交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
配信
全国で発生する交通事故。頭や首などを強打し、毎年1700人程度が重度後遺障害者と認定される。子どもが寝たきりになった場合、親が介護するケースが大半だが、10年、20年と続けていくうちに大きな不安に襲われる。「自分の死後、子どもはどうなるのだろうか……」。今回、そうした悩みを抱える母親らを取材。これまでの苦難や今後の不安を聞くとともに、必要な行政支援についても探った。(取材・文:ノンフィクション作家・柳原三佳/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
寝たきりの息子を支える母
「長男の蒼磨(そうま)は8年前に交通事故に遭い、頭に重い障害を負いました。今年21歳になりましたが、今も寝たきりで会話をすることもできません」 兵庫県加古川市の菊池佳奈子さん(50)は、介護ベッドの息子に優しい視線を向けながら、こう語った。 蒼磨さんは最重度の後遺症を負った障害者で、体を動かすことはできない。看護師でもある佳奈子さんは、休日は自ら蒼磨さんを介護し、仕事の日は訪問看護やデイサービスを利用している。
自宅はバリアフリーの2階建て。大きな窓から明るい光が差し込む1階は、ダイニングキッチンとリビング、蒼磨さんの寝室、佳奈子さんの寝室、そして浴室が全てつながっている。 蒼磨さんのベッドの天井には介護用リフトが設置され、風呂などへの移動はベッドに横付けした車いすに、蒼磨さんを移しておこなう。 「スポーツ万能で元気だった息子は突然の事故で一変しました。当初、介護に熱心だった夫もだんだん耐えられなくなったようで……。2年前に離婚しました。いま、次男、三男が助けてくれていますが、頼れる親戚は近くにおらず、将来のことを考えるとすごく不安です」
自転車で帰宅途中の事故
事故は2013年2月3日午後6時頃、兵庫県三木市で起きた。当時、中学1年生の蒼磨さんが自転車で帰宅途中、住宅街から下ってきた乗用車と出合い頭に衝突した。自宅まであと2キロほどの距離だった。 連絡を受けた佳奈子さんが駆け付けると、蒼磨さんは救急車の中で心臓マッサージを受けていたという。 「蒼磨の手足は硬直し、かなり危険な状態であることがわかりました。2日前には初めてのスキー合宿に参加して、『また行きたい』とはしゃいでいたのに……。私はその光景が信じられませんでした」
交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
蒼磨さんは搬送先の病院で「多発性脳挫傷、びまん性軸索損傷、気胸」と診断され、すぐに開頭手術となった。何とか一命は取り留めたものの、脳の損傷がひどく、「遷延性(せんえんせい)意識障害」(*注)を負った。 遷延性とはずっと続くという意味。患者は目を開けることはできても意思疎通はできず、自力で摂食や排せつをすることもできない。一般に「植物状態」とも呼ばれている。 近年、救命医療の進歩で交通事故の死者は減少しているが、重度後遺障害者は減っていない。頭や脊髄などに大きな衝撃を受け、毎年新たに1600~1700人が認定されている。この20年間では約4万人だ。
120キロ離れた岡山へ転院
事故後、2カ所の急性期病院に5カ月ほど入院していた蒼磨さんは、容体が安定してきたため、リハビリや医療ケアをしてくれる介護療養型医療施設(療養病床)に移る必要が出てきた。 佳奈子さんは県内の複数の施設を調べ、最終的に自宅から120キロ離れた岡山療護センター(岡山市)に移すことにした。 独立行政法人の自動車事故対策機構(NASVA)が運営するこの施設は、交通事故で遷延性意識障害となった人の専門病院。仙台や千葉など委託を含めて全国に11カ所ある(合計の病床数310)。入院期間はどこもおおむね3年以内で、高度先進医療機器を用いた治療やリハビリで、被害者の社会復帰の可能性を追求している。
岡山療護センターは開放的なワンフロア病棟で看護師が常に全体を見守っているため、菊池さんは安心しつつも、自宅からの距離的な負担は大きかったと振り返る。 「片道、車で2時間半ぐらいかかりました。さすがに体がもたなかったので、療護センターの近くにアパートを借り、私と元夫で交代しながら療護センターに通い詰めました。蒼磨に話しかけたり、好きな音楽を聞かせたり。一日付き添っていました」
