論点:安楽死制度に「余命要件」「疾病要件」を盛り込むべきか
さて、前回に引き続き「余命要件」と「疾病要件」を設けることの利点と問題点について考えていきましょう。
まず、大前提として(再確認ですが)「余命要件」と「疾病要件」を安楽死制度に付与することの最大のメリットは「反対派の数を減らすことができる」点です。
例えば、「安楽死制度を利用することができる人は余命半年以内と診断されたものに限る」とか「がんの終末期と診断されたものに限る」という要件を設ければ、その要件外の事柄を理由として反対意見を述べていた人たちを、議論から遠のけることができます。反対派の声が小さくなることは、安楽死制度を成立させることの近道になるでしょう。
また、適応範囲を広めにとる(つまり対象者の数が膨大になる)よりは、対象者に最初から制限を設けておいて、「小さく始める」ほうが、制度を円滑に運用する上で楽であったり、制度上のエラーが後々に見つかったとしてもその修正コストも小さく動かすことができます。
これは、「運用」という点だけから見れば理にかなった選択肢であり、あらゆる商売を考えてみても「小さく始める」ことから開始して試行錯誤を重ねながら徐々に大きく育てていく、というのは常識といえるでしょう。ただ、先に述べたように安楽死制度は人権問題なので、運用のことだけを最優先に考えて良いのか、については分けて考えなければなりません。あくまでも、多方面から制度を考える場合の「視点のひとつ」くらいの意味合いです。
適用外となった集団からの批判へは
あと、安楽死制度を「余命要件」「疾病要件」で限定すると、逆に「その範囲に入れなかった集団」から必ず批判が出ます。例えば仮に、安楽死制度を利用できる要件を「がんの終末期で余命6か月以内と医師から診断書を交付されたもの」と限定したとしましょう。この場合、がん以外の疾患の方や、余命が半年以上残っていると予測される方には安楽死制度を利用できる道が閉ざされることとなります。実際に、この集団の中に安楽死制度の適用を待ち望んでいた人がいた場合、「このような差別的対応を受けるのは納得できない」と抗議の声があがることは想像にかたくありません。
ただ、このような「余命要件」「疾病要件」で対象を絞った場合、その対象外となった反対派の方々がいましたよね? なら、そういった抗議の声に対しては、この反対派の方々と議論してもらえばよいのです。
全ての国民を対象として「よーいドン」で制度を進めようと、完璧な制度を作り上げようと考えるから、いつまでたっても制度化の兆しも見えない。それであれば、全国民を対象とせず「部分的に優先して進められそうなところから」進めましょう、という考えがあってもいい。例えば「がん」「余命6か月以内」の条件下での制度運用は粛々と進めつつ、それ以外の領域については「各々の賛成派・反対派で議論を進めてもらって」折り合いがつく着地点が見つかったら制度に組み入れていく、というやり方もあってもよいということです。
日本における「4要件」は余命要件を求めているが・・・
ちなみに、日本国内で安楽死制度の運用を考えていくうえで、現在最も法的に有効性のある考えは、横浜地裁が示した4要件、つまり
①患者が絶えがたい肉体的苦痛に苦しんでいる
論点:安楽死制度に「余命要件」「疾病要件」を盛り込むべきか
さて、前回に引き続き「余命要件」と「疾病要件」を設けることの利点と問題点について考えていきましょう。
まず、大前提として(再確認ですが)「余命要件」と「疾病要件」を安楽死制度に付与することの最大のメリットは「反対派の数を減らすことができる」点です。
例えば、「安楽死制度を利用することができる人は余命半年以内と診断されたものに限る」とか「がんの終末期と診断されたものに限る」という要件を設ければ、その要件外の事柄を理由として反対意見を述べていた人たちを、議論から遠のけることができます。反対派の声が小さくなることは、安楽死制度を成立させることの近道になるでしょう。
また、適応範囲を広めにとる(つまり対象者の数が膨大になる)よりは、対象者に最初から制限を設けておいて、「小さく始める」ほうが、制度を円滑に運用する上で楽であったり、制度上のエラーが後々に見つかったとしてもその修正コストも小さく動かすことができます。
これは、「運用」という点だけから見れば理にかなった選択肢であり、あらゆる商売を考えてみても「小さく始める」ことから開始して試行錯誤を重ねながら徐々に大きく育てていく、というのは常識といえるでしょう。ただ、先に述べたように安楽死制度は人権問題なので、運用のことだけを最優先に考えて良いのか、については分けて考えなければなりません。あくまでも、多方面から制度を考える場合の「視点のひとつ」くらいの意味合いです。
適用外となった集団からの批判へは
