2021年5月22日土曜日

もはや“自殺予防”ではない。

No.5 予防とは何か
日本で“最も”自殺の少ない町の調査から気づかされたこと

慶應義塾大学SFC研究所・上席所員 岡 檀


SOS発信を促す。

 「病(やまい)は市(いち)に出せ」。これは海部町に伝わることわざです。

 「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味しています。「市」というのはマーケット、公開の場です。体調がおかしいと思ったらとにかく早目に開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲が何かしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合いだと、町の古老が話してくれました。

 同時にこの言葉には、やせ我慢すること、虚勢を張ることへの戒めがこめられています。悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思い切ってさらけ出せば、妙案を授けてくれる者がいるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態に至る前に周囲に相談せよ、という教えとなっています。とても合理的なリスクマネジメント術であると思います。

 こうした教えが浸透している結果であるのか、海部町は医療圏内で最もうつ受診率が高く、しかも軽症の段階で受診する人が多いという特徴があります。自身の不調を認め、早めに援助を求めている表れといえましょう。

 うつに対するタブー視の度合いも関係しています。海部町では、様子がおかしいと思った隣人に対し、「あんた、うつになっとんと違うん。早よ病院へ行て、薬もらい」などと、直接つけつけと言います。言われたほうもまたあっさりと、「ほやろか、ほな一度診てもらおか」と応じ、声をかけてくれた隣人と連れ立って受診したりする。地域の精神科病院医師の観察によれば、他町からの患者は家族に伴われて受診するのに対し、海部町からの患者は隣人に連れられてくることが多いのだそうです。

 対する自殺多発地域・A町ではどうかというと、うつを強くタブー視するA町では、海部町のこのエピソードを紹介するといつも小さなどよめきが起きます。うつ症状を示す住民に対し保健師が受診を勧めようものなら、「頭がおかしいやて噂になったら、子どもや孫にまで迷惑かかる」と強い拒否反応を示されるのが常であるといいます。

 この話を聞いてつくづく思うのは、いくら行政側が「うつかなと思ったら早めに受診を」と繰り返し唱えても、その効果には限界があるという現実です。地域社会のうつへのタブー視が弱まり、受診したからといって自分も家族も白眼視されることは無いという確信を持つことができて初めて、受療行動は促されるのであって、それが無いままにただ受診しなさいと言い続けても、行動変容は望めないでしょう。

 近年、我が国では、精神病床の入院患者を退院させ、入院治療中心から地域生活中心への移行を推進しています。海部町は医療圏内で患者の地域移行が最も進んでいると言われているのも、腑に落ちる話です。



もはや“自殺予防”ではない。

 ここまで読み進めてきて気づかれた方も多いと思います。私は自殺希少地域・海部町で自殺予防因子を見つけたと最初に書きましたが、しかしそれらのいずれもが、自殺予防を目的とした要素ではなかったということに思い至ります。海部町の人々は、自殺予防のことなんて考えたこともない。実際に私が調査に入るまで、全国有数の自殺希少地域であることを知っている住民なんていなかったのです。

 では、海部町の人たちは何をしてきたのか。コミュニティに属する人たちの誰もがそこそこ気持ちよく、息苦しい思いを味わうことなく、暮らしは山あり谷ありであっても極端に不幸になることのないよう、ただひたすらそんなことを思って試行錯誤していたら、おまけに自殺予防がついてきた。私の目にはそのように映ります。

 いかにして自殺を減らすかと、頭を抱えて悩むのではなく、いかにして心地よく暮らすかと、逆のほうから考えていけばいいじゃないかと、今わたしはそんなふうに考えています。

 本稿を締めくくるにあたり、冒頭で書いた「自殺の少ない町では、幸せな人が多いのだろうか」という問いに戻りましょう。

 3,300人の住民に参加してもらったアンケート調査の結果は真逆でした。周辺町村の中で、自分は幸せだと感じている人の比率は海部町が最も低かったのです。不幸せだと感じている人の比率もまた、最も低かった。海部町で最も多くの人が丸をつけた回答は、「幸せでも不幸せでもない」という選択肢でした。町の人たちにその結果を示すと、意外だという人はひとりもおらず、「ほれがちょうどええんと、ちゃいますか」と言って笑っています。

 海部町での調査を通して得られた気づき、学びは、ここではご紹介しきれないくらい沢山あるのですが、これもまた強く印象に残ったことのひとつでした。幸せでなくてはいけないという観念が人を息苦しくさせている可能性について、改めて深く考えさせられたのです。

《引用文献》
・岡檀、山内慶太、自殺希少地域のコミュニティ特性から抽出された「自殺予防因子」の検証 ―自殺希少地域および自殺多発地域における調査結果の比較から―. 日本社会精神医学会雑誌、第21巻2号、p167-180、2012
・岡檀、生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由(わけ)がある 講談社 2013


http://www.jamh.gr.jp/kokoro/series7/series7-5-3.html

0 件のコメント:

コメントを投稿

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年4月15日 20:38 論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか ▼前回記事 「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳に...