2020年1月10日金曜日

陳情書素案

90日以上の猶予期間を設けた公的安楽死制度実現への陳情

〈問題提起〉

医学的には解決のできない持続的な苦痛は存在します。
このような問題に対して、生命の維持だけを目的としない、本人の意思を尊重した延命治療の拒否、苦痛を取り除く緩和医療のようなQOLを優先した医療のあり方が一般的になってきました。
海外では、尊厳死や安楽死を認める法案が少しずつ拡がりを見せています。国際的にも人権の観点から安楽死を認める方向に進んでおりますが、各国の動きは極めて緩やかなものに見えます。

これまでは、医学的に解決できない持続的な苦痛の問題は、人権や生存権を守る社会を形成する上でのデメリット、副作用といった位置にありました。
しかし今日、世界の先進国では、未だにホームレス等の貧困問題は存在し、格差、少子高齢化、若者の生き辛さ、ひきこもりといった問題も先進国共通の問題として存在しているのが現状であると思います。

日本が高度医療の恩恵によって、世界に先駆けて超高齢化社会に突入したことは誰もが認める事実です。その一方で生命維持を最優先した、望まない延命治療の問題や解決策のない少子化問題、急激に格差社会に移行したことによる貧困問題、どれをとっても他の先進国以上に大きな問題を抱えていると言えるのではないでしょうか。

さらに日本は、年間2万人を超える自殺大国であり、その度に警察が出動し捜索活動、事件性の捜査活動が行われております。また、増加傾向にある孤独死、変死体の中には、一昔前であれば自殺に含まれているケースも含まれます。操作依頼が出されないなどで捜査対象に含まれない行方不明者、失踪者の数は統計上は把握しきれませんが、1万人程度いると言われています。
このような、自殺や変死による警察への負担や捜査依頼のない行方不明者の問題は大きな問題であり、制度によってある程度軽減できるものと考えています。

医学的に解決できない持続的な苦痛の問題。死にたいと望む者の自殺、他殺、自殺幇助を認めない社会のあり方は、当事者にとっては終わりの見えない地獄であり、それは死刑よりも遥かに残酷です。世界的に見ても、適切な方法で積極的安楽死を認めていくことは、人権や生存権、人としての尊厳を守ることに繋がる行為として支持される時代になっていると言えるでしょう。


・望まない延命治療は、国内でも大きな問題であった。現在は実質的な安楽死や尊厳死が認められており状況は大きく改善しているが、法整備の面では大きく遅れをとっており、患者の意思が尊重される保証がない。
・高齢者や癌患者等の普段から医師に接する機会の多い者以外は、医師との信頼関係を築くのは難しく、政府の進める人生会議のような制度は絵に描いた餅である。
・安楽死制度のない状態で終末期医療について考えることは、専門性の極めて高い話になるため困難である。
・安楽死制度のない状態での自殺対策は、特に対象が男性の場合において多くの場合は無意味である。
・自殺願望のあるものを保護する施設は必要である。
・保護施設は安楽死を希望するものだけではなく、安楽死を選ばなかった者、社会不適合者等、幅広い保護希望者の生活を保障できるものでなければならない。
・保護施設は、生活保護制度と並ぶもう一つのセーフティーネットとして機能する物になる。そのため、医療、自殺、行方不明者、貧困問題等、幅広い社会問題に対応するものとなる。

〈希望する制度の内容〉

私の考える具体的な制度内容を以下に示す。

安楽死希望者は希望理由の記入等の必要書類を揃え、申請手続きを行う。
執行は、申請後90日以上の猶予期間を設ける。
行政は、90日以内に申請の受理を行う。
90日間の内、最低30日間を行政管理下の保護施設で過ごすものとする。
希望であれば執行日までの全日を施設で保護することも可能。
行政は、執行までの間、安楽死回避の為の最大限の対応を行う。
日時と場所は、出来る限り希望に沿ったものとし、執行の直前まで撤回可能。
保護施設は、執行しなかった場合の、その後の生活も可能。
安楽死を希望しない者の保護も可能。
保護施設の実態、安楽死執行の実態は公表、周知を徹底するものとする。
周知の為、広報の全戸配布を徹底する。

