死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方
- 公開日 | 2020/03/30
- 更新日 | 2023/08/03

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
- 今回のtayoriniなる人
- 石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。
1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。
人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?
病院か? 自宅か? それとも介護施設か?
ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。
そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。
実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?
──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?
原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。
人間が生きていくのに必要な栄養と水分
死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方
- 公開日 | 2020/03/30
- 更新日 | 2023/08/03

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
- 今回のtayoriniなる人
- 石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。
1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。
人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?
病院か? 自宅か? それとも介護施設か?
ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。
そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。
実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?
──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?
原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。
人間が生きていくのに必要な栄養と水分は、体重と年齢に応じて計算されます。当然のことながら、働き盛りの人は多く、子どもや高齢者は少なくていいという計算になります。
では、90歳前後の超高齢者についてはどうか? 老いによって体の動きが極端に減っているわけだから、必要な水分やカロリーはもっと少なくていいということになる。ところが、どこまで少なくすればいいのかは、正確にはわかっていないのです。
私が芦花ホームにやってきた2005年当時、ホームでは1日平均1500キロカロリーの栄養と、1400ミリリットルの水分が入居者に与えられていました。
──それでは多すぎるのですか?
そう、多すぎるのです。
芦花ホームの入所者の約3割には、嚥下障害がありました。口から食べるのがむずかしくなった状態です。こういう方の食事介助をするとき、介護スタッフはノドの奥に食べ物が残っていないか、そろそろ次の一口を入れてもよいか、慎重に時間をかけて行わねばなりません。

しかし、現場は人手が足りず、ゆっくり時間をかける暇はありません。隣では、別の入所者がトイレに行きたいと言い出したりすることもある。その結果、まだ前の食べ物が口の中にあるのに次の食べ物を入れてしまったりして、誤嚥性肺炎が起こるのです。
もちろん、介護スタッフには「キチンと食べさせてあげないといけない」という意識があります。食べさせられないのは自分たちの技術が劣っているからという自責の念があるから、自分の判断で食べる量を減らそうとはしません。食べる量が少ないと、家族からクレームが来ることもよくあります。
「肺炎→胃ろう→また肺炎」の悪循環
──誤嚥性肺炎になると、どうなるのですか?
救急車で病院に行けば、抗生剤や強心剤を使って肺炎は治ります。ところが、嚥下障害そのものは治りませんから、口からものを食べさせようとすると、また誤嚥します。そこで病院は、点滴を続けていつまでも入院させておくわけにはいきませんから、胃ろうを薦めます。
──口からものを食べることを強制的にあきらめさせてしまうわけですね?
その通り。特に、認知症の人は「そんなことをして欲しくない」とは言えません。
経管栄養には、胃ろうの他に中心静脈栄養
死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方
- 公開日 | 2020/03/30
- 更新日 | 2023/08/03

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
- 今回のtayoriniなる人
- 石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。
1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。
人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?
病院か? 自宅か? それとも介護施設か?
ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。
そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。
実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?
──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?
原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。
人間が生きていくのに必要な栄養と水分は、体重と年齢に応じて計算されます。当然のことながら、働き盛りの人は多く、子どもや高齢者は少なくていいという計算になります。
では、90歳前後の超高齢者についてはどうか? 老いによって体の動きが極端に減っているわけだから、必要な水分やカロリーはもっと少なくていいということになる。ところが、どこまで少なくすればいいのかは、正確にはわかっていないのです。
私が芦花ホームにやってきた2005年当時、ホームでは1日平均1500キロカロリーの栄養と、1400ミリリットルの水分が入居者に与えられていました。
──それでは多すぎるのですか?
そう、多すぎるのです。
芦花ホームの入所者の約3割には、嚥下障害がありました。口から食べるのがむずかしくなった状態です。こういう方の食事介助をするとき、介護スタッフはノドの奥に食べ物が残っていないか、そろそろ次の一口を入れてもよいか、慎重に時間をかけて行わねばなりません。

