2019年8月25日日曜日

安楽会の活動を支持する

当会は安楽会の活動を応援します。
http://honshitsu.org/

先の参議院選挙で安楽会が出馬したことで、安楽死という制度が大きな注目を集めることになりました。

このブログを含め、様々な活動を模索しながら挫折を繰り返しておりました。
安楽会さんが、今後も活動を継続するということですので、安楽死制度への関心を高めるには今が重要な時期であると判断しました。

私自身は、これから本業の繁忙期に入りますが、空き時間を利用して、精一杯情報発信に努めようと考えています。

2019年8月22日木曜日

死の権利の法制化イメージ

ポイントとなるキーワードは、「行政手続き」です。

私の祖母の例でもあてはまりますが、死の権利のない状態では、周りに迷惑をかけないように、誰にも相談せず単独での自死を選ぶ以外にありません。
ですので統計上は約2万人と出ていたとしても、実際の数や自殺理由は不透明なままというのが現状です。

もしも私の考える死の権利が法制化されれば、多くの人は自殺ではなく安楽死を選択することになると思います。
そうなると、そこには行政手続きが介入する事になります。

スイスの制度では、2人以上の医師の判断が重要なポイントとなっているようですが、私は本人の判断と判断能力こそが重要であり、医学的な立場からのアドバイス、安楽死以外の方法を最大限に模索できる体制作りが必要だと考えています。

また、カウンセラー等をとおして生活環境、労働環境、精神面、社会体制などの様々な視点から問題解決を図り、それでも安楽死が必要と本人が判断した場合に初めて書類での手続きに進む必要があると考えています。

安楽死が決まった場合は、残された人へのメッセージを残すことが出来ます。日時と場所を指定することが出来ます。
それは、ご家庭で家族に看取られながら最期を迎えることが出来るイメージのものです。 ご家庭で家族に看取られながら最期を迎えることが出来る制度は、ひろく支持を得ることが出来ると考えています。

私は、安楽死をされた方のメッセージは、公文書として大切に扱われるべきと考えています。しかし、それによって死者のメッセージが社会的影響力を持ちすぎた場合は、その扱いに対して賛否が起こるかもしれません。メッセージを残すために、あえて死を選ぶ人が出てくるかもしれないからです。私は、死者のメッセージが大切に扱われるようになると共に、生きているひとりひとりの意見が、より大切に扱われる社会になるべきだと考えています。

死の権利のない現行制度の中では、本気で自殺を考えている人は誰にも相談することが出来ません。死の権利があるから相談することが出来るのです。

私は、死の権利の法制化によって、多くの自殺者の命を救えると考えています。
人々を自殺に追い詰める原因を明らかに出来ると考えていますし、行方不明者の数も減らせると思います。延命治療による悲劇などからも人々を救うことも出来ます。

死の権利は、命を大切にする制度です。一人一人の意思を尊重する制度です。その為の行政手続きが必要な制度です。
一人一人の命と向き合うことができるから、一人一人の命を大切にすることができます。

祖母の自殺

私の母方の祖母は、背骨の骨折が原因でなくなりました。
仕事中の仲間のミスによって骨折したのです。
すぐに病院に運ばれ、骨折は完治したのですが、痛みが残りました。
他の病院でも診てもらったのですが異常は見つからず、仕事に戻ることも出来ない状態になりました。
そして、痛みに堪えながらの生活が続いたある日、用水路の中から発見されました。
事故からは一年以上の月日が経っていました。

非常に働き者として有名だった祖母は、早くに夫を心筋梗塞で亡くした後、女手一つで二人の娘を育てました。
私の母の姉は、高卒で地元で一番の地銀に就職しました。片親の子は採用されないと言われていた当時としては異例です。
それは、祖母の評判が良かった為と言われています。

私の母が幼い時、祖母は畑仕事中に誤って指を切断してしまい、切り落とした指を持って帰って来たことがあったそうです。 祖母は裁縫道具を用意し、幼い母の隣で針と糸で指を縫いつけ、指が動くことを確認し、また畑仕事に戻って行ったそうです。
私の祖母は、けっして少しのことで痛い痛いと騒ぐような人ではないのです。
そして、なかなか病院に行こうとしないことでも有名でした。

働き者として有名だった祖母が、なぜ生きているうちに地獄のような苦しみをあじわう必要があるのか疑問に感じます。
自殺をする人は、誰にも相談できません。手助けをした人は自殺幇助の罪に問われ、相談に乗った人には不要な罪悪感を与えてしまうかもしれないからです。

祖母は、なぜ地獄のような日々を過ごす必要があったのでしょうか。それは、私達が法律に縛られた存在だからだと思います。

幼い時に、悪いことをしたら地獄に落ちると言われ、火炙りにされたり、針山の上で血だらけになっている人々の絵を見せられました。地獄に落ちると死ぬことも出来ず苦しみ続けることになると教えられました。
祖母があじわった痛みは、まさに地獄の苦しみそのものだったと思います。祖母は、何か悪いことをしたのでしょうか。
一緒に住んでいた伯母夫婦の気持ちも想像できるものではありません。

私達も、明日事故によってどのような体になるかわかりません。この問題は、明日自分もどうなるかわからないような問題です。 私は、この問題の重要性を率直に話して行けば、必ず実現できると考えています。

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年4月15日 20:38 論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか ▼前回記事 「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳に...