの。

 しかし、その先に続く語り部の言葉がちょっと恐ろしい。
「座敷わらし、っていうのは昔でいうところの『座敷牢』に由来している、という説があって。昔は、障害をもって生まれてきたり精神を病んだりすると、『家の恥』として人様に見せないように座敷牢に閉じ込められていたんです。家族の中でも、他の子どもたちにはその存在を知らされていない、なんてこともあったから、奥の座敷でザワザワと音が鳴ったりして子どもたちが『あれは何の音?』と聞くと、大人たちが『あれは座敷わらしじゃないかな』って答えていたとされているんです」


 囲炉裏ばたで淡々と語る語り部の表情に、うすら寒いものを感じたのは僕だけではなかったはず。

 他にも、遠野といえば河童が有名ですが「遠野の河童は赤い」という説があり、その由来の話の中で、
「遠野の川には昔、口減らしのために生まれたばかりの赤ちゃんを投げ込んでいた、という話があって。そこから出てきた河童だから『赤い子』の姿になった」
という話がまことしやかに語られています。

 僕らは子どものころから、座敷わらしや河童の物語を、まるで「身近にいる(いた)友達」のような感覚で聞いていたところがありますが、その背景にはこのような歴史の闇が隠されていたりします。もちろんそれは東北のいち地方でしか起こっていなかった特殊な事例ではなく、日本全国で散発的に発生していたことだったのでしょう。

 時を経ての現代、そんな残酷な事例はほとんど解消された、と考えるのが普通でしょうか。しかし実際には、座敷わらしや河童といった馴染み深い怪異が姿を消した、というだけに過ぎず、現代社会もまた姿かたちを変えて、新たな怪異を生み出そうとしているのではないでしょうか。

 世界でもトップレベルの自殺率の高さ、全世代的な孤独・孤立の深刻さ、そして慢性的な国民幸福度の低さ・・・。社会の過酷さは変わっても、その社会から排除される人間が生み出され続けているのは昔も今も変わりません。安楽死制度は、そういった方々にとってあたかも「希望の星」のように見える面があるのかもしれません。しかし、このような社会の歪みの中から生み出された仕組みは、やはりその形相を異にするものとして現れてしまうのではないでしょうか。また次の100年後、「むがす、あったずもな」と語られる、令和の怪異となってしまうのは、安楽死制度そのものか、それとも安楽死制度を獲得できなかった社会のあり方か、さあどちらになるでしょうか。。

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像

 日本人にとって、長く「自分が幸せに生きるためには」を考える機会は無かったともいえます。人が生きるための権利、人が人であるための権利、すなわち「人権」とは何かを考え直し、人がこの社会の中で「生きることの表現」を十分に発揮する。そのために僕たちはいま安楽死制度を獲得しても大丈夫な国の姿を、冷静に、建設的に議論していく必要性に迫られているのではないでしょうか。


 何ヶ月かに1度、小さなフォーラムで千篇一律の討論を繰り返したり、テレビで短いドキュメンタリーを流すだけでは世界は変わりません。国民一人一人が、毎日ではなくても「自分たちはどう生きるか」を考え続け、隣に歩く人たちと対話を繰り返すことの積み重ねが、きっと100年後の世界を変えていくでしょう。

 その社会が安楽死制度を獲得している世界なのか、それとも安楽死制度など無くても、取りこぼされる人が無く生きて死んで行ける世界になっているのか。どちらにしても、僕たちが自分で選び取った世界は、胸を張って幸せな社会である、と伝承されていきたいものです。

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像

※この連載は、定期購読マガジン「コトバとコミュニティの実験場」への登録でいつでも全文をご覧いただけます。この機会に、ぜひマガジンへのご登録をお願いします。

ここから先は

424字 10画像

2024年8月2日金曜日

石飛幸三医師に訊く、医療の2つの役割「治す医療、人生を支える医療」

死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方

  • 公開日 | 2020/03/30
  •  
  • 更新日 | 2023/08/03
 

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。

「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?

人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。

今回のtayoriniなる人
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。

1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。

人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?

病院か? 自宅か? それとも介護施設か?

ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。

そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。

実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?

──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?

石飛

原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。

人間が生きていくのに必要な栄養と水分

tayorini by LIFULL介護

死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方

  • 公開日 | 2020/03/30
  •  
  • 更新日 | 2023/08/03
 
  •  
  •  
  •  

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。

「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?

人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。

今回のtayoriniなる人
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。

1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。

人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?

病院か? 自宅か? それとも介護施設か?

ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。

そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。

実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?

──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?

石飛

原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。

人間が生きていくのに必要な栄養と水分は、体重と年齢に応じて計算されます。当然のことながら、働き盛りの人は多く、子どもや高齢者は少なくていいという計算になります。

では、90歳前後の超高齢者についてはどうか? 老いによって体の動きが極端に減っているわけだから、必要な水分やカロリーはもっと少なくていいということになる。ところが、どこまで少なくすればいいのかは、正確にはわかっていないのです。

私が芦花ホームにやってきた2005年当時、ホームでは1日平均1500キロカロリーの栄養と、1400ミリリットルの水分が入居者に与えられていました。

──それでは多すぎるのですか?

石飛

そう、多すぎるのです。

芦花ホームの入所者の約3割には、嚥下障害がありました。口から食べるのがむずかしくなった状態です。こういう方の食事介助をするとき、介護スタッフはノドの奥に食べ物が残っていないか、そろそろ次の一口を入れてもよいか、慎重に時間をかけて行わねばなりません。

しかし、現場は人手が足りず、ゆっくり時間をかける暇はありません。隣では、別の入所者がトイレに行きたいと言い出したりすることもある。その結果、まだ前の食べ物が口の中にあるのに次の食べ物を入れてしまったりして誤嚥性肺炎が起こるのです。

もちろん、介護スタッフには「キチンと食べさせてあげないといけない」という意識があります。食べさせられないのは自分たちの技術が劣っているからという自責の念があるから、自分の判断で食べる量を減らそうとはしません。食べる量が少ないと、家族からクレームが来ることもよくあります。

「肺炎→胃ろう→また肺炎」の悪循環

──誤嚥性肺炎になると、どうなるのですか?

石飛

救急車で病院に行けば、抗生剤や強心剤を使って肺炎は治ります。ところが、嚥下障害そのものは治りませんから、口からものを食べさせようとすると、また誤嚥します。そこで病院は、点滴を続けていつまでも入院させておくわけにはいきませんから、胃ろうを薦めます。

──口からものを食べることを強制的にあきらめさせてしまうわけですね?

石飛

その通り。特に、認知症の人は「そんなことをして欲しくない」とは言えません。

経管栄養には、胃ろうの他に中心静脈栄養

tayorini by LIFULL介護

死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方

  • 公開日 | 2020/03/30
  •  
  • 更新日 | 2023/08/03
 
  •  
  •  
  •  

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。

「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?

人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。

今回のtayoriniなる人
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。

1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。

人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?

病院か? 自宅か? それとも介護施設か?

ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。

そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。

実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?

──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?

石飛

原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。

人間が生きていくのに必要な栄養と水分は、体重と年齢に応じて計算されます。当然のことながら、働き盛りの人は多く、子どもや高齢者は少なくていいという計算になります。

では、90歳前後の超高齢者についてはどうか? 老いによって体の動きが極端に減っているわけだから、必要な水分やカロリーはもっと少なくていいということになる。ところが、どこまで少なくすればいいのかは、正確にはわかっていないのです。

私が芦花ホームにやってきた2005年当時、ホームでは1日平均1500キロカロリーの栄養と、1400ミリリットルの水分が入居者に与えられていました。

──それでは多すぎるのですか?

石飛

そう、多すぎるのです。

芦花ホームの入所者の約3割には、嚥下障害がありました。口から食べるのがむずかしくなった状態です。こういう方の食事介助をするとき、介護スタッフはノドの奥に食べ物が残っていないか、そろそろ次の一口を入れてもよいか、慎重に時間をかけて行わねばなりません。

しかし、現場は人手が足りず、ゆっくり時間をかける暇はありません。隣では、別の入所者がトイレに行きたいと言い出したりすることもある。その結果、まだ前の食べ物が口の中にあるのに次の食べ物を入れてしまったりして誤嚥性肺炎が起こるのです。

もちろん、介護スタッフには「キチンと食べさせてあげないといけない」という意識があります。食べさせられないのは自分たちの技術が劣っているからという自責の念があるから、自分の判断で食べる量を減らそうとはしません。食べる量が少ないと、家族からクレームが来ることもよくあります。

「肺炎→胃ろう→また肺炎」の悪循環

──誤嚥性肺炎になると、どうなるのですか?