しかし、現場は人手が足りず、ゆっくり時間をかける暇はありません。隣では、別の入所者がトイレに行きたいと言い出したりすることもある。その結果、まだ前の食べ物が口の中にあるのに次の食べ物を入れてしまったりして、誤嚥性肺炎が起こるのです。
もちろん、介護スタッフには「キチンと食べさせてあげないといけない」という意識があります。食べさせられないのは自分たちの技術が劣っているからという自責の念があるから、自分の判断で食べる量を減らそうとはしません。食べる量が少ないと、家族からクレームが来ることもよくあります。
「肺炎→胃ろう→また肺炎」の悪循環
──誤嚥性肺炎になると、どうなるのですか?
救急車で病院に行けば、抗生剤や強心剤を使って肺炎は治ります。ところが、嚥下障害そのものは治りませんから、口からものを食べさせようとすると、また誤嚥します。そこで病院は、点滴を続けていつまでも入院させておくわけにはいきませんから、胃ろうを薦めます。
──口からものを食べることを強制的にあきらめさせてしまうわけですね?
その通り。特に、認知症の人は「そんなことをして欲しくない」とは言えません。
経管栄養には、胃ろうの他に中心静脈栄養と経鼻胃管があります。
中心静脈栄養とは、鎖骨の下や頸にある太い静脈からカテーテルを入れて、そこから高カロリーの栄養液を投与する延命治療法です。しかし、体の奥の大静脈にまで管を通すため、感染症を起こしやすく、ひどい場合は敗血症になるリスクがあります。
経鼻胃管は、鼻から入れた管を通じて胃に栄養を入れる方法です。中心静脈栄養のような危険なリスクは少ないけれど、不快感があって、認知症の人が勝手にチューブを抜いてしまうということがよく起こります。
そんな中、1990年代後半になって内視鏡の技術が進歩し、PEG(経皮内視鏡的胃ろう造設術)が開発されました。内視鏡を使って胃の中を照らし、お腹に小さな穴を開けてプラスチックのキットをはめ込むだけで、簡単に胃ろうを造設することができるようになったのです。時間は30分もかかりません。そこで、2000年に入ってから急速に普及しました。
──先生は、安易に胃ろうにすることを著書や講演を通じて批判されていますが、それはなぜですか?
経管栄養になって口からものを食べることがなくなった人は、口の中、顎、食道などの筋肉が衰えてしまいます。五感への刺激がなくなるため、脳の機能が衰えて認知症のリスクが高まります。

それから、胃ろうにすれば口からノドを食べ物が通っらないので肺炎がなくなると思う人もいるかもしれませんが、そうでもないのです。栄養剤を直接胃に入れても、体がそれを受けつけないと逆流が起こり、それが肺炎を引き起こすんです。
実際、私が芦花ホームに赴任したばかりのころ、数人の胃ろうの方たちが誤嚥性肺炎を繰り返して、病院とホームの間を行ったり来たりしていたことが記録されていました。当時の芦花ホームは、まさに「肺炎製造工場」とも言える悪循環に陥っていたのです。
入所者の家族との出会いから気づきが生まれた
──そんな状況の中で、ホームで静かに最期を看取る「平穏死」を提唱されるまでには数々の試行錯誤があったでしょうね?
何人もの人たちとの出会いが、少しずつ私に気づきを与えてくれました。
そのひとりは、入所者の家族の方で、8歳年上の姉さん女房を持つ旦那さんでした。認知症になった奥さんを8年間、自宅で介護した後、手に負えなくなってホームに奥さんを預けることにしたのです。
ホームでは定期的に家族会を開いているんですが、その旦那さんはスタッフたちから影で“クレーマー”と呼ばれるほど厳しい意見を言う人でした。
「前に言ったことが改善されてないじゃないか。真面目にやれ!」
と鋭く批判をするのです。かつて労働組合の委員長をしていたそうで、弁の立つ方でもありました。
その奥さんが、入所して6年目に誤嚥性肺炎を起こして入院したんです。
病院では当然のごとく、胃ろうにすることを薦めたわけですが、その旦那さんは断固としてそれを拒否しました。「胃ろうをつけてまで生かすことは、世話になった女房の恩に仇をかえすようなものだ」と言って、そのままホームに帰そうとしたわけです。
ところが、ホームのほうでも、胃ろうでなければ栄養をとることができない奥さんを受け入れるわけにはいかないと、侃々諤々
死には本来、苦しみはない。特養ホーム常勤医が見た「平穏死」の穏やかな死に方
- 公開日 | 2020/03/30
- 更新日 | 2023/08/03

