2022年12月17日土曜日

安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第1部)

安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第1部)

西智弘(Tomohiro Nishi)
2022年12月17日 17:37

論点:安楽死を実行/介助する資格を全国の医師全員に認めるべきか

 安楽死制度が実現した場合の運用を考える際、「誰が安楽死を実行するのか」の問題が常に付きまといます。
 海外においては、基本的に医師が実行(処方)する運用ですが、やはり医師によって「私は自らの患者に安楽死を行うことを拒否する」方もいるようです。

おそらくは日本においても、安楽死制度の運用が開始された場合に、それを積極的に行っていこうとする医師はかなり限られてしまうことが予測されます。日本ではこれまで、医師だけでなく市民の間でも「1分1秒でも長く、命を永らえさせること」が重視されており、それに添うような実践や教育が行われてきたためです。最近になってようやく、緩和ケアや個人の尊厳の名のもとに、治療を差し控える(消極的安楽死)が許容され始めていますが、それはあくまでも自然死を邪魔しない範囲で、さらに寿命が1か月前後に限られていると予測される場合に限定されています。それ以上の予後が残っていると予測される場合で、意図的に治療を差し控えることは医師の感覚からは強い反発を生む場合がほとんどでしょう。
 さらに、「余命が1か月程度に迫っていて、治療による延命効果が見込めない」ことが医学的にわかっていたとしても、「せめて点滴くらいは」「せめて○○の薬だけは」と、医療行為を継続してしまうこともまだまだ多く認められます。「治療の差し控えは許容され始めている」とは言っても、全ての治療行為を引き上げて、「何もしない」状態にすることには耐えられない、という医療者がほとんどなのです。そこにはやはり、「患者さんに苦痛を与えるような治療は控えるけど、そんなに負担がかからない治療なら、それをすることでもしかしたら少しでも良いことがあるのではないか・・・」という医療者に課せられた「呪縛」のようなものが見えてしまいます。

このように、「治療の差し控え=自然死」を、本人含め皆が納得しているにも関わらず、何かしたがる医療者が大多数、という構造の中で、「意図的に寿命を短縮する」安楽死制度に積極的に加担する医療者が多いはずがないのです。
 もちろん、10人に一人ぐらいは、(それが不本意であったとしても)安楽死制度の運用に関わろうとする医師もいるでしょう。しかし、その医師が「公平・中庸」の思想を持っている医師かという保証はありません。「1分1秒でも命を永らえさせる、そのためには患者が苦しもうが何でもする」という思想の医師が極端である一方で、反対側の極端には「苦痛がある患者にはすぐに安楽死制度を適用すべきだ」と考える医師が出てきても不思議ではありません。そうなってしまうと患者さんは、担当になった医師によって大きく寿命が変わることになってしまいます。もちろん、現在においても担当医の力量などによって、患者さんの寿命に差が出ることは否めませんが、多くの分野において「標準治療」があり、それを規定したガイドラインなども整った現代においては、それほど大きな差にはならないはずです。しかし、安楽死制度の運用が、各医師の「思想」に依ることになってしまうと、本来であればもっと生きられたはずの人が「安楽死制度の適応」とされて・・・という例が頻発する恐れがあります。

安楽死制度を運用する資格

 もちろん、安楽死制度を運用するための条件を厳格に定め、担当した医師の「思想」が容易に入り込めないようにする方法はあります。しかし、少なくとも日本において、医師が下した診断や処方のもつ権限はかなり強い法的効果をもっており、また社会的にも医師が「この苦痛は緩和困難にて、安楽死制度適応が妥当」として患者さんや家族に説明を行った場合、その方針を覆せる方は多くはないでしょう(そもそも説明が巧みであれば覆そうという気にすらならないだろうし、実際にいま苦痛がある中で「苦しくてもこのままが良いです」と言える患者さんはごく少数でしょう)。

実際、宮下洋一さんが書かれた『安楽死を遂げるまで(小学館)』でも、担当となった医師によってその決断が大きく左右され、結果的に何十年も寿命が変わってしまった患者さんの例が紹介されています。

(安楽死に反対するある医師の発言)
「誰もが罹患する可能性のある糖尿病を例にとってみましょう。この病は生活習慣病の延長線上にありますが、ひと度インシュリンの投与を止めれば、即、余命は半年程度に縮まってしまいます。そうすれば、患者は末期として扱われ、たちまちオレゴンでは自殺幇助の対象となります。法がある限り、住民にとって自殺幇助は遠い世界の話ではありません。(中略)治療を断った時点で、末期になるのです」
「(安楽死の)推進派は、医学の発展に反する行為をしていると思います。彼らのサイトには、薬物治療の拒否を患者に促すマニュアルさえある。彼らは、患者が死を選択するように操っている、いわば、洗脳しているんですよ」

宮氏洋一『安楽死を遂げるまで』より。()内は筆者追記。

 完全に客観的指標に則ってしか、安楽死制度が運用できないようにできるならまだしも、人間の「思想」や「人生観」、また「苦痛」という測定不可能なパラメータを、この制度の運用に用いなければならない以上、恣意的に患者さんの寿命が大きく左右される可能性は排除できないでしょう。

それであれば、医師に対し、その思想や能力を客観的に評価できる指標を作成し、適性があると認められた医師にのみ「安楽死制度を運用する資格」を与える、とするのは一案かもしれません。要は、思想的に偏りがある医師や、逆に、絶対に安楽死制度に関わりたくない医師にはその資格を与えないということです。
 資格化することによって、医師は担当している患者さんからの「私に安楽死制度を適用してほしい」との訴えを「資格を持っていない」と断ることができるため、無用な葛藤に悩まされることが少なくなるでしょうし、また、簡単に簡単に患者さんを死に追いやってしまうような傾向のある医師を排除することにもつながるでしょう。

 ただ、資格化することによって、ただでさえ全国的に少ないと予測される「安楽死制度を運用できる医師」がますます希少になります。もしそれぞれの地域で「安楽死制度を使いたいけど、今の主治医は資格を持っていない。どこの誰に相談すればいいのかわからない」という問題が生じないように、資格を持つ医師の情報は広く開示されるべきですし、その情報の周知も行う必要があるでしょう。
 また、オランダのように「安楽死デリバリーチーム」を地域の中に作るのも必要になるでしょう。
 オランダは家庭医療の発展している国で、安楽死制度を利用する場合も基本的にはその家庭医(かかりつけの主治医)に相談し、実行してもらうことになるのですが、やはり医師の中には安楽死制度を運用することを拒否する方もいます。その場合に、この「安楽死デリバリーチーム」に連絡をすれば、主治医の代わりに安楽死制度の手続きを進めてくれ、そこに所属する医師が実行もしてくれる、という仕組みがあります。

 本日の「論点」について、皆さんはどう考えましたでしょうか。もちろん、諸外国のように全ての医師に安楽死制度を使わせる運用もありだと思いますし、患者さんが希望した場合に各医師が拒否ができないようにする運用方法を考えるというのもありかもしれません。
 ただ、次に考えるべきは「そもそも安楽死制度を運用する上で最も適した職業は医師であるのか?」という点です。次回は、その点についてまた論点を考えてみましょう。

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https://note.com/tnishi1/n/n7156a51177e1

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