石飛

救急車で病院に行けば、抗生剤や強心剤を使って肺炎は治ります。ところが、嚥下障害そのものは治りませんから、口からものを食べさせようとすると、また誤嚥します。そこで病院は、点滴を続けていつまでも入院させておくわけにはいきませんから、胃ろうを薦めます。

──口からものを食べることを強制的にあきらめさせてしまうわけですね?

石飛

その通り。特に、認知症の人は「そんなことをして欲しくない」とは言えません。

経管栄養には、胃ろうの他に中心静脈栄養と経鼻胃管があります。

中心静脈栄養とは、鎖骨の下や頸にある太い静脈からカテーテルを入れて、そこから高カロリーの栄養液を投与する延命治療法です。しかし、体の奥の大静脈にまで管を通すため、感染症を起こしやすく、ひどい場合は敗血症になるリスクがあります。

経鼻胃管は、鼻から入れた管を通じて胃に栄養を入れる方法です。中心静脈栄養のような危険なリスクは少ないけれど、不快感があって、認知症の人が勝手にチューブを抜いてしまうということがよく起こります。

そんな中、1990年代後半になって内視鏡の技術が進歩し、PEG(経皮内視鏡的胃ろう造設術)が開発されました。内視鏡を使って胃の中を照らし、お腹に小さな穴を開けてプラスチックのキットをはめ込むだけで、簡単に胃ろうを造設することができるようになったのです。時間は30分もかかりません。そこで、2000年に入ってから急速に普及しました。

──先生は、安易に胃ろうにすることを著書や講演を通じて批判されていますが、それはなぜですか?

石飛

経管栄養になって口からものを食べることがなくなった人は、口の中、顎、食道などの筋肉が衰えてしまいます。五感への刺激がなくなるため、脳の機能が衰えて認知症のリスクが高まります。

それから、胃ろうにすれば口からノドを食べ物が通っらないので肺炎がなくなると思う人もいるかもしれませんが、そうでもないのです。栄養剤を直接胃に入れても、体がそれを受けつけないと逆流が起こり、それが肺炎を引き起こすんです。

実際、私が芦花ホームに赴任したばかりのころ、数人の胃ろうの方たちが誤嚥性肺炎を繰り返して、病院とホームの間を行ったり来たりしていたことが記録されていました。当時の芦花ホームは、まさに「肺炎製造工場」とも言える悪循環に陥っていたのです。

入所者の家族との出会いから気づきが生まれた

──そんな状況の中で、ホームで静かに最期を看取る「平穏死」を提唱されるまでには数々の試行錯誤があったでしょうね?

石飛

何人もの人たちとの出会いが、少しずつ私に気づきを与えてくれました。

そのひとりは、入所者の家族の方で、8歳年上の姉さん女房を持つ旦那さんでした。認知症になった奥さんを8年間、自宅で介護した後、手に負えなくなってホームに奥さんを預けることにしたのです。

ホームでは定期的に家族会を開いているんですが、その旦那さんはスタッフたちから影で“クレーマー”と呼ばれるほど厳しい意見を言う人でした。

「前に言ったことが改善されてないじゃないか。真面目にやれ!」

と鋭く批判をするのです。かつて労働組合の委員長をしていたそうで、弁の立つ方でもありました。

その奥さんが、入所して6年目に誤嚥性肺炎を起こして入院したんです。

病院では当然のごとく、胃ろうにすることを薦めたわけですが、その旦那さんは断固としてそれを拒否しました。「胃ろうをつけてまで生かすことは、世話になった女房の恩に仇をかえすようなものだ」と言って、そのままホームに帰そうとしたわけです。

ところが、ホームのほうでも、胃ろうでなければ栄養をとることができない奥さんを受け入れるわけにはいかないと、侃々諤々

tayorini by LIFULL介護

死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方

  • 公開日 | 2020/03/30
  •  
  • 更新日 | 2023/08/03
 
  •  
  •  
  •  

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。

「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?

人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。

今回のtayoriniなる人
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。

1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。

人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?

病院か? 自宅か? それとも介護施設か?

ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。

そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。

実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?

──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?

石飛

原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。

人間が生きていくのに必要な栄養と水分は、体重と年齢に応じて計算されます。当然のことながら、働き盛りの人は多く、子どもや高齢者は少なくていいという計算になります。

では、90歳前後の超高齢者についてはどうか? 老いによって体の動きが極端に減っているわけだから、必要な水分やカロリーはもっと少なくていいということになる。ところが、どこまで少なくすればいいのかは、正確にはわかっていないのです。

私が芦花ホームにやってきた2005年当時、ホームでは1日平均1500キロカロリーの栄養と、1400ミリリットルの水分が入居者に与えられていました。

──それでは多すぎるのですか?

石飛

そう、多すぎるのです。

芦花ホームの入所者の約3割には、嚥下障害がありました。口から食べるのがむずかしくなった状態です。こういう方の食事介助をするとき、介護スタッフはノドの奥に食べ物が残っていないか、そろそろ次の一口を入れてもよいか、慎重に時間をかけて行わねばなりません。

しかし、現場は人手が足りず、ゆっくり時間をかける暇はありません。隣では、別の入所者がトイレに行きたいと言い出したりすることもある。その結果、まだ前の食べ物が口の中にあるのに次の食べ物を入れてしまったりして誤嚥性肺炎が起こるのです。

もちろん、介護スタッフには「キチンと食べさせてあげないといけない」という意識があります。食べさせられないのは自分たちの技術が劣っているからという自責の念があるから、自分の判断で食べる量を減らそうとはしません。食べる量が少ないと、家族からクレームが来ることもよくあります。

「肺炎→胃ろう→また肺炎」の悪循環

──誤嚥性肺炎になると、どうなるのですか?

石飛

救急車で病院に行けば、抗生剤や強心剤を使って肺炎は治ります。ところが、嚥下障害そのものは治りませんから、口からものを食べさせようとすると、また誤嚥します。そこで病院は、点滴を続けていつまでも入院させておくわけにはいきませんから、胃ろうを薦めます。

──口からものを食べることを強制的にあきらめさせてしまうわけですね?

石飛

その通り。特に、認知症の人は「そんなことをして欲しくない」とは言えません。

経管栄養には、胃ろうの他に中心静脈栄養と経鼻胃管があります。

中心静脈栄養とは、鎖骨の下や頸にある太い静脈からカテーテルを入れて、そこから高カロリーの栄養液を投与する延命治療法です。しかし、体の奥の大静脈にまで管を通すため、感染症を起こしやすく、ひどい場合は敗血症になるリスクがあります。

経鼻胃管は、鼻から入れた管を通じて胃に栄養を入れる方法です。中心静脈栄養のような危険なリスクは少ないけれど、不快感があって、認知症の人が勝手にチューブを抜いてしまうということがよく起こります。

そんな中、1990年代後半になって内視鏡の技術が進歩し、PEG(経皮内視鏡的胃ろう造設術)が開発されました。内視鏡を使って胃の中を照らし、お腹に小さな穴を開けてプラスチックのキットをはめ込むだけで、簡単に胃ろうを造設することができるようになったのです。時間は30分もかかりません。そこで、2000年に入ってから急速に普及しました。

──先生は、安易に胃ろうにすることを著書や講演を通じて批判されていますが、それはなぜですか?

石飛

経管栄養になって口からものを食べることがなくなった人は、口の中、顎、食道などの筋肉が衰えてしまいます。五感への刺激がなくなるため、脳の機能が衰えて認知症のリスクが高まります。

それから、胃ろうにすれば口からノドを食べ物が通っらないので肺炎がなくなると思う人もいるかもしれませんが、そうでもないのです。栄養剤を直接胃に入れても、体がそれを受けつけないと逆流が起こり、それが肺炎を引き起こすんです。

実際、私が芦花ホームに赴任したばかりのころ、数人の胃ろうの方たちが誤嚥性肺炎を繰り返して、病院とホームの間を行ったり来たりしていたことが記録されていました。当時の芦花ホームは、まさに「肺炎製造工場」とも言える悪循環に陥っていたのです。

入所者の家族との出会いから気づきが生まれた

──そんな状況の中で、ホームで静かに最期を看取る「平穏死」を提唱されるまでには数々の試行錯誤があったでしょうね?