あと、安楽死制度を「余命要件」「疾病要件」で限定すると、逆に「その範囲に入れなかった集団」から必ず批判が出ます。例えば仮に、安楽死制度を利用できる要件を「がんの終末期で余命6か月以内と医師から診断書を交付されたもの」と限定したとしましょう。この場合、がん以外の疾患の方や、余命が半年以上残っていると予測される方には安楽死制度を利用できる道が閉ざされることとなります。実際に、この集団の中に安楽死制度の適用を待ち望んでいた人がいた場合、「このような差別的対応を受けるのは納得できない」と抗議の声があがることは想像にかたくありません。
ただ、このような「余命要件」「疾病要件」で対象を絞った場合、その対象外となった反対派の方々がいましたよね? なら、そういった抗議の声に対しては、この反対派の方々と議論してもらえばよいのです。
全ての国民を対象として「よーいドン」で制度を進めようと、完璧な制度を作り上げようと考えるから、いつまでたっても制度化の兆しも見えない。それであれば、全国民を対象とせず「部分的に優先して進められそうなところから」進めましょう、という考えがあってもいい。例えば「がん」「余命6か月以内」の条件下での制度運用は粛々と進めつつ、それ以外の領域については「各々の賛成派・反対派で議論を進めてもらって」折り合いがつく着地点が見つかったら制度に組み入れていく、というやり方もあってもよいということです。
日本における「4要件」は余命要件を求めているが・・・
ちなみに、日本国内で安楽死制度の運用を考えていくうえで、現在最も法的に有効性のある考えは、横浜地裁が示した4要件、つまり
①患者が絶えがたい肉体的苦痛に苦しんでいる
②患者は死が避けられず、その死期が迫っている
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替する手段がない
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある
ですが、ここでは②において「余命要件」への言及があります。
ただし、諸外国での安楽死制度では「余命要件」を設けていないものも多く、認知症や神経難病など余命が比較的長い状態での安楽死制度適用も可能となっています。
さて、この連載は「何が正しいのか」を誌面上で明らかにするものではなく、「論点を整理して議論を円滑とし、制度化についての不毛な言い争いを減らす」ことを目的としています。
よって、ここで「横浜地裁が示した基準があるから余命要件は必要だ」とか、「いや海外ではそんな要件が無くても運用できているのだから制限は必要ない」と結論づけることはしません。一言、二言いわせてもらえるのであれば、4要件は日本での安楽死制度を議論する際に必ずと言っていいほど取り上げられる基準ですが、これはあくまでも「地裁判決」であって、これ以上の司法判断をされた判例が存在しないために用いられているに過ぎない、といった事実は押さえておいて良いと思います。一方で、海外でうまくできているから日本でもうまくできるはず、というのは根拠としては弱いことも事実です。なので、日本においては全くフラットな視点から議論を立てていく方が健全のように僕は思っています。
そして、この「余命要件」「疾病要件」は、どちらかといえば実際の運用を行っていくうえでの「枝葉的な」テーマとも言えますが、賛成派の方々にとっては議論を行う上で反対派を封じる手札のひとつとして使えることを覚えておいてほしいのです。それは今後またテーマにあげていきますが「年齢要件」についても同じことが言えます。
例えば「私の知っている○○病の方の場合は・・・」とか「子供への制度適応は・・・」など、対象者を広げて、または制度化が実現したときに野放図に対象者が拡大していくことへの懸念(いわゆる滑り坂問題)を出して反対派が議論を仕掛けてきたときに「では、その対象者については法的に対象外とするように要件に盛り込みましょう」と返すことで、このような拡散しがちな議論を締めることができます。
さて、ここまでお読みいただいた皆さんは、この「余命要件」「疾病要件」はあった方が良いと思いますか?
まとめ「余命要件」と「疾病要件」
・「余命要件」「疾病要件」を設けた方が、安楽死制度の実現は多少なりとも「早くなる」効果は見込める。
・一方で、その要件の対象外となる方々は希望しても制度適応とならないため不公平感がある。
・不公平感のみならず、「法の下の平等」に反する恐れがあり、法的にも許容できないかもしれない。ただ、全国民対象にこだわれば制度化は長期化する、あるいは実現不可能となるかも。
・「段階的承認」を容認して、社会的体制が整った集団から漸次的に適応範囲を広めていく、という戦略はありかもしれない。
https://note.com/tnishi1/n/nf7dbfbbb0946
0 件のコメント:
コメントを投稿