2022年6月5日日曜日

悲惨な孤独死が激増していくいまこそ 「安楽死」の国民的議論をすべきとき

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2022.6/4


誰もがたった1人で誰にも気付かれずに死んでいくことを望んではいないと思います。1人暮らしの高齢者の多くが、脳梗塞や心筋梗塞などで倒れたまま、しばらくして遺体で発見されています。「孤独死」のうえ、遺体は腐乱し、液状化していたり、白骨化していたりして発見されるケースもあります。コロナ禍になってから、こうしたケースが増えています。

孤独死が発見された場合は、医師による「死亡診断書」がありませんから、まず警察が入り現場検証が行われます。そして、検視が行われ「死体検案書」が作成されます。それで事件性がないと確認されれば、遺体は遺族に戻されます。しかし、生前疎遠だった場合は、遺族が遺体引き取りを拒否することもあり、その場合の手続き、行政の負担は大変です。まったく身寄りがない人の場合は、行政がすべての手続きを行い、遺骨は最終的に無縁塚へ合同埋葬されます。

孤独死でいちばん問題になるのは、遺体処理で遺族にかかる金銭的負担です。葬儀・埋葬などの費用のほかに、例えば、賃貸住宅に居住していた場合、賃貸人や管理会社が高額な補償金を請求してくることがあります。


また、死亡者に財産があれば、日頃疎遠だった親族が名乗り出て、財産争いが起こることもしばしばです。

現在の日本では、毎年、約150万人が亡くなっています。

このうち、約100万人が病院と診療所を合わせた医療機関で亡くなっており、これが「病院死」です。これまで、日本人のほとんどが病院死でした。しかし、今後、病院死は激減します。なぜなら、厚生労働省が率先して病院のベッド数を削減し、医療費増大を抑制する対策を次々と打っているからです。

つまり、これからは望もうと望むまいと、人は在宅か施設で死んでいかねばなりません。1人暮らしの場合は、看取りのある施設に入れなければ、孤独死を覚悟しなければならないのです。いわゆる「看取り難民」になるわけで、看取り難民は2035年には約47万人にも達すると試算されています。

日本人はまじめです。常に「人に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれて生きてきました。その結果、死に際しても同じ行動を取ることになります。というか、そうせざるをえないような社会的圧力が存在します。



いわゆる、身辺整理が必要になります。エンディングノートをつくって死んでいくということです。そうしておかないと、家族がいれば家族に、いなければ周囲と社会に多大な迷惑をかけます。

身辺整理のポイントは、モノや財産だけはありません。残りの人生をどう生きる、誰と付き合って生きるかを明確にすることです。そうして、終末期を迎えたとき、どうするかを決めておくことです。

現在の日本では、延命だけのための終末期医療が行われています。胃ろうを付けたり、人工呼吸器につないだり、ただ生かすだけの医療です。これは、人間の尊厳を損なうので、ある時点で終わらせるべきだと思うのですが、そうなっていません。極端な考えかもしれませんが、遺族にも社会にも迷惑をかける孤独死をなくす方法として「安楽死」という選択があります。

安楽死を認めるかどうかは、その国の文化や歴史に深く根差しています。しかし、悲惨な孤独死が激増していくいま、日本でも国民的な議論をすべきでしょう。 =おわり


■富家孝(ふけ・たかし) 医師、ジャーナリスト。1972年東京慈恵会医科大学卒業。病院経営、日本女子体育大学助教授、新日本プロレスリングドクターなど経験。「不要なクスリ 無用な手術」(講談社)ほか著書計67冊。


https://www.zakzak.co.jp/article/20220604-HAG5OYFI2VLTTDLNHHXJVCDB3A/

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