石飛

何人もの人たちとの出会いが、少しずつ私に気づきを与えてくれました。

そのひとりは、入所者の家族の方で、8歳年上の姉さん女房を持つ旦那さんでした。認知症になった奥さんを8年間、自宅で介護した後、手に負えなくなってホームに奥さんを預けることにしたのです。

ホームでは定期的に家族会を開いているんですが、その旦那さんはスタッフたちから影で“クレーマー”と呼ばれるほど厳しい意見を言う人でした。

「前に言ったことが改善されてないじゃないか。真面目にやれ!」

と鋭く批判をするのです。かつて労働組合の委員長をしていたそうで、弁の立つ方でもありました。

その奥さんが、入所して6年目に誤嚥性肺炎を起こして入院したんです。

病院では当然のごとく、胃ろうにすることを薦めたわけですが、その旦那さんは断固としてそれを拒否しました。「胃ろうをつけてまで生かすことは、世話になった女房の恩に仇をかえすようなものだ」と言って、そのままホームに帰そうとしたわけです。

ところが、ホームのほうでも、胃ろうでなければ栄養をとることができない奥さんを受け入れるわけにはいかないと、侃々諤々の議論になりました。

実は真実を伝えていた“クレーマー”の言葉

──自分の仕事に責任感を持っているスタッフだからこそ、胃ろうのない嚥下障害の奥さんの食事介助をすることに戸惑ったのでしょうね。

石飛

その通りです。最終的には私が責任をとるという形で胃ろうをせずに奥さんを退院させることにしたんですが、ホームに帰ってきた日のことは、今でも忘れられません。

どう接していいかわからず、怖々とした表情のスタッフが見守る中、そのクレーマーの旦那さんは奥さんを椅子に座らせ、頬を何度も撫でたあと、歯のない奥さんの口の中を指でマッサージし始めたんです。

すると、チュッ、チュッと奥さんが指を吸う音が聞こえてきました。吸啜(きゅうてつ)反射といって、赤ちゃんがお母さんのおっぱいを吸う原始的な反射はまだ残っていたんですね。

次にその旦那さんは、スタッフが用意したお茶のゼリーをスプーンですくって、奥さんの口の中に入れました。すると、喉仏が動いて「ゴックン」という音とともにそれを飲み込んだのです。

その瞬間、スタッフの間で歓声があがりました。中には感激して、目に涙を浮かべている人もいました。

「女房は認知症で、もう誰のこともわからない。なのに胃ろうをつけて、そんな状態で頑張らせるのが愛情か? 自然にまかせて静かに逝くのを見送るのも愛情じゃないか

旦那さんのその言葉を聞いて、目を開かれる思いがしました。スタッフたちからクレームだと思われていた彼の言葉は、真実を突いていたのです。

人は「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだからもう食べない」のだ

石飛

それからもうひとつ、入所者の家族の方との大事な出会いがありました。

──是非、お聞かせください。

石飛

その人は、2000年に噴火した三宅島から避難して芦花ホームに入所した、85歳の認知症の母親を持つ息子さんです。

入所から5年がたったとき、お母さんが誤嚥され、病院に入院して肺炎の治療をしていたときのこと。病院から三宅島にいる息子さんに電話が入ったのです。

例によって、「お母さんはもう口から食べることはできません。胃ろうをつけましょう」という連絡でした。

母はもう寿命です。胃ろうをつけないでください。

息子さんがそう懇願したので、さすがに胃ろうはつけられませんでしたが、1週間後、ホームを訪ね、病院から退院してきたお母さんの姿を見て、息子さんは愕然とした表情になりました。

経鼻胃管で鼻から管を通され、強制的に生かされているその姿を。そして、私の目の前で、おいおいと声をあげて泣いたのです。

「島ではこんなことはしません。年寄りがものを食べなくなったら、仏間に布団を敷いて、ただ寝かせておきます。無理に食べさせようとせず、枕元に水だけ置いておきます。生きる力が残っていれば、自分で手を伸ばして水を飲みます。それでも、1カ月は生きます。」

息子さんのこの言葉にも、大いに目を開かされました。人は「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだからもう食べない」のです。経管栄養で無理やり食べさせても衰えは進んでいくし、誤嚥性肺炎を起こしたり、栄養過多による体のむくみで本人が苦しむだけ。「三宅島の教え」は、私にそのことを気づかせてくれたのです。

1日600キロカロリーのゼリー食でも1年半生きる

──「死ぬのだからもう食べない」という状態になった人は、その後、どのようになっていくのですか?

石飛

最低限の水分と栄養しかとらないから、体は激しく動かせません。

次第に1日のうち、起きている時間よりも眠っている時間のほうが長くなります。そして、体重も減っていきます。

でも、そうなってからすぐに死がやってくるとは限りません。

芦花ホームで最初に看取りをしたのは、先に述べたクレーマーと呼ばれた旦那さんの8歳年上の奥さんでした。

旦那さんは、奥さんの食事介助のために毎日、朝早くからホームを訪ねてきましたが、奥さんがまだ寝ていれば、無理に起こすようなことはしませんでした。奥さんが自然に目を覚ますのを待って、「お腹がすいた」と言うまで辛抱強く待っていました。

食べさせるものと言えば、1日平均600キロカロリーのゼリー食。ときどきアイスクリームをひとなめしたり、好きな食べ物の匂いをかぐだけの日もありました。

そんな日々が、1年半も続いたのです。人がこんなに少ない栄養で、こんなに長く生きていけるということに、誰もが驚きました。

最後は600キロカロリーも受けつけなくなり、お腹がすいて目を覚ますこともなくなりました。つねに眠っている状態が2週間ほど続き、そのまま静かに息を引き取られました。

その自然な最期に触れて、私は感動しました。苦しみなどひとつもない、燃えつきた炎がすーっと消えていくような終わり方です。それが人間の自然な「平穏死」という死に方なのだと教えられました。

終末期の高齢者は1日が24時間ではなくなる

──芦花ホームではその後、200人を超える方の看取りを行っているそうですね。やはり皆、静かに亡くなられていくのですか?

石飛

ああ、この人もそうか、この人もそうか、と実感させられています。

最近になって、「終末期の高齢者は1日が24時間ではなくなる」ということにも気づかされました。

どういうことかというと、1日中眠り続けていた人が、翌日には起きている時間が長くなる、あるいは最初の2日間は眠り続け、その後の2日間は起きている時間が割合長くなるという具合に独特なリズムが出てくるのです。

つまり、24時間睡眠の人は48時間で「1日」が流れていく。一方、48時間睡眠の人はその倍の96時間が「1日」なんです。これまでいちばん長い人では、3日間サイクルで眠ったり起きたりを繰り返していた人もいました。

まるで、空高く飛んでいたグライダーが陸に着陸するとき、角度をゆるくして地面に接していくようなものですね。降下のタイミングが、高度が下がっていくのに応じてゆるやかになっていくのです。

一度、この世に生まれたものは、死んでいくのが自然の摂理です。その摂理に逆らって、いつまでも生き続けることはできません。けれども、そこには苦しみなどひとつもなく、静かに穏やかに過ぎていきます。それこそまさに、私が考える「平穏死」です。

──ありがとうございます。

次回のインタビューでは、ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)を出版することになったいきさつや、石飛先生ご自身の理想的な死に方について、お話をうかがっていきましょう。


https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/thanatology/003/



石飛幸三医師に訊く、医療の2つの役割「治す医療、人生を支える医療」

 

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。

「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?

人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。

今回のtayoriniなる人
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医
石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。

『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、特別養護老人ホーム芦花ホームの常勤医をつとめる石飛幸三医師。

前編では先生が芦花ホームに赴任後、施設が「誤嚥性肺炎製造工場」と化す中、入所者の家族との出会いを経て「平穏死」の大切さに気づいた話をうかがった。

その様子を描いた著書はベストセラーになったが、後編では出版後の反響について話を聞くことにしよう。

ここで始まっていることは、全国に普遍化すべきです

──先生が『「平穏死」のすすめ』(講談社)を書くことになったきっかけは何でしょう?

石飛

芦花ホームでは、定期的に家族の方と職員たちが意見交換をする家族会を開いていることはすでに述べましたが、その場を借りて、看取りに関する私の考えを共有する機会を設けるようになりました。

ホワイトボードに「から食べられなくなったらどうしますか」と書いて、親や夫、妻にどこまで医療を受けさせるべきかを考えてもらうことにしたのです。

私がホームの常勤医になって以降、救急車を呼ぶ回数は3分の1に減り、誤嚥性肺炎になる方も順調に減っていたので、次なるステップのつもりでした。

そんな取り組みを始めた矢先、新任の施設長が赴任してきました。

ところが、この新施設長、第一印象が最悪でね。体もデカければ態度もデカい。口数の少ないむっつりタイプで、私が苦手とする性格の人に見えました。

そんな施設長が赴任して2カ月後、私を呼び止めて話しかけてきたのです。

「先生、ここで始まっていることは、全国に普遍化すべきです」と。

実はこの新施設長、別の施設に預けていたお母さんが誤嚥性肺炎になり、胃ろうをするべきかどうか悩んでいたそうで、芦花ホームで行われていた家族会での様子を興味深く観察していたようなんです。私は見かけだけで彼の人柄を判断していたわけで、そのことを大いに反省させられましたよ。

施設長の第一の提案が、胃ろうについてのシンポジウムを開くこと。区民ホールを借りて、倫理学者や弁護士、新聞記者などを交えての意見交換を行うことになりました。

その壇上でのことです。私は調子に乗って、「ここで起きていることを本に書きます」と宣言していました。これが、『「平穏死」のすすめ』を書くことになったきっかけです。

最初は出版を断られた

──『「平穏死」のすすめ』は発売と同時に大反響を呼び、たちまちベストセラーになりました。そのことを先生は予想していましたか?

