2021年5月31日月曜日

安楽死協会と阻止する会の歴史

https://webmedia.akashi.co.jp/posts/2668


 第6回 安楽死・尊厳死を考える(その2) 

 太田典礼は、産婦人科医にして、旧社会党の衆議院議員として旧優生保護法の制定に寄与し、「日本安楽死協会」を設立した人物として知られている。その太田典礼が、はじめて安楽死の法制化に言及したのが『思想の科学』(1963年8月)に発表した「安楽死の新しい解釈とその合法化」という論考である。これが安楽死・尊厳死の法制化運動のはじまりである。太田はこの論考で次のように語っている。「苦痛を和らげることを主目的にするもので、死期を早めることを目的としない。従って、使用するのは薬剤であって、麻薬あるいは睡眠薬、神経安定剤である。ただ、その使用の結果、生命を短絡する危険があってもそれにこだわらないという立場に立つ」。すなわち、医師の立場から、苦痛緩和を目的とする間接的な安楽死の合法化を求めたのが太田典礼であった。

1.日本安楽死協会の設立の「前史」

 「日本安楽死協会」を組織した発端となったのは、1968年に植松正や稲田務らとともに設立した「葬式を改革する会」であった。「葬式を改革する会」は『葬式無用論』(稲田務・太田典礼編:葬式を改革する会発行、1968年)といった書物も刊行している。太田典礼は、『葬式無用論』に収められた論考「葬式無用と改革」において次のように述べている。
「私は、青年時代にキリスト教の洗礼をうけ何年も信仰生活をつづけてきたが、神の存在、霊魂の問題に対して疑念を抱き、数年間の苦悩の末、ついに神から自己をとりもどした。宗教のもつ良いところは認めるが、害悪の方がはるかに大きい。なるほど宗教は阿片であると悟り、一さいの宗教を否定し、それからずっと無宗教者として生きてきた。あらゆる宗教は、何らかのマジナイを伴っており、医者としても、マジナイ宗教はごめんだ」
 太田典礼は、戦前の唯物論研究会の会員であり、宗教に対しては、生涯にわたって厳しい批判者であった。『無宗教生きがい論』(みずうみ書房、1976年)では、「無宗教は非宗教であり、脱宗教、反宗教でもある。そのもとは現世の肯定、人間としての自信である」とし、「神にたよらず、自ら自身をもつことこそ人間の強さであり、そこではじめて人間性の回復、自立性の確立が可能となる」と述べている。そして、自らの無宗教の立場を「宗教的神秘主義をかなぐりすてた科学的合理主義に立つもの」であると述べている。太田が、キリスト教に惹かれた背景には、6歳で実母を癌で亡くした喪失体験、その葬儀では儀礼ばかりが重んじられ遺児の悲しみなど捨て置かれた孤独と傷心の体験、翌年父の再婚によって継母と心が通わず味わった疎外感などの諸事情があった。
 「葬式を改革する会」では、安楽死が何かと話題になり、会員の刑法学者の植松正の協力を得て『安楽死』(太田典礼編:クリエイト社、1972年)を出版することとなった。そして翌年には、今日的古典ともいえる単著『安楽死のすすめ』(三一書房、1973年)を出版し、安楽死立法化への再提案を試みるのである。
 太田は、『安楽死』に収められた「立法化への基準」という論考において、薬剤、心理的処置、宗教家の役割、医学的条件を列挙し、「不治の病」についての判断は極めてむずかしいとしながらも、死期の遠い不治に関しては「植物的人間と同格に議論がある」としている。その範囲には、「中風、半身不随、脳硬化症、慢性病の寝たきり病人、老衰、広い意味の不具、精薄、植物的人間」を含めている。