以下、五つの基本方針により、全ての人が生きがいをもって生き生きと生活できる社会の構築を目指すものとする。

本人の意思を尊重した安楽死執行。
安楽死回避への最大限の努力。
公表の原則。
周知の徹底。
施設による幅広い保護。

〈制度のポイント〉

我が国における安楽死制度の一番の問題点は、自発的な選択ではない同調圧力による選択がなされることを恐れてのものでした。
保護施設の存在は、同調圧力からの開放だけではありません。孤立化、ひきこもり、孤独死等の現代社会特有の問題への対応や、年金目当ての延命措置の心配からの開放という側面もあります。
保護施設の実態は、積極的に公表、周知を徹底されるべきものです。性質の違いから既存の対策と平行して存続できるものであり、既存の生活保護制度の在り方等にも大きな影響を与えるものになります。

他国の安楽死制度は、非常に条件の厳しいものになっています。これは、医学的に解決のできない持続的な苦痛に対して限定的に対応するためのものであって、限定しても相当数の該当者が集まってしまうため条件を緩めることが難しくなっていると思われます。
当然ですが、条件をつけることは、実在する問題に限定的にしか対応しないことを意味し、好ましい対応とは言えません。また、条件をつけることで申告の内容が歪曲される懸念もあります。医学的に解決できない持続的な苦痛は第三者に判断できるものではありません。

我が国が優先して対応すべき問題は、貧困問題。現在は年金が社会保障問題の中心となっておりますが、国民年金受給者等、既に年金だけで生活出来ない層が増えています。
今後は生活保護が社会保障の中心になることは間違いありません。
しかし、現在の生活保護制度は、社会保障制度の中心になるような制度ではありません。現在の生活保護制度の補足率は2割程度と言われています。国民の多くが、極めて問題の多い制度であることを認識しています。

私の考える安楽死制度の対象は、意識がはっきりとした自力で書類手続きの可能な個人で、情報公開に同意できる者に限られます。
終末期医療や認知症、尊厳死のような判断の難しい問題とは無縁である。
意識や判断能力が失われた場合を考える終末期医療の問題に比べて、国民が自分の人生の最後と向き合う上で最もわかりやすくポピュラーであり、重要な制度です。
意識や判断能力が残っているにも関わらず、その主張が認められない。その事で自殺に追い詰められる者も出てくる。尊厳死等の問題に比べて極めて重要な制度です。
私が安楽死制度を重要視する理由は、安楽死制度がない事が、最悪の状況を生み出す可能性があるからです。別の言い方をすると、もし事故で最悪の状態になった場合、最後の望みになるのは安楽死制度に他ならないからです。
尊厳死法案等の制度に先駆けて施行されるべきだと考えます。


何か大きな事件が起きた時に、事件が大きく報道され、その時に初めて社会問題として注目を受けるような現代社会の在り方は問題があります。
社会問題と自己顕示欲の問題は非常に重要です。集団での暴動の起こりにくい現代社会において、情報公開性の高い社会保障制度の構築は意義があります。

プライバシーに配慮した保護制度とは別に、情報公開を前提とした制度は必要であり、それは、プライバシーに配慮した制度に比べて主要で大規模なものであることが好ましい。
困っている時は、誰かに助けを求めたくなる。困った人を見ると助けたくなる。これが、健全な社会のあり方である。
本当に困っている人を差別する。行政に支援を求める一方でプライバシーへの配慮を求めなければならない社会のあり方は健全ではない。
既存の社会保障制度に比べて情報公開性の高い社会保障制度の構築は非常に意義がある。これには、プライバシーに配慮した制度と平行して存在する必要があり、プライバシーに配慮した既存の制度に比べて主要なものであることが好ましい。

保護施設は安楽死の為の施設ではなく、健康で文化的な最低限度の生活を保障する為の、生活保護制度と平行して存在する、情報公開性の高い社会保障制度です。
先に保護施設を作り、その結果により、施設数の増加や安楽死の実施を決定していくのが現実的な施行方法ではないかと思います。