兵庫の自宅には2人の息子がいる。家事をして、週3回は岡山で過ごす。そんな二重生活を佳奈子さんは3年間続けた。 岡山療護センターには大阪や関東からも入院している人がいて、その親たちとの情報交換や励まし合いには救われたという。 蒼磨さんが岡山に入院している間、佳奈子さんはバリアフリーの家を新築した。自宅で蒼磨さんを介護することへの不安はあったが、退院後はどうしても一緒に暮らしたかった。建築費用は事故の賠償金と自身の自動車保険からねん出した。
交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
配信
今後の不安を抱える
自宅でともに暮らし始めてから5年の月日が流れた。蒼磨さんは最近、支えがなくても1分間一人で座れるようになった。リハビリは毎日行い、「イエス」「ノー」といった最低限の意思表示ができるよう、会話補助機の訓練もしている。 ただし、蒼磨さんは気管を切開しているため、1日5~10回の喀痰吸引が必要だ。パッド交換は1日8回、朝昼晩の経管栄養と投薬、さらに体位も頻繁に変えなくてはいけない。ヘルパーの訪問介護やショートステイなどを利用しながら、佳奈子さんも細心の注意を払って介護をする。
自宅での常時介護で、これまで大きな事故は起きていない。佳奈子さんが病気で入院することもなかった。だが、先を見据えたとき、不安が重くのしかかるという。 「私は今年50歳になりました。いつ、ケガや病気をするかわかりません。その日が来たとき、言葉を話せず体を動かすことができない蒼磨は、だれに面倒を見てもらえるのでしょうか。次男、三男がいますが、任せるのはためらいます。職業柄、いろいろな療護施設を見てきましたが、蒼磨のような気管切開をした若者を入所させてくれるところはほとんどありません。先のことを思うと、眠れなくなるときがあります」
大阪にも不安を抱える人が
大阪府泉佐野市の坂本清市さん(56)も、「親なき後」への不安を抱える。10年前、次男・裕貴さん(28)がオートバイを運転中に、車に衝突された。脳挫傷、急性硬膜下血腫など頭部に大きなダメージを受け、手術後、遷延性意識障害を負った。
裕貴さんも急性期病院を出た後、岡山療護センターに転院することになったが、大阪の自宅から通える距離ではないため、母親の智恵美さん(55)は近くにアパートを借りて3年間センターに通い詰めた。 18歳の若さで、歩くことも、話すことも、食べることもできなくなった我が子があまりに不憫で、智恵美さんは「このまま二人で死のうか……」、そう思いつめたこともあったという。
清市さんも、裕貴さんが岡山療護センターを出た後は、自宅で一緒に暮らしたいと思っていた。事故の賠償金を使って自宅の正面に新たな土地を購入し、介護用の小規模な家を建築した。2014年から裕貴さんは訪問介護やデイサービスを利用しながらこの家で暮らしている。夜は智恵美さんが寝泊まりし、清市さんや長男の凌一さんも手伝う。
交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
骨折のアクシデント
ところがこの夏、思わぬ出来事が起こった。7月、智恵美さんが深夜に裕貴さんの翌朝の食事の準備をしていたところ、足を滑らせて転倒し、大腿骨を骨折したのだ。緊急手術を受け、2週間の入院を余儀なくされた。日ごろの介護の疲れもあったようだ。 清市さんは語る。 「普段は妻に痰の吸引などを任せているのですが、入院したため、私が仕事を休んで対応しました。裕貴は声を発することができず、反応が分からない私は毎日緊張しながら処置をしていました」 じつは清市さんも3年前に大病を患っている。 「私も50代半ばになり、このままずっと裕貴と自宅で暮らせるわけではないこともわかっています。でも、裕貴は医療的なケアが必要で、ショートステイですらなかなか利用できません。地元でいろいろと探す中で、裕貴が生涯、快適に暮らしていける施設があるといいのですが……」
「親なき後問題」への対策は?