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
- 今回のtayoriniなる人
- 石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。
1950年代まで、日本人の8割が自宅で死をむかえていたが、現代ではそれが逆転して、8割が病院で死ぬ時代になった。
人生には、必ず終わりが来る。あなたはそのとき、どのような死に方をしたいだろうか?
病院か? 自宅か? それとも介護施設か?
ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、世田谷区の特別養護老人ホーム・芦花ホームの常勤医の石飛幸三医師は、200人を超える人たちを施設で看取ってきた人である。
そんな石飛先生と一緒にそんな問題について、考えていこう。
実は、90歳前後の人の食べるべき量の認識は誤り!?
──2005年に石飛先生が芦花ホームの配置医に就任した当時、入所者の誤嚥性肺炎がひっきりなしに起き、救急車のサイレンが鳴りやまなかったそうですね。なぜ、そのようになってしまったのでしょう?
原因を端的に言えば、「食べる量」についての認識が間違っていたのです。
人間が生きていくのに必要な栄養と水分は、体重と年齢に応じて計算されます。当然のことながら、働き盛りの人は多く、子どもや高齢者は少なくていいという計算になります。
では、90歳前後の超高齢者についてはどうか? 老いによって体の動きが極端に減っているわけだから、必要な水分やカロリーはもっと少なくていいということになる。ところが、どこまで少なくすればいいのかは、正確にはわかっていないのです。
私が芦花ホームにやってきた2005年当時、ホームでは1日平均1500キロカロリーの栄養と、1400ミリリットルの水分が入居者に与えられていました。
──それでは多すぎるのですか?
そう、多すぎるのです。
芦花ホームの入所者の約3割には、嚥下障害がありました。口から食べるのがむずかしくなった状態です。こういう方の食事介助をするとき、介護スタッフはノドの奥に食べ物が残っていないか、そろそろ次の一口を入れてもよいか、慎重に時間をかけて行わねばなりません。

しかし、現場は人手が足りず、ゆっくり時間をかける暇はありません。隣では、別の入所者がトイレに行きたいと言い出したりすることもある。その結果、まだ前の食べ物が口の中にあるのに次の食べ物を入れてしまったりして、誤嚥性肺炎が起こるのです。
もちろん、介護スタッフには「キチンと食べさせてあげないといけない」という意識があります。食べさせられないのは自分たちの技術が劣っているからという自責の念があるから、自分の判断で食べる量を減らそうとはしません。食べる量が少ないと、家族からクレームが来ることもよくあります。
「肺炎→胃ろう→また肺炎」の悪循環
──誤嚥性肺炎になると、どうなるのですか?
救急車で病院に行けば、抗生剤や強心剤を使って肺炎は治ります。ところが、嚥下障害そのものは治りませんから、口からものを食べさせようとすると、また誤嚥します。そこで病院は、点滴を続けていつまでも入院させておくわけにはいきませんから、胃ろうを薦めます。
──口からものを食べることを強制的にあきらめさせてしまうわけですね?
その通り。特に、認知症の人は「そんなことをして欲しくない」とは言えません。
経管栄養には、胃ろうの他に中心静脈栄養と経鼻胃管があります。
中心静脈栄養とは、鎖骨の下や頸にある太い静脈からカテーテルを入れて、そこから高カロリーの栄養液を投与する延命治療法です。しかし、体の奥の大静脈にまで管を通すため、感染症を起こしやすく、ひどい場合は敗血症になるリスクがあります。
経鼻胃管は、鼻から入れた管を通じて胃に栄養を入れる方法です。中心静脈栄養のような危険なリスクは少ないけれど、不快感があって、認知症の人が勝手にチューブを抜いてしまうということがよく起こります。
そんな中、1990年代後半になって内視鏡の技術が進歩し、PEG(経皮内視鏡的胃ろう造設術)が開発されました。内視鏡を使って胃の中を照らし、お腹に小さな穴を開けてプラスチックのキットをはめ込むだけで、簡単に胃ろうを造設することができるようになったのです。時間は30分もかかりません。そこで、2000年に入ってから急速に普及しました。
──先生は、安易に胃ろうにすることを著書や講演を通じて批判されていますが、それはなぜですか?
経管栄養になって口からものを食べることがなくなった人は、口の中、顎、食道などの筋肉が衰えてしまいます。五感への刺激がなくなるため、脳の機能が衰えて認知症のリスクが高まります。

