2020年11月6日金曜日

曖昧な老衰という概念は、医療会から無くした方が良い。

気になった記事のリンク切れを心配して、ブログの下書きにコピペしたものが溜まっている。
幸いにも、この記事は今でもリンク切れしていない。参考にして欲しい。



曖昧な老衰という概念は、医療会から無くした方が良い。
医療不審の原因は、極めてシンプル。
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2019.08.14

実は日本人の死因第3位「老衰で死ぬ」とはどういうことか
どこも悪くなかったのに…の研究
週刊現代プロフィール



わずか3週間で逝った父
「父を老衰で亡くしてから、もう半年が経とうとしています。83歳だった父は重い病気を患ったこともなく、悪いところなんてどこにもなかった。ところが亡くなる3週間前から、目に見えて体力が落ちていったんです。

私が異変に気付いたのは、今年1月のある日。いつもと変わらない朝食での出来事がきっかけでした。それまで父は決まって朝7時に朝ごはんを食べていた。メニューはいつも一汁三菜のシンプルな和食です。

でも、その日、急に父が『今日はご飯、食べたくないな』と言い出した。父は健啖家で食べることが大好きだったので、戸惑いました。昼食の時間になっても、茶碗によそわれたご飯を一口、二口しか食べようとしない。体調が悪いのかと尋ねても、しきりに首をひねるばかり。自分でも何が起きたのかわからず混乱している表情を浮かべていました」

こう語るのは、東京都在住の小林慎太郎さん(58歳、仮名)。実父である幸助さんを半年前、老衰で亡くしたばかりだ。


慎太郎さんが幸助さんと一緒に暮らし始めたのは4年前。母の恵子さん(享年76)が乳がんで逝き、一人暮らしになってしまった父の身を案じた長男の慎太郎さんが同居を持ちかけてのことだった。

「それから亡くなるまでの3週間は、あっという間に過ぎてしまった。父は日に日に衰弱していき、枯れ木のように痩せていきました。

父が息を引き取った時、自宅で看取ってくれたかかりつけの先生はその死因を『老衰です』と診断しました。老衰というと、ただただ穏やかに、本人も含めた誰もが納得する『いい死に方』だと思っていた。ですが実際、当事者になると必ずしもそうではないんだと実感したんです」

いまや老衰は国内の「三大死因」のひとつにも数えられるほど。厚労省が今年6月に発表した'18年の人口動態統計では、初めて脳血管疾患や肺炎を抜いて、1位のがん、2位の心疾患(心筋梗塞など)に次ぐ死因3位にランクインした。いま、日本では年間10万人以上が老衰でこの世を去っている。

理想の亡くなり方を問われると、多くの人が「最期は老衰で死にたい」と口を揃える。だが、一度立ち止まって考えてみたい。そもそも、老衰とは一体なんだろうか。そして、老衰で亡くなるまでに、どのような過程を辿るのか。

慎太郎さんが語るように、一般的に老衰は加齢によって体が機能しなくなり、ゆっくり死を迎えるというイメージがある。その点で、心疾患などが突発的に起きたことで24時間以内に死亡する突然死とは違う。

「老衰の基準というのは、死亡診断書を書く医師によってまちまちでブレがあるんです。医者の間でさえも、共通の認識や見解が出来ているわけではありません。

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いまの日本人の平均寿命は、男性が81・09歳、女性が87・26歳。その寿命と照らし合わせて、80歳後半を過ぎて亡くなった高齢者には老衰という診断をつける医者が多いのが実情です。でも、何歳以上ならば老衰だと言える明確なルールは存在しません」(病理専門医の榎木英介氏)

50代で老衰もあった

老衰が昨年の人口動態統計で死因の第3位に浮上したのには、医学界の大きな方針転換がある。

'17年に日本呼吸器学会が出した「成人肺炎診療ガイドライン」。ここで初めて、患者に対して踏み込んだ治療方針が示された。

その中では、終末期の患者には「個人の意思やQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を考慮した治療・ケア」が行われるべきだとハッキリ書かれている。つまり、患者によっては積極的な治療を実施せず、無理のない最期を迎えてもらおうという内容が盛り込まれたのだ。