石飛

いや、まったくの予想外でした。というのも、苦労して書いた最初の原稿は、妻から「中学生の作文みたい」と酷評されたし、講談社の編集長にも「出版界は厳しいのです。慈善事業で芦花ホームを宣伝するようなことはできません」と出版を断られていたからです。

その後、夏休みを返上して全面改稿して、やっとのことで本を出してもらうことになった。だから、自分ではそう期待をしていませんでした。

 その一方で、芦花ホームの家族会での意見交換を通じて、実に多くの方が身内を看取ることについて悩みを抱えていたことも頭にありました。

終末期の高齢者への無遠慮な医療の介入が本人をかえって苦しませてしまうこと、自然にまかせた静かで穏やかな看取りが重要であること、それらのことは、すでに多くの人が本音では気づいていて、たまたま私が少し早いタイミングで口を開いた。それが大きな反響につながったということなのかもしれません。

社会の意識は少しずつ変わっていった

──具体的には、どんな反響がありましたか?

石飛

講演の依頼があれば、できる限り応えてきましたが、中でも胃ろうの造設を積極的に進めている学会から「来てほしい」と頼まれたのには驚きましたね。

もちろん、依頼を引き受けて、敵陣に乗りこむような気持ちで講演の舞台に立ちましたよ。案の定、胃ろうの機具を開発した医薬品会社の人たちがズラリと並んでいて、口では何にも言わないけど、ブスッとした顔をしていましたよ。

中でも最前列にいた女医さんは、講演後の質問タイムで私に感情をぶつけてきました。

「今まで私は胃ろうを造設することで、多くの患者さんや家族の方に感謝されてきました。そのことを知らないで、胃ろうを批判するのですか」と目に涙をためて訴えられた。私はあわててこう説明しました。

「いや、私は胃ろうそのものが問題なのだと主張しているわけではありません。老衰が進んで、もはや栄養をそれほど必要としなくなった人に対して機械的に栄養を与え続けることを問題にしているんです」と。

実際、胃ろうをつけたあと、口腔リハビリをして再び口から食べられるようになる方が多くいることも事実ですからね。

すぐに納得してもらうわけにはいかなかったけど、その学会からはその後も講演の依頼が来て、3回目に行ったときには、「過度な胃ろうは控えるべき」という意見が私以外の発言者からも聞かれるようになりました。

──2014年の診療報酬の見直しでは、胃ろう手術の診療報酬が4割削減になり、安易な胃ろう造設を抑制する動きになりましたね。

石飛

そう、時間はかかったけれど、社会の意識は少しずつ変わっていきました。

本の出版をきっかけに始まった「看取りプロジェクト」

──芦花ホームのスタッフの人たちも、先生の本を熱心に読んでくれたそうですね?

石飛

介護施設では、看護師と介護士をはじめ、理学療法士や管理栄養士、歯科衛生士など、さまざまな職種の人たちが働いています。

そのほとんどが医療の現場で働いてきた人たちですから、「終末期の高齢者に過度な医療は控えるべきだ」という私の主張を受け入れにくいと感じる人もいたはずです。

そこで、内外の調整を担当する生活相談員と看護主任が各職種の責任者を集め、「看取りプロジェクト」と名づけた勉強会を始めたんです。

芦花ホームでは2007年にホームで亡くなる方が8割に及び、現在もその傾向が続いていますが、看取りに立ち会ったスタッフの中には、少し前まで一緒に過ごした入所者の最期にひどく動揺してしまう人もいました。

そこで、お互いの経験を共有し、職種間の連携をスムーズにするための「看取りプロジェクト」です。ときにはスタッフだけでなく、家族の方々も交えて看取りについて学ぶようになりました。

看取りについて、悔いのない決断をするためには?

──看取りを行うにあたって、家族との話し合いはとても重要だと思いますが、むずかしいと感じることはありますか?

石飛

そんなこと、何度もありますよ。

むしろ、何の葛藤もなく話が進むケースなどないと言ってもよいでしょう。

食べるペースが落ちていき、眠っている時間が長くなって、看取りが予想される状態になったとき、介護士、看護師、相談員などのスタッフたちは家族の方々との面談を繰り返し行い、安らかな最期を迎えるにはどうすればよいのかを話し合います。

延命治療が必要ないと思われるケースでも、「手段があるなら、手を尽くして欲しい。少しでも長生きして欲しい」と考えてしまうのが人の気持ちです。

「それは本人のためにならないことだ」と、あえて強い言葉で意見を述べて、相手を泣かせてしまうこともある。

そんな憎まれ役を買って出るのはたいていの場合、私です。一緒にいる看護主任や相談員は、泣き出してしまった娘さんを両手で抱いてなだめる慰め役をつとめます。

だから、家族の方々との面談は1対1ではなく、チームを組んで行うことが重要です。

──家族同士で意見がぶつかることもありますよね。そういうとき、悔いが残らないようにするにはどうしたらよいですか?

石飛

意見がまとまるまで、何度も話し合うことが大切ですね。

1回でダメなら、2回、3回と繰り返す。本音をぶつけ合ってケンカするのもいい。

悔いが残ってしまうのは、そういう話し合いを避けたまま、なし崩し的に最期をむかえてしまうときです。

看取りを終えたとき、「あのときはたくさんケンカをしたけど、それが精いっぱいだった」とふり返ることができるほうが、悔いは少ないでしょう。

日々を感謝して過ごすことの幸せ

──ところで、先生は今年で85歳になりますね。ご自身で老いを実感することはありますか?

石飛

それこそ、毎日のように実感していますよ。

そもそも大学時代は陸上部のキャプテンをしていましたから、体力には自信のあるほうでしたが、還暦を過ぎたころからめっきり走れなくなりました。試しに近所の公園を走ってみても、すぐに息が上がってしまう。物忘れをするのも日常茶飯事です。

ただ、老いることについて、ネガティブな感情は持っていません。朝起きて、「今日は腰が痛くない。調子がいいな」と感じる日は、それだけで儲けた気になりますからね。

もし、老いてよかったなと思うことがあるとすれば、そんな風に日々感謝して生きる幸せを知ったことです。

芦花ホームでの経験は、医療には2つの役割があることを私に教えてくれました。ひとつは、人をケガや病気から救うための医療。そしてもうひとつは、最期まで楽しく生きることを支えるための医療です。

外科医として過ごした40数年は、前者の側面でしか医療を見ていませんでした。「自分は多くの患者の命を救ってきた」という自負がある反面、「死を克服することができない以上、傷んだ部品をなおす修理屋に過ぎないのではないか」という迷いがつねにありました。

ところが、芦花ホームに来たおかげで、人生を支える医療を知ることができた。このことには心から感謝をしています。

もちろん、老いがもっと進めば、芦花ホームの仕事もできなくなるでしょう。それはあらがいようのないこと。私もまた、死に確実に近づいています。

最近、こんなことがありました。本多智康くんという、若い医師が私のもとを訪ねてきたんです。話を聞けば、サラリーマンを経て医師になった彼は、研修先で高齢者医療の悲惨さにショックを受けたそうです。そんなときに私の本を読んで、芦花ホームと同じような老人ホームの常勤医になることを決意したそうです。

まだ30代という若さで、「治す医療」から医師としてのキャリアを始めるのではなく、「人生を支える医療」に就いたわけです。

冗談のつもりで、「お前さん、その若さで都落ちするのは早すぎるだろ」と言ったら、「男が一生の仕事と決めたことはやりとげるべきだと、先生は自分の本に書いているじゃないですか」と反論されました。本多くんとはその後もときどき会って、酒を酌み交わしていますが、とても楽しい時間です。こういう人の存在を知ると、「私なんかいつ引退してもいい」と思うし、「若い者に負けずにいつまでも頑張りたい」と励まされたりもする。ありがたいことですね。