それから、胃ろうにすれば口からノドを食べ物が通っらないので肺炎がなくなると思う人もいるかもしれませんが、そうでもないのです。栄養剤を直接胃に入れても、体がそれを受けつけないと逆流が起こり、それが肺炎を引き起こすんです。
実際、私が芦花ホームに赴任したばかりのころ、数人の胃ろうの方たちが誤嚥性肺炎を繰り返して、病院とホームの間を行ったり来たりしていたことが記録されていました。当時の芦花ホームは、まさに「肺炎製造工場」とも言える悪循環に陥っていたのです。
入所者の家族との出会いから気づきが生まれた
──そんな状況の中で、ホームで静かに最期を看取る「平穏死」を提唱されるまでには数々の試行錯誤があったでしょうね?
何人もの人たちとの出会いが、少しずつ私に気づきを与えてくれました。
そのひとりは、入所者の家族の方で、8歳年上の姉さん女房を持つ旦那さんでした。認知症になった奥さんを8年間、自宅で介護した後、手に負えなくなってホームに奥さんを預けることにしたのです。
ホームでは定期的に家族会を開いているんですが、その旦那さんはスタッフたちから影で“クレーマー”と呼ばれるほど厳しい意見を言う人でした。
「前に言ったことが改善されてないじゃないか。真面目にやれ!」
と鋭く批判をするのです。かつて労働組合の委員長をしていたそうで、弁の立つ方でもありました。
その奥さんが、入所して6年目に誤嚥性肺炎を起こして入院したんです。
病院では当然のごとく、胃ろうにすることを薦めたわけですが、その旦那さんは断固としてそれを拒否しました。「胃ろうをつけてまで生かすことは、世話になった女房の恩に仇をかえすようなものだ」と言って、そのままホームに帰そうとしたわけです。
ところが、ホームのほうでも、胃ろうでなければ栄養をとることができない奥さんを受け入れるわけにはいかないと、侃々諤々の議論になりました。
実は真実を伝えていた“クレーマー”の言葉
──自分の仕事に責任感を持っているスタッフだからこそ、胃ろうのない嚥下障害の奥さんの食事介助をすることに戸惑ったのでしょうね。
その通りです。最終的には私が責任をとるという形で胃ろうをせずに奥さんを退院させることにしたんですが、ホームに帰ってきた日のことは、今でも忘れられません。
どう接していいかわからず、怖々とした表情のスタッフが見守る中、そのクレーマーの旦那さんは奥さんを椅子に座らせ、頬を何度も撫でたあと、歯のない奥さんの口の中を指でマッサージし始めたんです。