これは「病を治すこと」を至上命題として掲げている医学界としては革命的なこと。実際、ガイドラインに後押しされるように、誤嚥性肺炎で亡くなった患者の死亡診断書にも「肺炎」ではなく、「老衰」と書く医者が急激に増えている。

「私自身を含め、これまでの日本の医学界では、とにかく手術や薬でなんでも治すことに重きが置かれてきました。

医療こそが人間を助け、生かしてくれるものだという価値観を信じて疑わなかったんです。でも、どんな生き物であってもいずれは免疫力が尽きて朽ちていくもの。現代の多死社会の中で、人生の終着点として老衰が見直されているのは、ごくごく自然な成り行きといえます」(世田谷区立特別養護老人ホームの石飛幸三医師)

ここでひとつの疑問が生まれてくる。たとえば第二次世界大戦直後の'47年、日本人の平均寿命は男性で50・06歳、女性で53・96歳だった。平均寿命がいまよりも30歳以上短かった当時にも、老衰という概念はあったのだろうか。

実は前出の厚労省の人口動態統計を見ると、その頃から年間5万人以上の日本人が老衰で亡くなっている。つまり、50代で老衰で亡くなる人もいたということだ。だが、いまの時代に50代の人が衰弱死しても、老衰という診断が下されることはまずない。

「老衰と判断するにはあまりに若すぎる」という、医者の主観的な判断が働くからだ。こう考えると、やはり老衰とはどこまでいっても「なんとなく」で診断される、漠然とした概念なのだ。

「そうとも言い切れないだろう」と、前出の榎木氏は語る。

「老衰と診断された死亡患者も、実際に病理解剖を行えば心筋梗塞や脳梗塞など、他の死因がかなりの高確率で判明するもの。ですが、現実問題としてそこまでの時間とコストをかけて死因を特定するようなことはしないでしょう。

遺されたご遺族も『がんや心筋梗塞で死んだとするよりも、老衰で死んだといったほうが外聞がいい』と、意図的に老衰を選択することも多々あります。

さらに老衰という名のもとに、病院側も患者への虐待や医療ミスを隠蔽することだって起こりうる。老衰が都合よく隠れ蓑に使われ、悪用されてしまうのです。そう考えてみると、手放しに素晴らしい亡くなり方だとも言いきれないことがわかります」

性格まで変わった

ではその一方で、在宅で老衰死を迎える人は一体どんな経過を辿るのだろうか。はたしてそれは多くの人が夢想するような「幸せな逝き方」なのだろうか。

冒頭の幸助さんのエピソードに戻ろう。慎太郎さんは父が自宅で息を引き取るまでの3週間を、克明に振り返る。

「父がご飯を食べようとしなくなってからも、しばらくは『お願いだからちゃんと食べてくれ』と、無理やり食事を摂らせていたんです。父も明らかに気が進まないながらも『わかったよ』と、食卓に座ってくれた。これまで通りの量、というわけにはいきませんでしたが、一日三食は欠かしませんでした。

それでも父は日を追うごとに痩せ細っていきました。165cm、55kgだった体は、たった1週間で50kg未満にまで体重が落ち込んでしまった。時間がかかってでも、食事は口にしている。嘔吐して戻したりすることも一切ありませんでした。

それなのに、なんで体重が落ち続けるんだろうと。父の様子を見ていると、カロリーを摂っても栄養がちゃんと吸収されず、スルスルと抜け落ちていくようでした」

Image by iStock

実は、これはまさに老衰で亡くなる高齢者に多くみられる典型的な現象。年齢を重ねるにつれて、体内の細胞数はみるみる減少していく。それが原因で栄養素を吸収する小腸の組織や筋肉が萎縮してしまうのだ。

小腸の内側はヒダ状になっており、食事を摂った際、そこから効率的に養分を運べる仕組みになっている。だが、老衰の状態になるとヒダが収縮してしまう。せっかく摂った食事を体内に上手く取り込むことができず、体重減少に歯止めがかからなくなる。


「その頃になると、父の動きは目にみえてスローモーションになっていきました。たとえば歯を磨くときも、コップを手にもったまま10分ほど洗面台の前で立ち尽くしているんです。どうしたのかと声をかけても、『おぉ……』と返答するだけ。