結局のところ、最期の一瞬まで感謝の気持ちを持って過ごすこと、それこそが私にとって理想の「平穏死」です。


https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/thanatology/004/

2024年7月3日水曜日

安楽死報道のあり方~安楽死制度を議論するための手引き16

見出し画像

安楽死報道のあり方~安楽死制度を議論するための手引き16

2024年6月8日 08:30

論点:この日本において「国民的議論」は可能なのか

▼前回記事


 先日、安楽死に関するドキュメンタリー番組がフジテレビで放送されていました。

 子宮頸がんから全身に転移をし、視野や平衡感覚なども失われた40代の女性。止まらない咳や、痛みに耐えるシーンもそのまま映されていました。
 そして、彼女の夫と二人の娘が登場し、夫との出会いや娘さんが誕生してからの家族との交流が描かれていきます。その後、病気を発症してから、安楽死をめぐる家族の中でのやり取り、そして最後はスイスに夫婦で赴いて、オンラインの向こう側では娘さんたちが見守る中、息を引き取るまでの様子、そしてその後の家族の生活・・・。

 スイスでの安楽死を取材した報道は、ここ最近では年に1~2回程度、どこかの局で放送されています。
 例えば、今回の放送と同じディレクターが手がけた「最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは」は2023年の放送。

 TBSでの報道特集は2024年。

またNHKが手がけた、安楽死の特集は2019年の放送でした。

 その他にも15分~20分くらいの特集番組という形では、いくつか放送があったと記憶しています。

 では、こういった繰り返される報道を通じて、安楽死制度の議論は「前に進んでいる」と言えるでしょうか?

安楽死に関する報道に何を期待するか

 今回のフジテレビのドキュメンタリーは、本人の考えや生き方、家族の思いを淡々と流すに務め、それを良いとも悪いとも評価しない番組の作り方をしているように見受けられました。
 一方で、これまでの番組の中では、安楽死を望んだ方と対にするように、安楽死に反対する方を登場させ、まるで「両論併記」といった構成での放送も多くありました。また、番組内でコメンテーターなどが登場し、安楽死制度の説明から、世界の情勢までを解説しながら、スタジオ内で賛否両論のディスカッションを行うといったものもありました。

 僕個人としては、フジテレビの放送のように、ただあるがままの姿を報道する形の方が望ましいように思います。それは、個々人の人生を「正しい」とか「間違っている」といった軸で評価するのが、安楽死に関する議論を進めていくうえで害になりうると考えるからです。
 この連載の中では、「安楽死制度が必要な人は、少数ではあるが存在する」という前提で議論を進めてきました。しかし一方で、大多数の人にとっては安楽死制度は必要ないですし、僕ら医師としては、「本来は安楽死制度が必要なかった人」が安楽死で死に至ることを防ぐ使命があります。そういった構造になっているところに、一人の人生を取り上げてその「評価」をするのは、大多数の論理で一人の生き方を潰す行為につながりかねず、安楽死制度の前提として必要な「個人の尊重」に反する流れを生み出してしまいます。

 ではこれからも、安楽死を望む方々の声や生き方を、そのまま放送し続ければ、安楽死制度がある未来へ向けて、議論が熟成していくのかと言われれば、それも疑問です。
 そもそも、いまの日本において「国民的議論」を行うことなど可能なのでしょうか?
 一昔前の、「お茶の間で家族全員が食卓を囲みながらテレビを見る」といった光景が失われ、多様性が尊重されつつある今、報道によって国民全体をひとつの方向に向けての議論を巻き起こせるほどのパワーは期待できないでしょう。
 少なくとも、ドキュメンタリーを年に1~2回流し続けるだけでは、その時その時はSNSなどでも話題に挙がるものの、単に一時の花火で終わるだけ・・・。
 次の報道番組が作られるときには、また熱量ゼロからのスタート。その繰り返し。

 いまの日本において、本当に「国民的議論」を醸成していきたいのであれば、報道にも長期的な戦略が求められるのでしょう。
 しかも、安楽死制度はセンシティブな話題であるため、「賛成」「反対」どちらの色を濃くして報道したとしても批判を浴びる可能性があります。特に「賛成」の側に立ちすぎてしまうと、最近のポリコレの風潮によって番組自体が潰されてしまう可能性もあるかもしれません。

 では、どのような役割を報道に期待できるでしょう?
 僕であれば「今現在、安楽死制度の議論はここまで来ている」といったニュースを、10分ほどで良いから3~4か月ごとの定期的に報道する、といった戦略を考えます(実現可能性については置いておいて)。つまり、報道に「マイルストーン」の役割を担ってもらうということ。

「いま世界はこういった現状になっている」
「日本においてはこの部分は議論が進んでいるが、この点については停滞している」
「この論点における賛成・反対のこれまでの意見は以下の通りだが、現在はこの意見の中でこの部分を中心に進んでいる」
などについて、SNSや有識者の意見をまとめながら細かく発表していくということ。こういったマイルストーンがあれば、国民にとっては議論全体がどういった流れで進んでいるのかが分かりやすいうえに、1時間番組を見るでもなく、朝の10分間報道の中で定期的に話題に触れさせられることで、興味関心を持ってくれる方も増えていく。少なくとも、毎回毎回「いま初めて安楽死制度の議論が始まりました」といった雰囲気から番組が作られることも無くなるでしょう(もちろん、途中から興味を持ち始めた方のために、議論の歴史を振り返る番組も時々は必要でしょうが)。
 しかも、この報道の仕方であれば「いまここまで議論が進んでいます」を示し続けるだけなので、特に賛成・反対どちらにも加担することなく中立な立場で報道を続けることができます。

 こういった報道を可能にするためにも、安楽死制度に関する世界的な議論の論点整理は大事なのです。一度にたくさんの論点を取り扱おうとするから、議論の中身は薄まり、その内容を深掘りするでもなく番組の時間を使い切ってしまいます。
 この連載の中でずっと取り上げてきましたが、「患者の権利法」「余命要件」「疾病要件」「緩和ケアによる代替可能性」「すべり坂」「子どもの安楽死」「認知症の安楽死」などなど、それぞれひとつの論点だけをとってみても、数時間は議論できる内容です。それを雑に「日本における安楽死の必要性を考える1時間」などと括ってしまうから、ただでさえ環境的に議論が起こりにくくなっている中で、国民的議論に発展する可能性を削いでしまうのです。

 ただ、問題点があるとすると安楽死制度には「論壇」を象徴する場が明確に存在しないことでしょう。政治の場で俎上にのぼるような議題でもなく、また学会のような機関もありません。定期的にフォーラムを開催したり機関誌を発行するような全国的な組織でもあれば別ですが、そういったものも存在しません。つまり「いま国民的議論はここまで進んでいます」といった根拠を見つけに行くのがかなり難しいということです。

 ただ、国民的議論が発生しないのは、安楽死制度反対派にとって有利に働きます。「まだ議論は始まってもいない」「制度化するには時期尚早だ」などと口実を作ることがいくらでもできますからね。ただ黙っているだけで反対派が有利になっていく・・・この状況は、フェアとは言えませんよね。せめて、論壇を発生させる、議論の場を設けるといったことで機会を均等化させなければ、建設的な議論に進みようもありません。

 インターネットの普及に伴い、その影響力が衰えたと言われるテレビや新聞ですが、まだまだ大きな力をもっていることは事実です。僕は、報道機関が協力すれば、こういった「議論のプラットフォーム」を作れるのではないかと期待しています。

2024年4月16日火曜日

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

2024年4月15日 20:38

論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか

▼前回記事

「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳にすることがあります。
 確かに、日本においては時々過激な人が過激なことを言って炎上して終わるくらいなもので、安楽死制度構築に関する建設的な議論は進んでいるとは言えないかもしれません。そもそも、(積極的)安楽死制度どころか、終末期において治療を差し控えていく、いわゆる尊厳死(消極的安楽死)についてすら、法整備が進んでいるとは言い難い状況が何十年も続いています。
「各種ガイドラインに従い、手順を踏んで関係者と話し合いさえしていけば、現在の制度内でも尊厳死(消極的安楽死)は可能である」
と、一部の人は言うかもしれませんが、「法的根拠が無い」ということは「医療業界の常識になり得ない」ということでもあります。
 前回の記事でも話題になった、「京都嘱託殺人事件」においても、亡くなられたAさんは生前、胃瘻からの栄養療法の中止を求めたにも関わらず、医師がその願いを聞き入れることは無かったとされています。医師としての「常識」として、仮にそれが患者本人の意思だとしても、明らかに生命を縮める可能性が高い行為に手を貸すことへは強い拒否感が生まれるのです。しかし一方で、胃瘻からの栄養療法も含む「医療行為」はそもそも、患者と医師との契約に基づいて実行されるべきものですから、患者の意思を無視して医療行為を続けることはできないはずなのです。しかしそれでも「慣例」や「常識」に従って、とにかく命を延ばす治療が最優先される・・・「法的根拠が無い」とはこういうことなのです。