すると、チュッ、チュッと奥さんが指を吸う音が聞こえてきました。吸啜(きゅうてつ)反射といって、赤ちゃんがお母さんのおっぱいを吸う原始的な反射はまだ残っていたんですね。
次にその旦那さんは、スタッフが用意したお茶のゼリーをスプーンですくって、奥さんの口の中に入れました。すると、喉仏が動いて「ゴックン」という音とともにそれを飲み込んだのです。
その瞬間、スタッフの間で歓声があがりました。中には感激して、目に涙を浮かべている人もいました。
「女房は認知症で、もう誰のこともわからない。なのに胃ろうをつけて、そんな状態で頑張らせるのが愛情か? 自然にまかせて静かに逝くのを見送るのも愛情じゃないか。」
旦那さんのその言葉を聞いて、目を開かれる思いがしました。スタッフたちからクレームだと思われていた彼の言葉は、真実を突いていたのです。
人は「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだからもう食べない」のだ
それからもうひとつ、入所者の家族の方との大事な出会いがありました。
──是非、お聞かせください。
その人は、2000年に噴火した三宅島から避難して芦花ホームに入所した、85歳の認知症の母親を持つ息子さんです。
入所から5年がたったとき、お母さんが誤嚥され、病院に入院して肺炎の治療をしていたときのこと。病院から三宅島にいる息子さんに電話が入ったのです。
例によって、「お母さんはもう口から食べることはできません。胃ろうをつけましょう」という連絡でした。
「母はもう寿命です。胃ろうをつけないでください。」
息子さんがそう懇願したので、さすがに胃ろうはつけられませんでしたが、1週間後、ホームを訪ね、病院から退院してきたお母さんの姿を見て、息子さんは愕然とした表情になりました。
経鼻胃管で鼻から管を通され、強制的に生かされているその姿を。そして、私の目の前で、おいおいと声をあげて泣いたのです。
「島ではこんなことはしません。年寄りがものを食べなくなったら、仏間に布団を敷いて、ただ寝かせておきます。無理に食べさせようとせず、枕元に水だけ置いておきます。生きる力が残っていれば、自分で手を伸ばして水を飲みます。それでも、1カ月は生きます。」

息子さんのこの言葉にも、大いに目を開かされました。人は「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだからもう食べない」のです。経管栄養で無理やり食べさせても衰えは進んでいくし、誤嚥性肺炎を起こしたり、栄養過多による体のむくみで本人が苦しむだけ。「三宅島の教え」は、私にそのことを気づかせてくれたのです。
1日600キロカロリーのゼリー食でも1年半生きる
──「死ぬのだからもう食べない」という状態になった人は、その後、どのようになっていくのですか?
最低限の水分と栄養しかとらないから、体は激しく動かせません。
次第に1日のうち、起きている時間よりも眠っている時間のほうが長くなります。そして、体重も減っていきます。
でも、そうなってからすぐに死がやってくるとは限りません。
芦花ホームで最初に看取りをしたのは、先に述べたクレーマーと呼ばれた旦那さんの8歳年上の奥さんでした。
旦那さんは、奥さんの食事介助のために毎日、朝早くからホームを訪ねてきましたが、奥さんがまだ寝ていれば、無理に起こすようなことはしませんでした。奥さんが自然に目を覚ますのを待って、「お腹がすいた」と言うまで辛抱強く待っていました。
食べさせるものと言えば、1日平均600キロカロリーのゼリー食。ときどきアイスクリームをひとなめしたり、好きな食べ物の匂いをかぐだけの日もありました。
そんな日々が、1年半も続いたのです。人がこんなに少ない栄養で、こんなに長く生きていけるということに、誰もが驚きました。
最後は600キロカロリーも受けつけなくなり、お腹がすいて目を覚ますこともなくなりました。つねに眠っている状態が2週間ほど続き、そのまま静かに息を引き取られました。
その自然な最期に触れて、私は感動しました。苦しみなどひとつもない、燃えつきた炎がすーっと消えていくような終わり方です。それが人間の自然な「平穏死」という死に方なのだと教えられました。
終末期の高齢者は1日が24時間ではなくなる
──芦花ホームではその後、200人を超える方の看取りを行っているそうですね。やはり皆、静かに亡くなられていくのですか?
ああ、この人もそうか、この人もそうか、と実感させられています。