 安楽死立法化の発言が再開された1972年は、有吉佐和子の長編小説『恍惚の人』(新潮社、1972年)がベストセラーになって老人問題がクローズアップされたり、「植物人間」が話題になりはじめた時期である。『恍惚の人』は、森繁久彌の主演で映画化され、老人福祉行政の進展にも影響を与えた。1960年代から70年代にかけて日本の人口が1億を超え、1972年には東京でアジア人口会議が開催されている。当時の時代状況のもとで太田典礼自身のなかにおいて「植物人間」と「老人」は分かち難く結びついていき、安楽死運動となっていったのである。安楽死運動は同時代の植物人間・老人の問題と連動してマスコミに活発に取り上げられるようになった。
 また、ベルギーでのサリドマイド児を殺害した母親・医師・家族らに対する無罪の判決をめぐって賛否両論が渦巻いていたこともその背景にある。『婦人公論』(1963年2月号)は、ベルギーのこのサリドマイド事件を契機に「誌上裁判――奇形児は殺されるべきか」という座談会(石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子)を特集している。また、日本において司法の現場で、いわゆる「安楽死6要件」(1962年2月、名古屋高裁山内判決)が示されたことも背景にある。そして障害者による草分け的な文芸同人誌として知られる『しののめ』誌も「安楽死をめぐって」特集を組んだ。障害者が「安楽死」について議論することが極めて現実的なものとなったからである。
 『しののめ』誌とは、1947年、日本最初の公立肢体不自由学校「東京市立光明学校」(現、東京都立光明養護学校)の卒業生による手書きの回覧誌として始まったもので、花田春兆を編集長とした文芸同人誌である。同人誌という形式上、その規模は決して大きくはないものの1950年代後半から60年代後半にかけて光明学校関係者以外にも広がりを見せ、特に在宅障害者を中心に障害の種別を超えて全国各地にその輪を広げていった。1962年4月、「安楽死をめぐって」の特集号(47号)を発行し、『強いられる安楽死』(しののめ発行所、1973年)も刊行される。また10年後の1972年には2度目の安楽死特集号(75号)が発行されている。『しののめ』誌の特集号は「安楽死」を取り上げた議論としてもかなり早い時期のものである。
 「安楽死をめぐって」は、外部識者と同人たちとの往復書簡・外部者へのアンケート、評論、エッセイ等で構成されている。花田は、当時島田療育園園長であった小林提樹宛ての往復書簡のなかで特集の動機について次のように語っている。
「すべては健康な社会人だったのです……この事実は安楽死問題の提起が外からなされているものであり問題は社会と結びつけているのを示す証明にもなりましょう。議論された声として提出されていないのはむしろ障害者の側の声ではないでしょうか。イギリスの安楽死論争でも、……ライン内の人には理解力や発言能力で無理な人が多かったでしょうが、ボーダーライン層がどう反応したかもわかりません。全然報道されず、資料もキャッチ出来なかったのです。つまりこの論争は外でこそ火花を散らしていたのです」
 この特集は、安楽死の是非を問うというよりも、障害者の「安楽死」を議論する声が健常者側からばかり発せられることへの疑問があったから組まれたのではないかと思われる。こうした現状から障害者自身に発言権を与えるべきであり、その声がいかに過酷な現実から発せられているかを訴えることにこの特集の目的があったと考えられる。