 では、このような現状において、安楽死制度の議論を呼びかけていっても無駄なのでしょうか?
 いわゆる「賛成派」がいくらSNSなどで呼びかけても、「反対派」もまた声をあげ続けますし、一歩も先に進まない感のある現状においては、いくら活動を続けたところで徒労に過ぎないのでは・・・と考えてしまうのも頷けます。

 しかし、僕はこういった議論を呼びかけていくことは、決して無駄ではないと考えています。
 それは、「呼びかけを行わない限り、分母が増えない」と考えているからです。

 例えばある村で、安楽死制度に興味がある人が200人いるとしましょう。そのうち50人は賛成派、また一方で反対派も50人。そして残りの100人は、「興味はあるけどどっちつかずの人」です。ここで、もしこの村で安楽死制度を実現するために必要な賛成票が「100票」必要だとしたら、あなたならどうするでしょうか?
※なんだか変なルールですが思考実験なのでお付き合いください。

 まず第一に考えるのは、反対派と議論して彼ら彼女らを論破することです。確かに、完膚なきまでに論理で勝利すれば、50人のうち何名かは、賛成派に転じてくれるかもしれませんね。ただ、論破した=賛成票を投じるとは限らない。逆に論破されたことで意固地になってしまう可能性もあります。つまり、この反対派50名を賛成派に転じさせることは、労力の割に合わないほど難しいのです。
 次に、どっちつかずの100人を懐柔することを考えます。これも賛成派なら、丁寧に安楽死制度の必要性を説いたり、感情に訴えかけることによって、100人のうち40人は賛成票を投じてくれる側になってくれるかもしれません。しかし一方で、反対派だって同じことを考えて、同じように懐柔を図ります。結果として、100人のうち40人が反対票を投じることになれば、賛成票は90、反対票も90、どっちつかずのまま20(投票しない)となって、安楽死制度は成立しませんでした、という結果になるのです。
 つまり、ここで言いたいことは、それだけ「他人の意見を覆すことは難しい」ということです。

 だとしたら、どうするか。
 ここで、この村のルールを思い出してください。この安楽死制度が成立するために必要な賛成票は「100票」です。これは、「過半数」という意味ではなく、絶対的に「100票」集めれば成立する、というルールなのですね。

 そして先ほどの描写では、この村には「本来いるはずの人」がカウントされていませんよね?
 そう、実は「安楽死制度なんて知らない/興味がない人」がいるはずなんです。それが例えば、先ほどの200人に加えて1000人いるとしましょう。
 この状況であれば、「安楽死制度なんて知らない/興味がない人」に対して、「安楽死制度を知ってもらう/興味を持ってもらう」ほうが、実は簡単なのです。安楽死制度に関するキャンペーンを打つ、CMを打つ、ポスターを貼る、SNSを議論で埋め尽くす・・・などなど、もちろん労力やお金はかかりますが、それがムーブメントとなることで「興味関心」を人の心に灯すことは、それほど難しいことではないのです。
 では、この1000人のうち、キャンペーンなどによって200人が興味をもって、票を投じてみようかなに変化したとします。その方々は当然のように、個々に「賛成」「反対」「どっちでも良い」にまた分かれるわけですが、その時に最初のように賛成50人、反対50人、どっちでも良い100人となるとしたらどうですか?
 結果的に、村人1200人のうち、投票した人は200人。賛成は100、反対も100、となって安楽死制度成立に必要な賛成票を満たしました!・・・となります(残りの1000人のうち興味あったけどどちらでも良かった人200人、最後まで無関心の人が800人)。
「こんなこと、現実では起こり得ないじゃん」
と言ってしまうのは簡単ですが、本当に「起こり得ない」ですか?現実の日本の選挙でも、現在同じことが起きていませんか?例えば最近の国政選挙での投票率は大体50~60%ほどですが、そのうちの票の過半数を占めた党が与党となり国政を担うわけなので、実質、国民の意見の30%くらいしか政治には反映されていないわけです。つまり、国において物事が決まるためには別に過半数の意見を押さえる必要など全くなく「ある程度の数の声が社会で上がっている」だけで十分なのです。問題は、その「閾値」がどれくらいなのか、という点だけです。
 そう考えていくと、実は安楽死制度の議論は、反対派を賛成派に転じさせるような議論をしていくのではなく、「裾野を広げる」キャンペーンをしていった方が効率が良いことになります。キャンペーンによって興味関心を持つ人が増えさえすれば、その人たちは自由意志によって賛成・反対と分かれていきますが、結果的に「賛成の声」の絶対数が高まることで、社会は変わっていくのです。

 ちなみにこのロジックは、他の様々な場面で応用できます。

 例えば、「良い写真を撮りたい」と言っているのに、1日に写真を1枚しか撮らないとしたら、1日に1000枚写真を撮る人にかなうはずがありません。それは単純に「たくさん撮った方が写真がウマくなる」だけではなく、絶対数を高めることで、その中に「良い写真」が含まれる確率を高めるということです。
 ビジネスでも「成功したい」と思うのであれば、とにかくチャレンジしてみる母数が増えなければ成功者も出ません。だとしたら、完璧なビジネスプランが組みあがるまでスタートを遅らせ続けるのではなく、失敗したとしても何度でも気軽に挑戦できる、という文化がある方が、結果的に成功する人たちは増えていくはずです。

 このように「母数を増やす」アプローチは、「質を高める」アプローチと時に対になって語られることが多いですが、僕は活動においてはまず「母数を増やすアプローチ」こそ重要と考えています。
 安楽死制度の議論を行う上でも、この「母数を増やす」ことを意識して、あまり苦しそうに議論したり、攻撃的な議論を繰り返したりしないほうが、結果的に安楽死制度が具体化するのを早めると、僕は思っています。

 そして、そうやって増やした母数の方々が、より建設的な議論を展開できて、時間と労力を無駄にしないために、僕はこのシリーズをこれまで書いてきたわけです。つまり、写真で例えるなら1000枚中1枚の良い写真しか得られなかったのを、3枚、4枚と増やしていけるためのアプローチです。これからも、このシリーズを読んでいただければ嬉しいです。


https://note.com/tnishi1/n/n5a712e933770?sub_rt=share_h

2024年3月13日水曜日

それは実質安楽死の容認なのでは~安楽死制度を議論するための手引き14

それは実質安楽死の容認なのでは~安楽死制度を議論するための手引き14

2024年3月7日 00:39

論点:京都地裁判決は実質的な安楽死の容認になり得るか

▼前回記事


 2023年3月5日、難病のALSを患う京都市の女性を、本人からの依頼で殺害した罪などに問われ無罪を主張していた医師に対し、京都地方裁判所は「短時間で軽々しく犯行に及び、生命軽視の姿勢は顕著で強い非難に値する」と述べて、懲役18年の判決を下しました。

 被告となった医師は無罪を主張していたそうですが、この判決の内容自体は、現行法を鑑みて、犯罪性を否定できる要素はなく、量刑の軽重は別として有罪は免れ得ないものでしょう。
 被告は控訴するようですが、大勢は決したと考えて良いかと思います。

 僕たちが論点とすべきはその先、今回の判決で京都地裁が示した「患者などから嘱託を受けて殺害に及んだ場合に、社会的相当性が認められ、嘱託殺人の罪に問うべきでない事案があり、それに必要な要件」についてです。

 以下、その要件についてNHKの記事から引用します。

【前提となる状況】
まず前提として、
▼病状による苦痛などの除去や緩和のためにほかに取るべき手段がなく、
かつ、
▼患者がみずからの置かれた状況を正しく認識した上で、みずからの命を絶つことを真摯に希望するような場合としました。
【要件1 症状と他の手段】
そのうえで、医療従事者は、
▼医学的に行うべき治療や検査等を尽くし、ほかの医師らの意見なども求め患者の症状をそれまでの経過なども踏まえて診察し、死期が迫るなど現在の医学では改善不可能な症状があること、
▼それによる苦痛などの除去や緩和のためにほかに取るべき手段がないことなどを慎重に判断するとしました。
【要件2 意思の確認】
さらに
▼その診察や判断をもとに、患者に対して、患者の現在の症状や予後を含めた見込み、取り得る選択肢の有無などについて可能な限り説明を尽くし、それらの正しい認識に基づいた患者の意思を確認するほか、
▼患者の意思をよく知る近親者や関係者などの意見も参考に、患者の意思が真摯なものであるかその変更の可能性の有無を慎重に見極めることとしました。
【要件3 方法】
また、患者自身の依頼を受けて苦痛の少ない医学的に相当な方法を用いるとしました。
【要件4 過程の記録】
そして、事後検証が可能なように、これらの一連の過程を記録化すること