最近になって、「終末期の高齢者は1日が24時間ではなくなる」ということにも気づかされました。
どういうことかというと、1日中眠り続けていた人が、翌日には起きている時間が長くなる、あるいは最初の2日間は眠り続け、その後の2日間は起きている時間が割合長くなるという具合に独特なリズムが出てくるのです。
つまり、24時間睡眠の人は48時間で「1日」が流れていく。一方、48時間睡眠の人はその倍の96時間が「1日」なんです。これまでいちばん長い人では、3日間サイクルで眠ったり起きたりを繰り返していた人もいました。
まるで、空高く飛んでいたグライダーが陸に着陸するとき、角度をゆるくして地面に接していくようなものですね。降下のタイミングが、高度が下がっていくのに応じてゆるやかになっていくのです。
一度、この世に生まれたものは、死んでいくのが自然の摂理です。その摂理に逆らって、いつまでも生き続けることはできません。けれども、そこには苦しみなどひとつもなく、静かに穏やかに過ぎていきます。それこそまさに、私が考える「平穏死」です。
──ありがとうございます。
次回のインタビューでは、ベストセラー『「平穏死」のすすめ』(講談社)を出版することになったいきさつや、石飛先生ご自身の理想的な死に方について、お話をうかがっていきましょう。
https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/thanatology/003/
石飛幸三医師に訊く、医療の2つの役割「治す医療、人生を支える医療」
- 公開日 | 2020/03/31
- 更新日 | 2021/11/02

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の年間死者数は「戦後最多」を更新し続けており、2040年前後に約168万人のピークを迎えるという。
「超高齢化社会」の次にやってくる「多死社会」を、私たちはどのようにとらえればよいのだろうか?
人生の最後を支えるプロフェッショナルたちと一緒に、その答えを探って行こう。
- 今回のtayoriniなる人
- 石飛幸三(いしとび・こうぞう) 世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医1935年、広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。2005年12月より芦花ホーム常勤医となる。2010年2月に上梓した『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)がベストセラーになり、人として穏やかな最期の迎え方を発信し続けている。
『「平穏死」のすすめ』(講談社)の著書で、特別養護老人ホーム芦花ホームの常勤医をつとめる石飛幸三医師。
前編では先生が芦花ホームに赴任後、施設が「誤嚥性肺炎製造工場」と化す中、入所者の家族との出会いを経て「平穏死」の大切さに気づいた話をうかがった。
その様子を描いた著書はベストセラーになったが、後編では出版後の反響について話を聞くことにしよう。
ここで始まっていることは、全国に普遍化すべきです
──先生が『「平穏死」のすすめ』(講談社)を書くことになったきっかけは何でしょう?
芦花ホームでは、定期的に家族の方と職員たちが意見交換をする家族会を開いていることはすでに述べましたが、その場を借りて、看取りに関する私の考えを共有する機会を設けるようになりました。
ホワイトボードに「口から食べられなくなったらどうしますか」と書いて、親や夫、妻にどこまで医療を受けさせるべきかを考えてもらうことにしたのです。
私がホームの常勤医になって以降、救急車を呼ぶ回数は3分の1に減り、誤嚥性肺炎になる方も順調に減っていたので、次なるステップのつもりでした。
そんな取り組みを始めた矢先、新任の施設長が赴任してきました。
ところが、この新施設長、第一印象が最悪でね。体もデカければ態度もデカい。口数の少ないむっつりタイプで、私が苦手とする性格の人に見えました。
そんな施設長が赴任して2カ月後、私を呼び止めて話しかけてきたのです。
「先生、ここで始まっていることは、全国に普遍化すべきです」と。
実はこの新施設長、別の施設に預けていたお母さんが誤嚥性肺炎になり、胃ろうをするべきかどうか悩んでいたそうで、芦花ホームで行われていた家族会での様子を興味深く観察していたようなんです。私は見かけだけで彼の人柄を判断していたわけで、そのことを大いに反省させられましたよ。
施設長の第一の提案が、胃ろうについてのシンポジウムを開くこと。区民ホールを借りて、倫理学者や弁護士、新聞記者などを交えての意見交換を行うことになりました。
その壇上でのことです。私は調子に乗って、「ここで起きていることを本に書きます」と宣言していました。これが、『「平穏死」のすすめ』を書くことになったきっかけです。
最初は出版を断られた
──『「平穏死」のすすめ』は発売と同時に大反響を呼び、たちまちベストセラーになりました。そのことを先生は予想していましたか?
いや、まったくの予想外でした。というのも、苦労して書いた最初の原稿は、妻から「中学生の作文みたい」と酷評されたし、講談社の編集長にも「出版界は厳しいのです。慈善事業で芦花ホームを宣伝するようなことはできません」と出版を断られていたからです。

