オランダ在住で『認知症の人が安楽死する国』の著者・後藤猛氏が言う。
「安楽死を選んだオランダ人の友人がいます。彼は末期がんで、治療法もなく痛みに苦しむなか安楽死を選びました。
死の前日、自宅に知人を呼んで、お別れ会を開いた。集まったみんなが『楽しいまま人生を終えられるね』と言い合いながら、思い出話をするのです。寂しさはあるけれど、暗い雰囲気はありませんでした」
オランダは安楽死を合法化しており、スイスと並ぶ「安楽死大国」として知られている。
「オランダでは、患者の自発的な意思があること、治療法のない病気であること、痛みが耐え難いことなど6つの要件を満たせば、安楽死を選ぶことができます。
安楽死の希望者は、その地域全体のかかりつけ医とも言える『家庭医』などとよく相談をし、さらに第三者の医師もそれを確認すると安楽死を実行に移せます。医師が致死薬をうつ『積極的安楽死』、医師から処方された薬を飲む『介助自殺』がある」
同国で'16年に安楽死したのは6091人(オランダの人口は1702万人)で、死亡者全体の約4%を占める。希望者はさらに多く数万人になるという。なぜ彼らはそうした選択をするのか。
「先ほどの『楽しいまま人生を終えられる』という発言からわかる通り、根底には『人生の質(QOL)』を非常に重視する発想があります。
自分の思うようにいろいろな場所を訪れることができるか、ゴルフやヨット、音楽など自分の好きなことを楽しめるか……。それができなくなるほどの重篤な状況になったら、無駄な延命治療は受けたくないと思っている。
しかし一方で、彼らは死を『敗北』とは考えていないように思います。むしろ、限られた時間のなかで生と死について考え、残された時間をいかに肯定し、充実させるかという方向に発想を転換する」(前出・後藤氏)
死は決して敗北ではない――。世界の安楽死事情を取材し『安楽死を遂げるまで』を著したジャーナリストの宮下洋一氏もこう話す。
「安楽死に立ち会ったこともありますが、死の前日、みんな笑顔なんですね。余裕を持って、自分で選んでようやく死ねるという喜びが見られた。死ぬ直前に涙する人もいますが、それは悲しみの涙ではない。後悔している様子もないのです」
生命のある限りはなるべく楽しく過ごし、それが難しくなると潔く死を迎える。この合理主義の極致をいくような発想からすれば、安楽死は「幸福な死」かもしれない。
さらに、そこに拍車をかけているのが、オランダの「個人主義」である。オランダの国民は幼い頃から自分で意思決定する訓練を受けており、その決定については、家族でも口出しできない。前出の宮下氏が言う。
私が安楽死をした人の遺族に取材したなかでこんな話がありました。ある男性は心筋梗塞を患った後、75歳で皮膚がん、慢性胃炎となりましたが、どれも致命的なものではなかった。
しかし、認知症の兆候が出ると、その状態で生きていくのは苦痛だと死を選んだのです。死の直前には親戚を25人自宅に招き朝食会を開きました。そこで小さな孫娘までが『寂しいけど、おじいちゃんの決めたことだから』と言っていたそうです」
自分の人生で価値あること、大切なことを徹底的に考え、その延長線上で、「死と向き合う」ことを恐れない。日本にすぐ安楽死を導入するのは難しいかもしれないが、オランダから学べることはたくさんありそうだ。
「週刊現代」2018年2月3日号より
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