それまではうるさいほどお喋りな性格だったのに、会話のキャッチボールすらままならなくなる。性格まで変わったように大人しくなってしまいました。孫たちと遊ぶ時間をなによりの楽しみにしていた父を見てきた私としては寂しい限りでした。

父は庭いじりも趣味で、毎日のように庭でガーデニングをしていました。ですが、亡くなる2週間前からは外に出る気力も感じられず、縁側に腰かけてボーッとしていた。体に苦しみや痛みが出ている様子はありませんでしたが、思い通りに体を動かせないことに本人もどこか納得がいっていないようでした。

無理に食べさせていた食事も、亡くなる1週間前になるとほとんど受けつけなくなった。水も一日に300mlも飲めればまだいいほう。本当に舐めるだけなんです。布団に横になる時間も増えていった。体の水分が抜けて、まるで木が枯れていくような印象を受けました」

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細胞が老化すると「炎症性サイトカイン」と呼ばれる免疫物質が体内で大量に発生する。この物質が分泌されると体内の臓器が炎症を起こし、一気に機能低下が起きてしまう。幸助さんの動きが緩慢になったのも、これが原因だ。

たとえば筋肉がサイトカインによって炎症を起こすと運動機能が衰える。その結果、肺を動かす筋肉も動かなくなってしまい、呼吸も浅くなっていく。そうやって、少しずつ生命維持が難しくなってしまうのだ。

当然、最後の1週間を迎えるころには、慎太郎さんも父の先は長くないと感じ取っていた。

普段の会話の中で、かねてから幸助さんは「絶対に病院で薬漬けになって死にたくない」と語っていた。そんな経緯もあって、慎太郎さんは万一のことがあっても父を病院に連れていかず、自宅で看取ることを決意した。

最後の3日間、衰弱していく幸助さんの傍にいながら、慎太郎さんは父の体調が急変したときに備え、緊急の連絡網などを整理した。だが、それと同時に、この3週間の幸助さんの変調をまだ受け入れられないでいた。心の準備がどうしても追いつかなかったのだ。

「それまでは、老衰にはゆっくり時間をかけて死んでいくイメージがありました。私自身も、素敵だな、そんな形で最期を迎えたいな、とすら願っていた。でも、いざ父が衰弱していく現実に直面すると、『あんなに元気だったのに、こんな急に体調が変わるのか』というのが率直な思いでした。

残りの2日、父は寝たきりの状態になり、目はずっと閉じたまま。一切なにも口にしなくなり、ベッドに横たわったまま死んでいきました。

死後、周囲からは『お父さんも老衰で穏やかな最期を迎えられて、よかったね』と気遣う声をかけてもらいました。でも、私としてはどこか釈然としない気持ちでした。どうしても、『どこも悪くなかったのに、なんでこんな急にいなくなったんだ』というモヤモヤが消えませんでした」

本人は覚悟もできない

慎太郎さんが語るように、幸助さんは老衰で亡くなる前は大病を患ったことすらなく、健康そのものだった。本人にしても80歳はおろか、90歳、100歳になっても自分が衰えていくとは思っていなかったはずだ。それにもかかわらず、ある日を境にして、たったの3週間で人生の幕が閉じられてしまった。

ケアマネージャーとしてこれまで多くの高齢者の死に立ち会ってきた訪問介護会社「ぽけっと」代表・上田浩美氏は、老衰のもうひとつの側面をこう指摘する。

「いわゆる孤独死といわれている人たちの死因は、実はほとんどが老衰なんです。彼らは社会との接点を失い、50~60代以上の年齢に差し掛かっても外部と関わることなく引き籠もり生活を送っている。

+そんな人たちは目の前の生活に絶望し、食事もまともに摂らない。生きる気力を失い、限りなく自殺に近い老衰を選択するようになるんです。この現実をみても、老衰と一口にいっても実態は悲惨な現実がある。その点を忘れてはいけません」

これからも老衰死を望む人々は後を絶たないだろう。だが、それは必ずしも「天国への切符」ではないのだ。

『週刊現代』2019年8月3日号より


以上、引用文。

時期は自分で選ぶべきではない。自然を受け入れるべきだという信仰が根強いと思う。

しかし、医療の発達した現代において既に自然死は存在せず、その判断を医師に委ねているのが現状である。

私は、自分の死を医師に委ねたくない。自分の死は、自分で選びたい。

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