その後、夏休みを返上して全面改稿して、やっとのことで本を出してもらうことになった。だから、自分ではそう期待をしていませんでした。
その一方で、芦花ホームの家族会での意見交換を通じて、実に多くの方が身内を看取ることについて悩みを抱えていたことも頭にありました。
終末期の高齢者への無遠慮な医療の介入が本人をかえって苦しませてしまうこと、自然にまかせた静かで穏やかな看取りが重要であること、それらのことは、すでに多くの人が本音では気づいていて、たまたま私が少し早いタイミングで口を開いた。それが大きな反響につながったということなのかもしれません。
社会の意識は少しずつ変わっていった
──具体的には、どんな反響がありましたか?
講演の依頼があれば、できる限り応えてきましたが、中でも胃ろうの造設を積極的に進めている学会から「来てほしい」と頼まれたのには驚きましたね。
もちろん、依頼を引き受けて、敵陣に乗りこむような気持ちで講演の舞台に立ちましたよ。案の定、胃ろうの機具を開発した医薬品会社の人たちがズラリと並んでいて、口では何にも言わないけど、ブスッとした顔をしていましたよ。
中でも最前列にいた女医さんは、講演後の質問タイムで私に感情をぶつけてきました。
「今まで私は胃ろうを造設することで、多くの患者さんや家族の方に感謝されてきました。そのことを知らないで、胃ろうを批判するのですか」と目に涙をためて訴えられた。私はあわててこう説明しました。
「いや、私は胃ろうそのものが問題なのだと主張しているわけではありません。老衰が進んで、もはや栄養をそれほど必要としなくなった人に対して機械的に栄養を与え続けることを問題にしているんです」と。
実際、胃ろうをつけたあと、口腔リハビリをして再び口から食べられるようになる方が多くいることも事実ですからね。
すぐに納得してもらうわけにはいかなかったけど、その学会からはその後も講演の依頼が来て、3回目に行ったときには、「過度な胃ろうは控えるべき」という意見が私以外の発言者からも聞かれるようになりました。
──2014年の診療報酬の見直しでは、胃ろう手術の診療報酬が4割削減になり、安易な胃ろう造設を抑制する動きになりましたね。
そう、時間はかかったけれど、社会の意識は少しずつ変わっていきました。
本の出版をきっかけに始まった「看取りプロジェクト」
──芦花ホームのスタッフの人たちも、先生の本を熱心に読んでくれたそうですね?
介護施設では、看護師と介護士をはじめ、理学療法士や管理栄養士、歯科衛生士など、さまざまな職種の人たちが働いています。
そのほとんどが医療の現場で働いてきた人たちですから、「終末期の高齢者に過度な医療は控えるべきだ」という私の主張を受け入れにくいと感じる人もいたはずです。

そこで、内外の調整を担当する生活相談員と看護主任が各職種の責任者を集め、「看取りプロジェクト」と名づけた勉強会を始めたんです。
芦花ホームでは2007年にホームで亡くなる方が8割に及び、現在もその傾向が続いていますが、看取りに立ち会ったスタッフの中には、少し前まで一緒に過ごした入所者の最期にひどく動揺してしまう人もいました。
そこで、お互いの経験を共有し、職種間の連携をスムーズにするための「看取りプロジェクト」です。ときにはスタッフだけでなく、家族の方々も交えて看取りについて学ぶようになりました。
看取りについて、悔いのない決断をするためには?
──看取りを行うにあたって、家族との話し合いはとても重要だと思いますが、むずかしいと感じることはありますか?
そんなこと、何度もありますよ。
むしろ、何の葛藤もなく話が進むケースなどないと言ってもよいでしょう。
食べるペースが落ちていき、眠っている時間が長くなって、看取りが予想される状態になったとき、介護士、看護師、相談員などのスタッフたちは家族の方々との面談を繰り返し行い、安らかな最期を迎えるにはどうすればよいのかを話し合います。
延命治療が必要ないと思われるケースでも、「手段があるなら、手を尽くして欲しい。少しでも長生きして欲しい」と考えてしまうのが人の気持ちです。
「それは本人のためにならないことだ」と、あえて強い言葉で意見を述べて、相手を泣かせてしまうこともある。