私の考える安楽死制度では、安楽死の執行よりも、まず保護することを優先したものになっています。そして、そのあり方を周知徹底することで問題の存在の認知度を高め、全ての人が生きがいを持って生き生きと生活できる社会の構築を目指します。

老衰や自然死を理想の死と考える方は少なくないと思います。しかし、医療の発達した現代社会においては少数派であり、その定義は医師の恣意的な判断に過ぎないと言えます。
たとえば平均寿命が80歳を超えた現代社会において50代で老衰と診断されることはまずありません。当然、80代で老衰の診断を受けた場合も老衰以外の診断を下すことは可能なはずであり、なんらかの延命措置も可能なはずなのです。
みずから希望して向かえる安楽死を好ましくない死に方と言えるでしょうか、老衰や自然死があると信じて、その時を待つ死に方を好ましいと言えるのでしょうか。

90日以上の猶予期間はありますが、その後は日時や場所を指定して、好きな人に見取られながら最後を迎えることが出来る。いざという時は、直前で撤回、もしくは延期を申し出ることも出来る。これが、私の提案する安楽死制度です。



未成年に対する対応

未成年の安楽死は、原則として認めるべきではないと考えています。ただし、保護施設での保護は積極的に行うべきであり、現在の児童福祉制度は明らかに不十分と考えています。
SNS上で安楽死に関する活動をした際、安楽死に興味を持つ者は毒親問題等、その生い立ちに問題のある者がほとんどでした。そして、安楽死以上の拡がりを見せているのが反出生主義です。
反出生主義を私なりに説明すると、生まれたことに感謝できない、生きることに喜びを感じることが出来ない、これから生まれてくる子供達も同じような思いをするだろうから子供を作るべきではないとする考え方です。その為、私は子供を作らないであったり、現代人は子供を作るべきでないと主張します。このような問題は貧困問題とはイコールではなく、ひきこもり、格差問題、暴動が起こらない問題と共に世界的な問題となっています。

私は、反出生主義ではありませんが、毒親問題には当てはまると思います。
色盲や発達生涯に例えるとイメージしやすいと思いますが、同じ時代、同じ社会で同じ物を見ていても、その見え方は一人一人異なることを理解して欲しいです。
もっと身近で開放された保護施設があれば、どれほど救われたことかと思います。

現代社会が、生まれたことに感謝できない、生きることに喜びを感じることが出来ないといった問題に向き合えているとは思えません。
凶悪犯罪者が、その生い立ちに問題のある場合も多いと思います。
すぐに死刑の話が出てくる日本社会のあり方は問題があります。
どれだけ刑罰を重くしても、それは受身でしかありません。なぜ、犯罪抑止力として意味がないことを理解できないのでしょうか。
国際人権上、非常に問題のある死刑制度ですが、私はそれ以上に人を自殺に追い詰める社会、安楽死を認めない社会の方が極めて残酷で、大きな問題であると考えています。

私が安楽死制度実現のために熱心に活動しているのは、医療費削減の為でもなければ、命の重みを軽く考えているからでもありません。
安楽死制度に反対する人と比較して、命の重さを大切に考えていますし、本人の意思、尊厳、人権、QOLのようなものに対しても大切に考えています。
現在の医療制度は、多額の保険料を利用して患者の自由を奪い、人としての尊厳、人権を踏みにじる残酷な制度であると思います。
そして、そのような状況を容認する残酷な人達を量産しています。
私を含めたいかなる人も、明日、事故等でどのような身体になるかわかりません。その時に、意思表示能力がはっきりあるにも関わらず生きているしかない状況はあまりにも残酷です。

90日以上の猶予期間を設けた公的安楽死制度実現へ、行動を起こしていた頂くようお願い申し上げます。



以上の内容になりますが、最初の陳情には短く解りやすい内容の方が良いと思うので、印象に残るフレーズを選び、分かりやすく整理したいと考えている。

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年4月15日 20:38 論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか ▼前回記事 「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳に...