2.「青い芝の会」の安楽死反対運動

 太田典礼による1972年の安楽死立法化の発言の再開と前後して、母親の障害児殺しに対し地元町内会や神奈川県心身障害児父母の会による減刑嘆願運動が起こった。そして「殺される側」からの異議申し立てを行ったのが「青い芝の会」神奈川県連合会であった。1972年、中絶を認める経済的理由の撤廃とともに胎児条項の追加を内容とする優生保護法の改正案が政府より提出され、「青い芝の会」は、「胎児条項」の導入を含む優生保護法の改正問題に対して激しい反対運動を展開していたのだ。こうした流れのなかで「行動綱領」も採択され、さらには原一男監督によるドキュメンタリー映画『さよならCP』も制作され、各地で上映会が開催された。「青い芝の会」のこれらの活動は、「障害者殺しの思想」を問うことを意味していた。1977年、九州大学で太田典礼と成田薫の講演会が行なわれたが、福岡青い芝の会と青年医師連合の抗議があったり、翌年の1978年の京都大学での学園祭実行委員による「安楽死のシンポジウム」で全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の抗議により、太田典礼の参加が急遽取り下げられるという事件もおきている。
 横田弘は、『障害者殺しの思想』(JCA出版、1980年)において太田典礼の次のような発言を取り上げている。
「(典礼曰く:筆者)植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用な者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性をもっているのであって、重症障害者やコウコツの老人から『われわれを大事にしろ』などといわれては、たまったものではない」
 太田典礼のこの発言に対し、横田は次のように批判している。
「これは、『週刊朝日』72年10月27日号『安楽死させられる側の声にならない声』いう記事にある元国会議員で、『日本安楽死協会』なる物をつくろうとしている太田典礼の言葉だ。私たち重度脳性マヒ者にとって絶対に許せない、又、絶対に許してはならないこの言葉こそ、実は脳性マヒ者殺し、経済審議会が2月8日に答申した新経済5カ年計画のなかでうたっている重度心身障害者全員の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情であることを、私はまず一点押さえておかなければならない」
 こうして太田典礼は、優生保護法制定者、擁護者にして安楽死運動の立役者というレッテルを張られ心身障害者と真っ向から対立することになったのである。太田典礼の安楽死運動は、当人の意図に反してマスコミにおいてしばしば心身障害者問題と結びつけられて語られることが多かったが、太田の優生運動と安楽死法制化運動は、「青い芝の会」によって否定されたのである。

3.日本安楽死協会の設立に向けて

 1973年に刊行された『安楽死のすすめ』(三一書房)では、「立法化への期待」と題して「任意安楽死法案」を明文化している。「本人の意志、希望を原則とし、非任意、強制ではない」とし、宣言書や、法的要件について言及している。1975年6月19日、「日本安楽死協会」の設立準備会が開催され、翌年の1976年1月20日、「日本安楽死協会」が設立された。同年、11月には協会理事の石川治が私案を作成。1978年2月に第一次法案委員会が発足し、石川治、飛田人徳、和田敏明理事によってそれぞれ私案が作られた。そして最終的には石川私案を骨子に作られた「自然死法第一次要綱案」が5月の第2回年次総会で報告された。6月末には第二次法案委員会が発足し、翌7月には衆参両院の法務、社会労働、文教各委員に法制化推進を文書により要望。延命措置を中止させる権利の確立を共通の目標とすることが確認された第二回安楽死国際会議をはさんで、11月29日、協会の「末期医療の特別措置法」草案が完成した。草案は理事会の審議を経て正式な協会案として発表された。この法案は、「安楽死」法の適用は、致死薬の投与という積極的安楽死ではなく、また「死にまさる苦痛の除去」ではなく、「過剰な延命治療の停止」であることが明確にされたのである。そして、こうした安楽死法制化運動の動向において真っ向から反対したのが、武谷三男、那須宗一、野間宏、水上勉、松田道雄ら文化人5人を呼びかけ人とする「安楽死法制化を阻止する会」であったのだ。

2021年5月22日土曜日

もはや“自殺予防”ではない。

No.5 予防とは何か
日本で“最も”自殺の少ない町の調査から気づかされたこと

慶應義塾大学SFC研究所・上席所員 岡 檀


SOS発信を促す。

 「病(やまい)は市(いち)に出せ」。これは海部町に伝わることわざです。

 「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味しています。「市」というのはマーケット、公開の場です。体調がおかしいと思ったらとにかく早目に開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲が何かしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合いだと、町の古老が話してくれました。

 同時にこの言葉には、やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒めがこめられています。悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思い切ってさらけ出せば、妙案を授けてくれる者がいるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態に至る前に周囲に相談せよ、という教えとなっています。とても合理的なリスクマネジメント術であると思います。

 こうした教えが浸透している結果であるのか、海部町は医療圏内で最もうつ受診率が高く、しかも軽症の段階で受診する人が多いという特徴があります。自身の不調を認め、早めに援助を求めている表れといえましょう。