そんな憎まれ役を買って出るのはたいていの場合、私です。一緒にいる看護主任や相談員は、泣き出してしまった娘さんを両手で抱いてなだめる慰め役をつとめます。
だから、家族の方々との面談は1対1ではなく、チームを組んで行うことが重要です。
──家族同士で意見がぶつかることもありますよね。そういうとき、悔いが残らないようにするにはどうしたらよいですか?
意見がまとまるまで、何度も話し合うことが大切ですね。
1回でダメなら、2回、3回と繰り返す。本音をぶつけ合ってケンカするのもいい。
悔いが残ってしまうのは、そういう話し合いを避けたまま、なし崩し的に最期をむかえてしまうときです。
看取りを終えたとき、「あのときはたくさんケンカをしたけど、それが精いっぱいだった」とふり返ることができるほうが、悔いは少ないでしょう。
日々を感謝して過ごすことの幸せ
──ところで、先生は今年で85歳になりますね。ご自身で老いを実感することはありますか?
それこそ、毎日のように実感していますよ。
そもそも大学時代は陸上部のキャプテンをしていましたから、体力には自信のあるほうでしたが、還暦を過ぎたころからめっきり走れなくなりました。試しに近所の公園を走ってみても、すぐに息が上がってしまう。物忘れをするのも日常茶飯事です。

ただ、老いることについて、ネガティブな感情は持っていません。朝起きて、「今日は腰が痛くない。調子がいいな」と感じる日は、それだけで儲けた気になりますからね。
もし、老いてよかったなと思うことがあるとすれば、そんな風に日々感謝して生きる幸せを知ったことです。
芦花ホームでの経験は、医療には2つの役割があることを私に教えてくれました。ひとつは、人をケガや病気から救うための医療。そしてもうひとつは、最期まで楽しく生きることを支えるための医療です。
外科医として過ごした40数年は、前者の側面でしか医療を見ていませんでした。「自分は多くの患者の命を救ってきた」という自負がある反面、「死を克服することができない以上、傷んだ部品をなおす修理屋に過ぎないのではないか」という迷いがつねにありました。

ところが、芦花ホームに来たおかげで、人生を支える医療を知ることができた。このことには心から感謝をしています。
もちろん、老いがもっと進めば、芦花ホームの仕事もできなくなるでしょう。それはあらがいようのないこと。私もまた、死に確実に近づいています。
最近、こんなことがありました。本多智康くんという、若い医師が私のもとを訪ねてきたんです。話を聞けば、サラリーマンを経て医師になった彼は、研修先で高齢者医療の悲惨さにショックを受けたそうです。そんなときに私の本を読んで、芦花ホームと同じような老人ホームの常勤医になることを決意したそうです。
まだ30代という若さで、「治す医療」から医師としてのキャリアを始めるのではなく、「人生を支える医療」に就いたわけです。
冗談のつもりで、「お前さん、その若さで都落ちするのは早すぎるだろ」と言ったら、「男が一生の仕事と決めたことはやりとげるべきだと、先生は自分の本に書いているじゃないですか」と反論されました。本多くんとはその後もときどき会って、酒を酌み交わしていますが、とても楽しい時間です。こういう人の存在を知ると、「私なんかいつ引退してもいい」と思うし、「若い者に負けずにいつまでも頑張りたい」と励まされたりもする。ありがたいことですね。
結局のところ、最期の一瞬まで感謝の気持ちを持って過ごすこと、それこそが私にとって理想の「平穏死」です。
https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/thanatology/004/