出口としての安楽死
テーマ:ALSと考え事
https://ameblo.jp/ookawas/entry-12477158260.html
話題の2つの番組、
◯ NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」
◯ ザ・ノンフィクション「それでも私は生きてゆく」
を観た。
前者は、多系統萎縮症の方がスイスで安楽死を選ぶ内容。後者は、ALSの方を数年に亘って追い、病気の進行の様子までをもとらえた内容だった。
どちらも本当に貴重な記録だと思う。取材に協力されたご本人とお身内の方のご意思、番組製作の方々のご苦労には敬意を表するしかない。
自分もALS患者の家族として、考えさせれられることが多かったので、少し書き留めておきたいと思う。
◯「彼女は安楽死を選んだ」
「安楽死」を得ることは簡単でないと、あらためて思い知らされた。
安楽死団体へ入会して、その時が巡ってくるまで待機し、渡航、宿泊して施術に臨む。その間の英語によるメールや会話のやりとり。親族と話し合って合意を得ること、そして持ち帰ることができない遺灰をスイスの川に流すこと…
金銭的な負担だけでなく乗り越えるべきハードルがとても多い。余程確固とした意思を持っていなければ、成し得ないだろうと思えた。例えば親族が協力しないと言ってしまえばそれまでだ。
スイッチひとつで、思い立ったときに安楽死を選べるのなら本当に「安楽」と言えるかもしれないが、実際にはそうではない。いつでも安楽死を選べる容易さとは程遠く、渡航の手間や様々な手続きによって自由は制限されている。もちろん、人の死が容易であってはならないので、考えてみれば当たり前ではあるのだが。
現行制度の中で自ら死を選ぶことは極めて難しい。おそらく、他の人がミナさんと同じ選択をするのは容易ではないだろう。
ミナさんは、
「人間なんていつ死んでも今じゃない気がするの」
と言われていたが、もし国内で叶うのなら、もう少し自由に「いつ」を選べたのではないかと思った。
◯「それでも私は生きてゆく」
数年に亘る長期取材をまとめた番組と知らずに観始めたため、終盤にかけて、美怜さんの症状が進行していくのをみて本当に胸が詰まった。
ALS患者が気管切開を選ぶとき、答えを出し難い1つの原因は、ALSが進行性の病であるからだと思う。
施術後に症状が進行しても、同じ気持ちを保っていられるか。おそらく誰にも分からないし、自信を持てる人などいないだろう。
日常生活でも、一度下した判断について気持ちが変わることは珍しくない。状態が変われば気持ちは変わるものだと思う。
しかしこの病では、気管切開を選んだあと、心変わりすることが許されない。いわゆるTLS、眼球運動を含むすべての随意運動が麻痺して周囲とコミュニケーションが取れなくなった閉じ込め状態に及んでも、気管から呼吸器を外せば、外した人が罪に問われてしまう。
ALSは、精神を閉じ込める病と言われるが、もしかすると閉じ込めているのは病だけではないのかも知れない。
法制度と社会が患者の自由を著しく制限して逃げ場を奪っていて、閉じ込めに加担しているのではないか。
気管切開をした後に、安楽死を選べる選択肢がもしあったなら、実際に死を選ぶか否かは別として、やや閉塞感は薄らぐように思う。出口のない状態の中で、それは1つの出口に成り得るように思う。
今回、2つの番組を観て、ミナさん、美怜さんのお二人が強く生きていながら、一方で病以外の何かに自由を制限されているような閉塞感を感じた。
多くのALS患者は、計り知れない不安の中で気管切開の決断をしている。病状が閉じ込めを強いてくるなら、法と社会は、閉塞感を少しでも和らげる手助けとなって欲しい。
特に法制度の整備は、人智によって成しうるものではないか。簡単とは思わないが、治療法の確立よりも、介護問題の解決よりも、短い時間で叶えられることのように思う。それによって気管切開を受け入れる勇気も普及するのではないか。
日本がその分野の先進国となって規範を示して欲しい。尊厳の手前の、閉じ込めを緩めるためにも切に願う。
TLSについて
TLS(Totally Locked-in State・完全な閉じ込め状態)。
ALSが進行し、眼球運動を含むすべての随意運動が麻痺して周囲とコミュニケーションが取れなくなった状態。
「ALSマニュアル決定版!」
「ALSマニュアル決定版!part2」
という2冊の本を拾い読みしたので、TLSに関して印象に残ったことなどを含めて記事を書いてみようと思う。
テーマがテーマなので、気が重くなると思います。いつも見に来て下さる皆様も積極的にスルーしてくださればと思います。本当に。
☆
まず、TLSの歴史について。
「ALSマニュアル決定版!」の「part1」と「part2」、特に「part2」の方に、TLS自体、比較的最近になって確認された病態であることが書かれていた。
・従来、ALSは、発症から3~4年で呼吸筋麻痺によって亡くなる疾患ととらえられていた。
・しかし陽圧呼吸法と胃ろうによる栄養管理で、10年~20年の長期療養ができるようになった。