 うつに対するタブー視の度合いも関係しています。海部町では、様子がおかしいと思った隣人に対し、「あんた、うつになっとんと違うん。早よ病院へ行て、薬もらい」などと、直接つけつけと言います。言われたほうもまたあっさりと、「ほやろか、ほな一度診てもらおか」と応じ、声をかけてくれた隣人と連れ立って受診したりする。地域の精神科病院医師の観察によれば、他町からの患者は家族に伴われて受診するのに対し、海部町からの患者は隣人に連れられてくることが多いのだそうです。

 対する自殺多発地域・A町ではどうかというと、うつを強くタブー視するA町では、海部町のこのエピソードを紹介するといつも小さなどよめきが起きます。うつ症状を示す住民に対し保健師が受診を勧めようものなら、「頭がおかしいやて噂になったら、子どもや孫にまで迷惑かかる」と強い拒否反応を示されるのが常であるといいます。

 この話を聞いてつくづく思うのは、いくら行政側が「うつかなと思ったら早めに受診を」と繰り返し唱えても、その効果には限界があるという現実です。地域社会のうつへのタブー視が弱まり、受診したからといって自分も家族も白眼視されることは無いという確信を持つことができて初めて、受療行動は促されるのであって、それが無いままにただ受診しなさいと言い続けても、行動変容は望めないでしょう。

 近年、我が国では、精神病床の入院患者を退院させ、入院治療中心から地域生活中心への移行を推進しています。海部町は医療圏内で患者の地域移行が最も進んでいると言われているのも、腑に落ちる話です。



もはや“自殺予防”ではない。

 ここまで読み進めてきて気づかれた方も多いと思います。私は自殺希少地域・海部町で自殺予防因子を見つけたと最初に書きましたが、しかしそれらのいずれもが、自殺予防を目的とした要素ではなかったということに思い至ります。海部町の人々は、自殺予防のことなんて考えたこともない。実際に私が調査に入るまで、全国有数の自殺希少地域であることを知っている住民なんていなかったのです。

 では、海部町の人たちは何をしてきたのか。コミュニティに属する人たちの誰もがそこそこ気持ちよく、息苦しい思いを味わうことなく、暮らしは山あり谷ありであっても極端に不幸になることのないよう、ただひたすらそんなことを思って試行錯誤していたら、おまけに自殺予防がついてきた。私の目にはそのように映ります。

 いかにして自殺を減らすかと、頭を抱えて悩むのではなく、いかにして心地よく暮らすかと、逆のほうから考えていけばいいじゃないかと、今わたしはそんなふうに考えています。

 本稿を締めくくるにあたり、冒頭で書いた「自殺の少ない町では、幸せな人が多いのだろうか」という問いに戻りましょう。

 3,300人の住民に参加してもらったアンケート調査の結果は真逆でした。周辺町村の中で、自分は幸せだと感じている人の比率は海部町が最も低かったのです。不幸せだと感じている人の比率もまた、最も低かった。海部町で最も多くの人が丸をつけた回答は、「幸せでも不幸せでもない」という選択肢でした。町の人たちにその結果を示すと、意外だという人はひとりもおらず、「ほれがちょうどええんと、ちゃいますか」と言って笑っています。

 海部町での調査を通して得られた気づき、学びは、ここではご紹介しきれないくらい沢山あるのですが、これもまた強く印象に残ったことのひとつでした。幸せでなくてはいけないという観念が人を息苦しくさせている可能性について、改めて深く考えさせられたのです。

