2023年1月2日月曜日

安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第2部)

安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第2部)

西智弘(Tomohiro Nishi)
2022年12月30日 21:01

論点:安楽死を実行/介助することができるのは医師に限定すべきか

 前回の記事では、「安楽死を実行するのは誰か」というテーマにおいて、医師全員にその資格を与えるべきか、与えた場合と与えない場合でどのようなメリット、デメリットがあるのか、について解説しました。

 医師全員が安楽死を実行できるようにするにせよ、実行するための資格を別途準備するにせよ、大きな混乱が起きることは必至です。安楽死賛成・反対の議論を行う上で、「そもそも制度化が実現されたとして、それを実行に移せる人がどこにいるのか?」「資格をもった医師を作るとして、それが日本に何人生まれるのか?そしてその医師にどうやってアクセスできるのか」といった議論抜きでは、安楽死制度を実行していくことなど不可能なのです。

 では、考え方を変えて「そもそも、安楽死制度を実行できる資格は、医師のみに認められるべきなのか?」としてみたらいかがでしょう?

医師以外に安楽死が実行できる制度は存在しない

 世界で安楽死制度を採用している国のうち、その実行に医師が関与しない制度をしいている国は、僕の知る限りでは存在しません(いや、この国は実行しているというのをご存知でしたら教えてください)。
 安楽死制度を実行するにあたり、そのための薬を「処方」する権限が、基本的に医師にしか認められていない国がほとんどだからだと思います。他にも、余命や疾病の重大性、治療の可能性などについて総合的に評価できるのは医師に限られるため、その実行のプロセスに医師が関与しないことは、安楽死を希望する人にとって不利益が大きくなる恐れがあるというのもあるでしょう。
 しかし、前回も述べたように、医師は単純な医学的判断のみで臨床を行っているわけではありません。医師も人間ですから、個人的な感情や信念、宗教的バックグラウンドなど多様な背景を持っています。当然ですが、それらによって治療方針は大きく揺るがされる、というのが普通です。よって、安楽死のプロセスに医師が関与したとしても、その医師がそもそも安楽死に「賛成」なのか「反対」なのかによって、大きく行く末が変わってしまう恐れがあります。それであれば、そもそもそんな不確かな「医師」などという存在に、生殺与奪の権を与えるべきなのでしょうか? という疑問が湧いてきませんか?

医師はあくまでも「生命の保護者」の立場を守るべき

 そう考えていくと、安楽死実行のプロセスに、実は医師は不要なのではないか、という発想も十分に検討の余地があります。

 医師はそもそも、患者の生命を短縮するという行為に拒否感を持っていることが多いですし、それが医師としては当然の倫理観と言えます。もう少し言えば、「医師は患者の生命をできる限り延長すること以外を考えるべきではない」ということです。

 もし、医師に安楽死制度を実行する資格を与えたとしたら、ある患者では安楽死を実行し生命を短縮する一方で、別の患者ではできる限りの投薬を行い生命を延長させる診療を、混合して行うことになります。その場合、どれだけの医師が、自分の中での倫理的整合性を維持できるでしょうか?少なくない医師が、安楽死によって患者の生命を短縮することに罪悪感を覚え、そのまま精神的につぶれていくか、もしくは「自分が行ったことは悪いことではない、だって患者が望んだことだから」と責任を転嫁し、医師としての判断力の統一性が失われていくでしょう。判断基準を持たない医師の診療など、一般的に危なくて信頼できません。具体的には「(私が)かわいそうだと思ったから、この患者は死なせてあげても良いと思った」といった発想に傾いていってしまい、本来であれば必要な治療を差し控えられたり、患者を言いくるめて安楽死を希望するように誘導するようになってしまうかもしれません。
 それであれば、医師はあくまでも「生命の守護者」としての役割だけを与え、安楽死制度から遠ざけてしまった方がシンプルです。安楽死を希望する患者が目の前にいるのなら、その方向に行かないよう、医師として最大限の配慮や提案をする。それでも患者自身が安楽死制度の利用に向かうことは、それはそれで自由意志として尊重される、という関係性です。
 そもそも、安楽死制度への最も強大な反対集団は医師なのですから、最初から医師には安楽死制度のプロセスから排除してしまった方が、賛成派の方々にとっても良いことかもしれません。

 ただ、安楽死を希望する方の病状の評価や精神鑑定といった医師しか行えない点では、関与は最低限必要にはなってしまうでしょう。しかしそれはあくまでも「客観的および中立な立場で判断をする」に留めるべきで、診断書を粛々と記載する、という役割のみを引き受けるということです。

医師が判断しない、では誰が?

 では、医師が安楽死制度を実行しないとなると、誰がそれを実行すべきでしょうか?
 現実的な案としては、裁判所が最終的な判断を行うというのが妥当な線かなと思います。安楽死制度が法的に認められたという前提で、その実行について必要な書類を作成して、裁判所に申請し、不備が無ければ「許可証」が発行される。その「許可証」がある限りにおいて、薬局にて安楽死薬を入手することができる、という感じでしょうか。
 もちろん、このシステムの場合、プロセスを順々に踏んで行って、さらに膨大な書類の準備が必要となるため、一定数で「本当は安楽死制度を使いたかったのに、手続きを勘違いしたせいで適応を受けられなかった」人が発生するでしょうが。なので、この手続きをサポートする代行業者などが生まれていくのでしょうねえ・・・。手続きを失敗すると、制度の性質上後戻りすることはかなり難しいでしょうから、高額で業者に依頼する方がリスクが少ないと判断されるかなと。ただ、業者も絶対にミスが許されないから、そんなリスクを背負う方がどれくらい出るものかですが・・・(失敗して裁判になったら賠償額とんでもない)。

 あとは、将来的にパーソナルAIが発展すれば、上記のプロセスの多くを代行したり、省略できるようになるとは思います。パーソナルAIは、その記録端末(スマホよりはウォッチ、眼鏡や埋め込みチップなどの方が優秀)が稼働している時間中の全ての発言や行動パターンを記録するものなので、「本人がこのような状況になったら、どう行動するものか」を的確に、情緒的配慮も無しに判断してくれます。セキュリティの問題はあるかもしれませんが、上記のように裁判所やサポート業者、また医師が人力でこなしていた部分についても、AIが一部を代行してくれることで、かなり省力化してスムーズに安楽死に向かえるシステムができることでしょう。


 そんな世界は、怖いと思いますか?
 それとも、自らの意志を誰からも制限されない、自由で素晴らしい世界だと思いますか?

※この連載は、公開から1週間は無料です。その後は有料購読または定期購読マガジン「コトバとコミュニティの実験場」への登録でいつでも全文をご覧いただけます。この機会に、ぜひマガジンへのご登録をお願いします。


https://note.com/tnishi1/n/n813de5f94b5d

 

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年4月15日 20:38 論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか ▼前回記事 「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳に...