求められる、重度の障害者の「受け皿」づくり。じつは国土交通省は自動車損害賠償責任(自賠責)保険の運用益をもとに、1967年度から本格的に事故被害者の支援をしている。 前出の専門病院(NASVA療護センター)の設置、介護料の支給、ショートステイの費用助成など。介護料は月額3万6500円から21万1530円で、2020年度は4720人が受給している。
介護をする人がいなくなる「親なき後」問題については、かつて国交省の専門家会議で「最大の懸案」と指摘されたこともあり、「優先的に取り組んでいる」と国交省保障制度参事官室の高梨辰聡課長補佐は言う。 「親なき後に、障害のあるかたを安心して入所させられる施設を増やすことは急務です。最重度の脳損傷者の6割は60歳以上のご家族が介護しているという過去のアンケート結果もあります。多くの障害者を入所させられる障害者支援施設だけでなく、地域の家庭的な雰囲気で共同生活ができるグループホームも受け皿となってもらえるように、2018年度から双方を支援しています」
交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
具体的には、施設側の3点の費用を補助している。 ・職員の増加にともなう人件費 ・介護リフトなど介護機器の購入費 ・医療的ケアに関する職員研修費 18年度は約1億5千万円の予算でスタートし、人件費補助は1施設で最大年1080万円だった。だが、20年度からはその上限を撤廃し、予算も倍増させている。施設側にスタッフや機器をそろえてもらい、重度障害者の入居先になってもらうのが狙いだ。
なかなか増えない「受け皿」
だが、毎年少しずつ増えているものの、昨年度に補助対象となったのは障害者支援施設が49カ所、グループホーム(以下、GH)は5カ所だった。国交省が重度後遺障害者を受け入れられる可能性があると考えている施設はそれぞれ全国に326と247あり、全体からみるとまだまだ少ない。地域によっては受け入れ可能な施設が見つかっても、「10人待ち」と言われることもあるという。
関西地方のあるGHの施設長は、「子どもを介護している親の負担を考えると受け入れてあげたいが、重度後遺障害者で気管切開をしているかたは多く、喀痰吸引や経管栄養などの医療的ケアが必要になる。施設側としてはやはりリスクがあります。そうしたケアができるスタッフを確保し、常時介護のために夜勤もしてもらうとなると、なかなか難しい」と話した。
シェアハウス型への支援も必要
国交省の「今後の自動車事故被害者救済対策のあり方に関する検討会」の委員で、関東学院大学の麦倉泰子教授(福祉社会学)は、受け皿となる施設が増えているのは評価できるとしたうえで、こう話す。 「すでに取り組まれていますが、国交省には補助制度のさらなる拡充と周知をお願いしたいと思います。いま施設にいるスタッフの研修費用の補助など、使える制度が整備されつつあり、広く最大限に活用されることを望んでいます。また最近では、従来のGHの枠にとらわれない新しいシェアハウス型の住宅も出てきています。スタッフの介護を受けながら、柔軟な生活を送ることを目指している。こうした動きを後押しするような施策も進めていただきたい」 また、受け皿ができるまで自宅で介護を続ける家族については、「負担を抱え込まずに極力、地域の人やサービスを頼ってほしいと思います。特に障害福祉サービスの関係者と緊密に連携することが大切です。ご家族でそうした地域資源を探すことが難しい場合もあると思いますが、NASVAの訪問支援サービスなどを通じて、つながっていただきたい」と話した。
交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
配信
後を絶たない悲惨な交通事故。「一命を取り留めた」という言葉の裏側に、一生涯、過酷な生活を強いられる被害者と介護に奔走する家族がいることを忘れてはならない。介護者の負担や不安を少しでも減らすための政策が求められている。 (*注)脳神経外科学会は、以下の6つの項目が3か月以上続いた場合、遷延性意識障害にあたると定義している。 ・自力で移動できない ・自分で食べることができない ・自分でトイレができない ・言葉を発することができない ・意思疎通不能ができない ・目でものを追いかけることができない
--- 柳原三佳(やなぎはら・みか) 1963年、京都市生まれ。ジャーナリスト・ノンフィクション作家。バイク誌の編集記者を経てフリーに。交通事故や司法問題等を取材し各誌に執筆。『週刊朝日』で連載した告発ルポは自賠責の査定制度改正につながった。著書に『自動車保険の落とし穴』(朝日新書)、『示談交渉人裏ファイル』(角川書店)、歴史小説『開成を作った男、佐野鼎』(講談社)、『私は虐待していない 検証・揺さぶられっ子症候群』(講談社)など。柳原三佳オフィシャルサイト (mika-y.com)
https://news.yahoo.co.jp/articles/480d282af9cfdaafcaf5279791ce7cda47bc6785