・それによって、呼吸筋麻痺を越えてすべての随意運動が麻痺するところまで進行する事例が現れた。
・以前から臨床神経学の領域ではロックトイン症候群という用語があったが、新たにTLS(トータリー・ロックトイン状態)という用語が提唱され、1989年に臨床病理学的立場からも確認された。
・TLSという病態は、もともとALSに内在していたものが、人工呼吸器によって初めて明らかになったものだ。
ざっとまとめるとこんなところで、1989年頃に確立してきたらしい。また、人工呼吸器の普及がその少し前らしい。
自然に任せればそこまでの状態に至らなかったのに、治療技術の進歩によって逆にそれまで明らかでなかった病態が現れてきたというのが何とも言えない気分にさせる。
では、どのくらいの割合でTLSに移行するものなのかについてだが、やはり「part2」の方にいくつかのことが書かれていた。
■TPPV(気管切開陽圧換気療法)を導入した患者のうち約13%がTLSに移行する。
(2008年の全国調査)
■ある病院で、2009年9月~2013年12月の間に、ALS患者100名について検討したところ、次のような結果だった。
・100名中、TPPV導入38名
・うちTLS移行10名 (TPPV導入患者の26%)
割合が高いとみるのか、低いとみるのかなんとも分からない。引用元の本ではさらに、
・呼吸運動系先行麻痺型
・球運動系先行麻痺型
・複数運動系同時麻痺型
の3つに分けて細かく割合を示している。
■TLSに移行しやすい要因として、
・発症からTPPV導入までが2年以内
・家族発症例
・発症から眼球運動出現までの速度が速い場合
などがあるそうだ(2013年の報告)。
ALS患者の全て、あるいはTPPV導入患者の全てがTLSに移行するわけではないという記述が繰り返されていた。
それから「part1」の方には、TLSの介護をされた家族の手記が幾つか載っていた。特に印象に残ったところを2つ挙げてみる。
■「TLSになった母のケアは突然すごく単純になりました。時間どおりに寝返り、吸引、胃ろうからの食事注入、おむつ交換などをすればよく、文字盤も通訳もいらなくなり、叱られたり絶望されたり、泣かれることもなく、平和過ぎるほど静かな介護になりました。」
この部分には、とても心を動かされた。淡々とした文のあとに、それでも介護のときには、耳元で色々語りかけているといったことが書かれていた。
もうひとつは、患者本人が打ったメールの内容が幾つか記されていて、
■2003年1月5日
「つらいです。もう疲れました、きっと死は、ぬくもりである気がします。」
の後、介護する家族の手記が、
「2008年1月現在、症状はほぼ完全なロックトイン状態です。」
で締め括られており、本人の意思表示から、かなり長い期間が経過していることがうかがえ、やはり心を動かされた。
「part2」の方に載っていたことだが、TLSになると、本人が意思表示をできないため、様々な合併症の発見が遅れ勝ちになるそうだ。何故かTLSになると、平常時の体温低下が起こり、合併症に罹患しても体温があまり上がらず判別しづらいなどのことが起こるらしい。介護者は、細かな変化に気をつける必要がある。
話がそれるが、TLSのことをあれこれと読んでいると、40年近く前に読んだ短い小説を思い出す。
筒井康隆の掌編で「生きている脳」というものだ。
手元に本がないが、数ページくらいのショートショートだったと思う。中学生の頃に読み、恐ろしさで数日頭を離れず、トラウマになった。
以下☆印まで、小説のあらすじ。閲覧注意。
不治の病にかかった金持ちが、脳だけを取り出して培養液に浸けて生かすことにする。脳さえあれば、やがて元気な身体に移植できるだろうから。
麻酔をかけて神経繊維を切断し、脳を取り出して培養液に浸す。培養液の中で麻酔が切れ、脳は覚醒する。神経繊維が切断されているため全身に激痛を感じるが、脳だけとなった身のため、叫ぶことも何もできない。
培養液に浮かんだ脳は、傍目にはのんびりたゆたって見える。そのまま脳は、永遠に生き続ける。
☆
1980年代の初め頃にこれを読み、それから10年以上経った90年代頃にTLSのことを初めて知った。
スティーブン・ホーキング博士に関するテレビ番組で紹介されたものだと思う。「生きている脳」とほぼ同じ状態が、現実にあることを知って衝撃を受けた。
以来、筒井先生のあの作品は、TLSを意識して書かれたものなのだろうかと気になっていた。
最初に書いたように、TLSの確立は、1989年頃らしく、筒井先生の小説が書かれた時期は、それよりかなり古い。事実が小説に追い付いたという感じだろう。
昨晩なんとなく寝付きが悪く、今回の記事を書きかけてしまった。他人事のように書いている場合ではない。
少しは知識を持っておくべきとも思うが、あまり知りたくない気分も大きい。
読まれて、気分が沈んだ方が見えたら、ごめんなさい。
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