《引用文献》
・岡檀、山内慶太、自殺希少地域のコミュニティ特性から抽出された「自殺予防因子」の検証 ―自殺希少地域および自殺多発地域における調査結果の比較から―. 日本社会精神医学会雑誌、第21巻2号、p167-180、2012
・岡檀、生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由(わけ)がある 講談社 2013


http://www.jamh.gr.jp/kokoro/series7/series7-5-3.html

2021年5月17日月曜日

「彼らは皆、自殺失敗者です」 漫画が告げる自殺未遂の「それから」

「彼らは皆、自殺失敗者です」 漫画が告げる自殺未遂の「それから」

竹内 章

2021年5月7日金曜日

日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち

子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち

子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 「聞いたとき、まさに“全てがガラガラと音を立てて崩れて落ちていく”という表現が当てはまるような衝撃でした。最初は冤罪だとか、何かとばっちりを受けたんだとか、何かの間違いではないかという思いでした」。

・【映像】犯罪加害者家族の苦悩 “制裁と孤独” 支援の在り方は

​​​​​​​ シンリさん(仮名、40代)は、現職の警察官だった夫が性犯罪で逮捕された経験を持っている。かつては自身も警察官だった経験から、「逮捕を知らせる刑事課長からの電話を受けた時、実名報道をされるかどうかが心配だったので、確認しました」。

 「予想通り、“する”との回答だったので、大変なことになったと感じました。両親、そして夫の両親に報告し、“私のせいで息子さんを犯罪者にしてしまった”というような“お詫び”の言葉を添えた記憶があります。それから子どもたちを集め“お父さんが逮捕されてしまった”という話をし、“これから色々なことがあると思うけど、あなたたちは何も悪くないから、もし何か言われたらママに言いなさい”というようなことを伝えたと思います。そして夫が逮捕・勾留されている警察署に出向き、刑事課長に“妻として監督不行届だった故にこういったことを起こしてしまった”とお詫びを申し上げました」。
 

■「子どもたちは学校でからかわれ、自分のブログには誹謗中傷も」

子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 実名が報じられることによって、近隣住民の間でもすぐに噂になってしまうだろうと予想していたシンリさん。その前に自ら子どもたちに伝えることを決断したが、やはり学校でからかわれるなどの被害に遭ってしまったという。
  
 仕事の集客のために実名で更新していたブログには誹謗中傷も寄せられた。「“犯人の奥さんはこの人です”みたいな感じでブログのリンクを貼られ、“奥さんが年上だったから不満だったのかな”など、性生活のことについてネタのように書かれることもありました。もう、商売どころじゃなくなりました」。

 さらに所属していたコミュニティの仲間からも、「シンリさんも同罪」「夫が罪を犯したら土下座するのが当たり前」といった心無い言葉、さらには自身に関わらないよう指示が回ることさえあったという。
子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 それでも「現職の警察官であれば実名で報道されるものだという認識があったので、止むを得ないと思っていましたし、加害者家族としては責任の一端があると感じていたので、“声を上げる”という考えも浮かびませんでした。精神的な孤独や苦労、不安でいっぱいでしたが、気持ちを聞いてくれる人もいません。生きていく自信もありませんでしたが、子どもたちを育てていくのは私しかいないという思いだけで走り続けてきたような感覚があります」。

 その後、夫の再犯をきっかけに離婚したシンリさん。「唯一、心に染みたのが、“あなたは悪くない”という救いの言葉でした。今も渦中で苦しんでらっしゃる方もいると思いますが、人生を諦めず、必ず道は開けるという希望を持って頑張っていただきたいなというふうに思っている」と絞り出した。
 

■「弟のことを知っている以上、やっぱり見捨てることはできない」

子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 ようこさん(仮名・大学生)は、高校生だった弟が女性用トイレで盗撮を行った疑いで逮捕された。

 「普段帰ってくる時間になっても帰って来ないので、家族で話をしていたら、実は逮捕されていました。まさか、あんな優しい弟が、と驚きました。性犯罪者というのは理解し得ない“異物”みたいなイメージがあったので。なかなか受け入れられませんでしたが、幼い頃から一緒にいた私も性格形成に少なからず関わっていると考えると、“犯罪者を作り出してしまったのか”なという責任も感じました」。