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240305/k10014379911000.html

 この要件自体は、名古屋安楽死事件(1962年)、東海大学病院安楽死事件(1995年)の際に示された要件をほぼ踏襲したものではあるものの、この2023年に改めてこの要件が示されたことの意義は大きいのではないでしょうか。
 東海大学病院安楽死事件でも、この要件を厳格に満たした場合については「違法性は無いために阻却される(刑事責任の対象にならず有罪にならない)」とされており、今回の京都地裁の判決は、その判断を強化したものといえます。
 つまり今回の事件については、明らかに4要件を満たしていないため有罪は免れ得ませんが、逆に言えば、もっと時間をかけて丁寧に手順を踏めばこの4要件を満たすことができたかもしれません。そして、今後新たに安楽死を希望する方がいた場合に、これらの4要件を満たすことが可能なら、日本でも実質的に安楽死は可能になったと言えるのではないでしょうか。

4要件は本当に満たせるものか検証してみよう

 ではここからは、この4要件は本当に満たせるものなのかを考えてみましょう。

 まず、前提条件の「病状による苦痛などの除去や緩和のためにほかに取るべき手段がなく」のところが引っかかります。緩和的鎮静という手段がある以上、それを行わずに安楽死を実行すれば要件を満たさない可能性があります。なので「緩和的鎮静が適応とならなかった」ことを記録にきちんと残しておく必要があります。

 次に、「死期が迫るなど現在の医学では改善不可能な症状がある」は、いわゆる「余命要件」について示しているわけですが、ここで具体的に「○○か月」といった数値を示していないのが、曖昧でずるいなと思います(安楽死制度を認めるための判決ではないため仕方がないのですが・・・)。

 少なくとも6か月以上の予後を見越しているのに、安楽死を実行してしまったら、さすがに要件を満たしたとはいえないでしょう。では、何か月なら良いのか?というのに医学的・法的な根拠はありませんが、予後1か月(つまり週単位の予後)が予測される場合なら、要件を満たしていると判断されるかもしれません(その根拠とするのに用いた予後予測ツールと計算方法を記録に残すべきでしょう)。

 それ以外については、患者さん本人とその家族の同意、第3者の医師の認証、また安楽死に使用する薬剤の選択などを満たせば良いため、これらはオランダなど諸外国の手順を参考にすれば十分に可能でしょう。

 こう考えていくと、理屈としては日本においても安楽死の実行は可能になってきているともいえるかと思います。今回の京都地裁判決では、「肉体的苦痛」だけに限定する文言が入っていないことも大きいです(これについてはソースがNHK報道のみなので判決文が入手された時点で確認が必要ですが)。
 ネックとなるのは、判例が現時点では全て地裁判決であることです。できれば最高裁での裁定が欲しい。今回の嘱託殺人事件においても、裁判は最高裁までは進むかもしれませんが、今回の4要件についての可否を議論するのが本質ではないでしょうから、その意味で安楽死制度を前に進ませるようになるかは期待が薄いかと思います。

 よって、今回の京都地裁判決で、東海大学病院事件判決と比較すれば、安楽死制度は実質的に前に進んだとは言えますし、京都地裁判決を元に安楽死を実行したとしても罪に問われない可能性は高くなってきたとは言えますが、この判決を元に安楽死を実行に移す医師が出るところまで進んだか、と問われると現実的ではない、というのが僕の結論です。

 とはいえ、この連載でもいつも申し上げていることですが「安楽死でしか苦痛を取り除けない」方が世の中に存在することは事実です。緩和的鎮静はその次善にはなり得ますが、代替ではありません。
 スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」も新規会員の受け入れを停止しており、日本人が安楽死を行える道はより狭くなってきています。
 安楽死制度の是非よりも、そのための議論が止まっていること自体が問題と僕は考えています。

https://note.com/tnishi1/n/n693b17828fcf?sub_rt=share_pw

2024年3月9日土曜日

母を亡くした弘兼憲史「僕は安楽死で気持ちよく死にたい」

母を亡くした弘兼憲史「僕は安楽死で気持ちよく死にたい」

弘兼氏も島耕作もまだまだ現役だが(時事)

漫画家の弘兼憲史氏(73)は、代表作『課長島耕作』で自分と同年齢の団塊世代サラリーマンを主人公に、男の出世や恋愛模様を描いてきた。現在、70代となった島耕作は相談役として活躍中だが、団塊世代にも確実に人生の最後のステージが近づいている。これも代表作である『黄昏流星群』では中年・熟年・老年の恋愛をテーマにしており、生涯輝き続ける人生が弘兼作品の魅力のひとつだ。ちなみに弘兼氏の妻である漫画家の柴門ふみ氏は、2020年に大ヒットしたドラマ『恋する母たち』の同名原作で、40代女性たちの不倫を赤裸々に描いた。夫妻はバブル時代からコロナ禍の令和に至るまで、作品を通じて常に日本人の「半歩先」を見せることでファンを惹きつけている。

 社会人としても男(あるいは女)としても、最後の時まで「現役」でありたいというのは、おそらくすべての人の願いである。しかし、現実はそう理想通りにはいかない。『週刊ポスト』(2021年1月4日発売号)では、国論を二分する22のテーマについて、各界論客が激論を戦わせている。弘兼氏は「安楽死に賛成か反対か」というテーマで「賛成論」を述べている(反対論は横浜市立大学准教授の有馬斉氏)。「生涯現役」を描き続ける弘兼氏は、実は同誌取材の直前に実母を亡くしていた。記事では収録されなかった亡き母への思いと、自らも安楽死を望む考えを改めて語った。


2025年には、我々すべての団塊世代が75歳以上の後期高齢者となり、2030年頃になると次々と死んでいきます。そうすると、今のコロナ禍のように、病床が足りなくなって、本来なら病を治して社会復帰するはずの人たちのための病院を寝たきりの老人が占領するような現象が起きるでしょう。「長寿国」というのは、裏を返せば若者に社会保障の負担をかける社会です。だから僕は、「安楽死」を真剣に検討する時代だと思っています。

 うちのおふくろが10日前に死んだんですよ(取材は2020年12月21日)。緩和ケアのために最後は入院しましたが、がんでずっと意識不明でした。医師からは「胃ろう(チューブで胃から直接栄養を摂取する医療措置)をしましょう」と言われましたが、姉たちと話して、痛みをとってあげるのが一番だろうということで、「やめましょう」「このまま逝かせましょう」と決めました。最後に会って東京に戻ってきたら、その3日後に亡くなりました。

 僕は終末期に痛みがあるなら早く逝かせてあげたほうがいいと言っていたのですが、他の家族は「おばあちゃんをもっと生きさせてあげたい」と言う。「もっと生きてほしい」というのは、もちろんその人のために言ってるのだろうけど、本当にその人のためになっているのかはわかりませんよね。本人の意思より家族の希望が優先されるというのは、エゴといえばエゴなんです。


やっぱりお医者さんは使命感もあるし、自分たちの技術も磨いていきたいから、医学の発達によってみんなが長生きして延命できるようになっていく。でもその技術は本当に社会のためにも本人のためにも必要なのか。みんなが100歳まで生きるようになったら誰が面倒を見るんですか? それは国家じゃないですか。そうなると税金はどんどん高くなる。残酷な言い方になりますが、医学の進歩は国の無駄を増やしている面がある。

 どこかで、もっと人の死をシビアに見なければいけなくなる。死にたいという人には死んでいただくという世界が必ずやってきます。日本的な「肌が温かくて呼吸さえしててくれればいい」といったナイーブな死生観は現実的に受け入れられなくなっていくでしょうね。もしいま安楽死が認められるのなら、僕だったら痛い思いをして半年生きるよりも気持ちよく死にたい。実際は僕らが死んでから、まだ相当あとの世界かもしれませんが、そういう社会を覚悟しなければいけないのではないでしょうか。


https://www.news-postseven.com/archives/20210110_1626804.html?DETAIL

2024年2月1日木曜日

すべり坂は止められるのか~安楽死制度を議論するための手引き13

見出し画像

すべり坂は止められるのか~安楽死制度を議論するための手引き13

2024年1月30日 17:16

論点:いわゆる「すべり坂」を予防することは可能か?