 葛藤を抱える娘を見かねた母親からは「“そんなに辛い思いをするくらいなら、弟と縁を切って自由に生きてもいいんだよ”と言われました。だけど、心優しい弟のことを知っている以上、やっぱり見捨てることはできないし、どっちかが死ぬまで支え合っていきたいと…。ただ、これから実名報道をされるかもしれない。そうなったら、私たちの苗字はすごく珍しいので、わかってしまうと思います。就職とか結婚とか、どうなるのかと不安があります」。
 

■「婚約が破談になったり、進学や就職を諦めるといった深刻なケースもある」

子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 このような悩みを抱える加害者家族たちの支援を行っているのが、NPO法人「ワールド・オープンハート」理事長の阿部恭子さんだ。大学院で被害者家族の研究をしている過程で、加害者家族たちが制度の網からこぼれ落ちていると知ったという。

 「日本に比べて犯罪者が多い欧米では、まず加害者本人への支援が普及していいて、そこに家族もカバーする仕組みが含まれていたりする。やはり出所後に家族を支える制度がないと家族が壊れ、罪を犯した人が社会復帰する土壌がなくなってしまう。そこで受刑者が多い国では、長期の受刑生活を送った元受刑者と家族の断絶を防ぐためのサポートも非常に盛んだ」。
子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 阿部さんが海外の事例を参考に支援活動を始めたところ、全国から問い合わせの電話が殺到。今も年間300件ほどの相談を受けている。ただ、阿部さんたちのような加害者家族支援を行う団体は未だ日本に3つしかないというのが現実だ。

 「やはり実名報道をされてしまった場合、生活が一変して家族は外出をするのも困難になってしまう。統計では自殺を考える人が多いという結果が出ているが、やはり私たちのところにも“家族が逮捕されました。死にたい”“世間に顔向けできない”と訴える方が非常に多い。また、お子さんの場合、婚約が破談になったり、進学や就職を諦めるといった深刻なケースもある。それでも“自分も加害者だ”“自分のせいでこういうことになった”“止められなかった”と思い込み、“どんなに追い込まれても助けを求めてはいけないんじゃないか”と考えているケースが非常に多い。また、どこに相談したらいいかも分からず、一人で抱え込んでしまっている方も多い」。
 

■「批判に対しては、本人と加害者とは別人格だと申し上げるようにしている」

子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 米コロラド州出身のパックンは「アメリカでは前科のある方が身内にいる割合が45%、黒人になると60%を超えている。だからこそ加害者本人と加害者家族とを切り離して考えるメンタリティがあるし、自助グループやカウンセリングなどのサポートも発達している。周囲が加害者家族を見る目も日本とは違うのはそのためだ。一方で、被害者や、その家族のことも常に念頭に入れておかないと、議論のバランスが悪くなる。特に日本には連帯責任、集団主義が深く根付いていると思うし、“加害者をかばうのか”と言われることもあるのではないか」と阿部さんに尋ねた。
子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 阿部さんは「テキサス州で開催された加害者家族の集いに参加した時に感じたのは、ご両親が“僕の子どもは死刑囚で、今刑務所にいる”というようなカミングアウトをすることに躊躇がないということだった。また、海外では加害者家族がマスコミのインタビューに顔出しで出てくる。もちろん“育て方が悪かったのではないか”といった批判をされることはあるだろうが、やはり家族が重罪を犯したということを公表しても社会的な地位を奪われるということがないからこそ、加害者家族の存在が可視化されているのだと思う。
子どもの婚約が破談、進学や就職に支障も…“連帯責任”の日本社会に苦しむ犯罪加害者家族と支援者たち
 実際、この活動を10年以上にわたって続けてきて感じていることは、加害者家族の支援はハードルが高いということ。公的な支援がないということはもちろん、“加害者家族をかばうのか”“被害者こそ支援すべきではないのか”という批判も受ける。支援にあたっては、まずそこを覚悟しなくてはならない。そういう時、私は本人と加害者とは別人格だと申し上げることにしている。欧米に比べて犯罪者自体が少ない日本では、加害者家族の問題そのものに関心がある方が少ない。そこをきちんと伝え、社会で問題を共有するということ重要だと思う」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
 https://times.abema.tv/news-article/8656970 

2021年5月4日火曜日

長尾和宏医師のブログから日本尊厳死協会について

 

日本尊厳死協会    

2012年11月22日(木)http://blog.drnagao.com/2012/11/post-2775.html


一昨日は日本尊厳死協会関西支部の運営委員会が2時間半あった。
12.5万人もの会員がいるこの組織のことを、ちゃんと話しておこう。
尊厳死も、尊厳死協会も、法制化も、まったく知らないひとのために。

日本尊厳死協会は、一般社団法人です。

顧問には、大会社の社長さんや会長さんがおられる。

理事長はお医者さん。
副理事長は、市民、弁護士、医師など。
理事は、多種多様な職種。

長尾は、医者として副理事長職をしていなない。
一市民として、この役職を拝命している。
私自身ももちろん会員である。

会員とは、リビングウイルを表明している人。
リビングウイルは、世界では当たり前のこと。
日本では、これを言っただけで攻撃される。

会員には、実にいろんなひとがいる。
もちろん、ALSなど、難病患者さんもいるし、
10代、20代の会員さんもいる。

リビングウイルを表明している、ALS患者さんは少なくない。
私自身、ALSの患者さんを何人か診させていただいている。
全員に、胃ろうと人工呼吸器を勧めている。

実際に、呼吸器管理の方が何人かおられる。
おそらく、胃ろうや人工呼吸を一番、しつこく勧める医師だろう。
拒否する人には、地上げ屋さんのように、夜がけ、朝がけして勧めている。

これらは延命措置ではなく、福祉用具なので当然だ。
できるだけ、いい医療、いいケアを受けて、生を楽しんでほしい。
これが、たくさんの難病患者さんを診させて頂いている自分の願い。

ALS以外の難病の患者さんも沢山見ているし、
患者会から講演も頼まれ、いろんなイベントにも参加している。
難病患者連絡会とは、常に連携している。

メデイアや宗教連盟や法曹界が作る対立構図は
意味がまったく分からない。
何も知らないひとが勝手に、対立を演出する。

せめて、以上の事実を知ってから取材に来てほしいが、
なんの知識もないメデイアの相手を毎日している。
まるでオウム真理教のような扱いをされるので閉口してしまう。

私が診ているALS患者さんたちに聞いて欲しい。
長尾が殺人者かって?
こないだ。そんな話をしたら、ALS患者さんに笑われた。

某有名メデイアに、「ALSの方がたくさん尊厳死協会に入られているのですよ」
と説明したら、「嘘だ」と絶句された。
嘘もなにも、ただの現実。

だから、リビングウイル協会と言った方が理解しやすいだろうか。
リビングウイルの啓発と管理を行っている人権団体だ。
もちろん、法的に認めて欲しいとも願っている。

しかし当たり前のことが当たり前でない日本。
たった数人の洗脳学者に騙されているひとたちが可哀そうでならない。
しかし洗脳を解くのは難しいだろう。

ただでさえ、辛い毎日を、笑って楽しく生きて欲しい。
洗脳学者のマインドコントロールから目覚めて欲しい。
御用学者に操られていることに、気が付いてほしい。

医師の8割がリビングウイル法制化に賛成している。
市民もおそらくそうだろう。

公開中の映画、「終の信託」を見た人の8割が
逮捕された医師は無罪であると答えている。(日経新聞報道)

明らかな殺人(尊厳死ではない)でも、無罪と言っているのだ!