 前回の記事では、認知症のある方に対し、健常者の論理で回っているこの世界の「常識」を当てはめて判断するのは、いわゆる「すべり坂」を下りかけているように思えてなりません、という話をしました。

 これは、オランダだけの問題ではなく、安楽死制度を許容した他の国でも同様で、制度が定められた当時に想定していた安楽死対象者よりも幅広い方へその権利が与えられるようになっています。
 これがまさに「安楽死制度をひとたび認めてしまうと、最初は肉体的苦痛に苛まれる終末期患者のみ、としていた対象が、あれよあれよと精神的苦痛や小児、終末期ではない方々にまで拡大していく」という「すべり坂現象」です。当初、オランダもその他の諸外国も「すべり坂」なんてことは起こらない、と嘯いていたにも関わらず、少なくとも遠い国である日本から眺める立場では、どう見ても彼らは坂をずるずると下って行っています。
 しかも恐ろしいのは、その国の方々が「下って行っている」ということに無自覚なのではないか?と見えることです。もう少し正確に言えば、実際にはすべり坂を下って行っているにも関わらず、そこにもっともらしい理由をつけて「これはすべり坂ではない」と言い張っているだけのように見えます。

「すべり坂ではない」という反論では、「こういったケースは本国において、社会的に十分な議論を重ねたうえでの結末だ。裁判でも何度も審議された。そもそも制度とは、国民が求めるものに従って常にアップデートされるべきだ。それは安楽死制度だって例外ではない」などと言うでしょうか。
 しかし、「国民が求めている」「十分な議論と法的検討を重ねた」「改悪ではなく改善だ」という見え方は否定しないまでも、それと「すべり坂かどうか」は別の枠で考えるべきです。「すべり坂」が、先に示したように「ひとたび安楽死制度を認めると、その対象者がどんどんと拡大していく」と定義されるのであれば、諸外国はどんなに言い訳をしたところで、確実にすべり坂を下っています。
 それならいっそのこと、「安楽死制度を認めると、(少なくとも現状のシステムの中では)すべり坂を下っていくことを防ぐことはできない」と開き直ってくれた方が、日本を含めた他の国々でも安楽死制度を議論・設計するときの役に立つのですがね・・・。

そもそも、なぜ「すべり坂」を下ってしまうのか

 どんなに優れたシステムがあっても、そして社会が有効に機能していたとしても、安楽死制度は「すべり坂」を下って行ってしまうのなら、その理由は何でしょうか。
 もちろん様々な理由は考えられると思いますが、僕はその一番の理由は「死による問題解決の甘美さ」だと思っています。
 死による問題解決が甘美、などという言葉を用いると少なからず批判を受けそうですが、これは宗教的にも何百年もの昔から言われ続けてきたことです。例えば、宗教はその教えによって死を超越した境地にたどり着くことをその目的としている場合がありますが、それと同時にその死の世界に自ら赴くことを禁じていたりします(そうではない宗教もありますが)。これは、宗教的解脱によって、死の恐怖から解き放たれたとき、生の世界の醜さや理不尽さよりも死の世界を求める欲求が勝る場合があるから、とされているそうです。
 そして僕自身も、病院で死に瀕している方々と何百人と接してきた中で「死による問題解決」への誘惑を感じたことは1度や2度ではありません。毎日毎日繰り返される、怨嗟と悲嘆の声。仮に、身体の痛みは完全にゼロになったとしても、患者さんたちのこの世への呪いの声はとどまることを知らない・・・という場面はしばしばあります。その声を聞くために、毎日毎日病室へ足を運ぶ日々を想像できますか?
 もちろん、僕らにとってはそれが仕事ですから、その声を受け止めることからすべてが始まる、という面がありますし、患者さんの死を望んだことなどは一度たりともありません。しかし、患者さんが徐々に弱っていって昏睡状態になり、呪いの声を出せなくなったその朝に「ああ、もう彼の苦しみを受け止めなくても良いんだ」という安心感が心の片隅に浮かんでぞっとすることがあります。医師としての倫理観があるから、湧き上がってくるそんな感情に蓋をすることは可能ですが(それはおそらく宗教者も同じ境地なのでしょうが)、感情コントロールの訓練を受けていない市井の方々が、「死による問題解決」の誘惑に耐えられる人ばかりでしょうか?
 僕は諸外国の安楽死制度が、明確にすべり坂を下って行っている現状に対し、「人であれば当然そうなってしまうだろう」とある意味同情的に眺めています。

では「すべり坂」は予防可能なのか

 僕は先ほど、安楽死制度を運用している諸外国では「安楽死制度を認めると、(少なくとも現状のシステムの中では)すべり坂を下っていくことを防ぐことはできない」ことをまずは認めるべきだ、といった主旨の発言をしました。
 それはまず、この前提を共有できなければ、その予防を考えることは不可能だからです。例えるなら「風邪なんて存在しない」と主張されている社会で、風邪の予防を考えようなんて気にならないですよね、ということです。「すべり坂は存在する」。この前提から予防できるかを議論すべきです。安楽死制度に賛成派の方は「すべり坂は存在しない」という主張はもう取りやめた方が、建設的な議論に向かえると思いますよ。

 また一方で、ここで考えるべきは「すべり坂があるから安楽死制度は止めよう」ではありません。安楽死制度をめぐる議論では、反対派からこの内容も飽きるほどに提言されますが、賛成派から「運用をきちんとすればすべり坂は防げる」という反論をくらって手詰まりです。その後は「できる」「できない」の水掛け論が繰り返されるだけで時間の無駄ですから、そんな前提もまた止めましょう。

 考えるべきは、「安楽死制度に必ずつきまとう『すべり坂』を、完全に止める手立てはあるか」という手段です。それが考えつくのであれば、賛成派の優勢になりますし、考えつかなければ反対派の勝利になってしまいます。
 さて、読者の皆さんなら、どんな運用方法が思いつきますか?

 僕なら・・・安楽死制度については間接民主制ではなく、ゆるやかな直接民主制を採る、というのを一案としてあげます。
 つまり、国民投票で制度のすべり坂を防ごうという魂胆です。しかも、単にその投票で過半数を獲得すれば良いという話ではなく、完全に国民の50%以上が制度の改変に賛成の意図を示さない限りは無効、とする案です。
 例えばですが「制度の変更が国会から発議された場合に国民投票を行い、有権者の投票率が70%以上かつ賛成票が75%を超えた場合」に、制度を改変できる、といった条件を最初から法律の中に盛り込んでおく、といった運用だとどうでしょうか。憲法改正よりも厳しい条件なので、この運用を実際に通すのは難しいかもしれませんが。
 しかし、安楽死制度は国民一人一人の生死に関わるものですので、それが「すべり坂」を下らないようするためには、少なくとも国民の半分以上は明確に賛成している、という状態でなければ「国民みんなでその道を選びました」とは言えないのではないかなと僕は思います。
 ちなみに、ここで述べている国民投票の案はあくまでも「制度の対象となる方の範囲を広げる」場合に行われるものであって、制度を開始するときにもこの手続きが必要かといえば、そうは思いません。制度全体の設計をするためには、どうしても総花的な部分が出てこざるを得ず、それを国民投票にかけるなどすれば「総論賛成、各論反対」の方々が大量に発生して、結局のところ国民投票で否決されるだろうことは目に見えているからです。なので、制度の全体については間接民主制、つまりは国会で十分に議論をして決定すれば良いと僕は考えています。
 それに対し、対象者の拡張に関する国民投票はワンイシューで投票することになるので、総論は存在せずに各論のみですから、話が分かりやすく国民投票に向いていると僕は思います。
 例えば、これまでの論点でも出てきたように
「身体的苦痛だけではなく精神的苦痛に対しても対象を広げて良いか」
「成人だけではなく小児にも対象を広げて良いか」
「終末期(例えば6か月以内の余命)に限る、という条件は撤廃して良いか」
など、その発議は国会で行い、そののちに上記のような国民投票を入れる仕組みにすれば、かなりすべり坂は防げるように思います。

 ただもちろん、この案もまったく完璧とは言えません。本当に、投票率が70%を超え、そのうちの賛成票が75%、という条件をクリアしてしまう可能性もあるからです。その場合は、国民がその道を自ら選んだ、ということでそれもまた良しとするしかないかなと。

 皆さんの「すべり坂」へのご意見もぜひお聞かせください!

遠野と怪異と希望の星~安楽死制度を議論するための手引き:あとがき

遠野と怪異と希望の星~安楽死制度を議論するための手引き:あとがき 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年10月22日 12:00 「安楽死を議論するための手引き」も、今回で最終回。  このあと、全ての原稿を出版社にお送りし、書籍化の作業に入ります。  これまで長らくお...