ということは、尊厳死には、ほぼ全員が賛成だろう。

リビングウイルが口頭にすぎず、1人の医師の判断であり、
尊厳死でなく殺人であっても、「無罪」との市民の声が持つ意味は極めて大きいと考える。

尊厳死協会の会員さんは、当たり前のことを言っているだけ。
法制化は、日本国民のことを想い、真剣に主張されている。

私は、会員さんの代弁者にすぎない。

関西だけでも、1万8千人もの会員さんがおられる。
これはすごい人数だ。

みなさん、毎年、2000円の会費を払って
カードを大切に持ち歩いておられる。

関西支部の理事は、約10人。
医師は私一人。
弁護士はゼロ。

私以外は、全員、一般市民。
実は、私も一般市民なのだが、
たまたま医師でもあるので、支部長を拝命しているだけ。

私は、協会の方が好きだ。
私の患者さんの中にも、何十人かおられるが、みんなほんとうに優しい。
穏やかな最期を本気で望んでいる方は、本当に穏やかな方ばかり。

私は、そんな素敵なひとたちのお役に立ちたいと思い
ボランテイア活動をさせていただいている。
診療をサボって、患者さんに怒られるが。(笑)

日本をもっと強く、楽しい国にしたい。
今は危機だが。
そのためには、一人ひとりが死生観を持って生きることだ。

それは、私が医師を目指した原点でもあり、
現場の医師としてのライフワークでもある。

こうした活動に、30年以上、携わってきた。

以上が、協会の概略だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
私は、12.5万人の方の願いを叶えたい。


PS)
このブログをお読みのみなさまも、
是非、ご入会いただき、一緒に
リビングウイルを勉強しませんか?
http://www.songenshi-kyokai.com/

自分の最期の生き方は、自分で決めませんか!?

2021年5月2日日曜日

恐ろしい利権から逃れる権利を得ることでもある。

医師だけでなく、弁護士、政治家、社会活動家など、弱者の味方として活動する全ての方に聞いて欲しい。

安楽死制度と向き合えない方は、真の弱者の味方とは言えない。

弱い者、困っている人を助けることは素晴らしい経験です。
多くの方を助けて来られたのであれば、それは誇りに思って良いと思います。

しかし、助けることが出来なかった人々の存在について、今一度考えていただきたい。
それぞれの立場から、困っている人、弱者を助けてきたと思います。
あなたが助けることの出来なかった方は、他の誰かが助けてくれたのでしょうか?

「都合の良い弱者を選んで喜んでいるだけで、本当の弱者は救われない。」

あなたに助けを求めてきた人は、どのような経緯で助けを求めに来たのでしょうか?
本当の弱者は、誰に助けを求めれば良いのでしょうか?

私の考える安楽死制度は、本当の弱者を見える化するための制度です。
本当の弱者を見える化して、地域で考え、支え合うための制度です。

私は、社会的弱者を生み出さないための様々な活動を行ってきました。
弱者を助けるためには、高度医療や専門的な知識が必要なこともあります。
しかし、高度医療や専門的な知識が必ずしも、人々を幸せにするとは限りません。

利権は恐ろしいです。貧困ビジネス、介護問題、終末期医療、高度医療や専門的知識、社会保障制度、これらが地獄のようなおぞましい状況を生み出すことがあります。

世の中の弱者の味方と呼ばれる様々な方を見てきました。
高度医療や専門的知識、社会保障制度は、世の中に存在しない方が良いと思うこともありました。

本当の弱者とは、社会問題になるような特定の弱者だけではありません。
世の中には様々な形の弱者が存在します。その存在に気付き、寄り添い、地域で支え合える体制が必要だと考えます。そして、最後は信頼できる人に託し、安心して亡くなる事のできる体制。
私だって社会保障制度の犠牲になりたくありません。命懸けでこの活動を完遂したいと考えています。

日本は自殺者の数がとても多いです。私自身も身近な人を亡くしたことがあります。
どうしてこんな死に方をしなくてはいけなかったのか。何か出来ることはなかったか。最後の言葉を聞きたい。自分は何も出来なかった。
様々な思いが込み上げてきます。

安楽死制度を認めることで、自殺しなくて良い、安心して亡くなることの出来る社会が実現できます。

安楽死制度を認めることは、恐ろしい利権、終末期医療から逃れる権利を得ることでもあります。

活動への協力をお願いします。

https://note.com/903spo/n/nf9cf2828d713

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年4月15日 20:38 論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか ▼前回記事 「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳に...