論点:安楽死制度に「余命要件」「疾病要件」を盛り込むべきか
前回まで、「安楽死制度を求めるために必要な3つの要素」、
①緩和ケアの発展と均てん化
②医療の民主化
③患者の権利法
についてお話してきました。
では具体的に、この3つの要素を日本でどのように獲得していけばよいのか?について考えてみましょう。
そもそも大前提として、
「安楽死を求めているのは国民の多数派ではない」
という事実を認識しておく必要があります。
こう言うと、
「いや、世論調査で安楽死制度に賛成する国民は70%以上という結果もある。安楽死制度賛成派は多数派だ」
という反論を持つ方もいらっしゃるかもしれません。しかし、その「70%」の中には、
①心から安楽死制度の実現を求めている層
②安楽死制度ができるなら、その結果は受け入れても良い層
③本当はどうでも良い(自分には関係ない)と考えている層
などが入り混じっています。また、この中に「安楽死=安らかで楽な死であり、それ以外の死=苦痛に満ちた死」と誤解されている結果として「安楽死賛成」となっている方も多く含まれることも事実です。
これはまた別の章で詳細に議論したいと考えていますが、オランダでも全死因のうち安楽死を利用するのは5%前後、日本の調査でも実際に終末期の状況において緩和ケアを受けながら「それでも死を早めたい」と考えるのは10%程度と報告されており、①の層、つまり「自分ごととして安楽死制度へのニーズがある」方々は全体から見ればマイノリティとなっている構図をきちんと認識すべきです。
安楽死制度実現のためには、「安楽死制度を求めるために必要な3つの要素」を社会に実装するべく「運動」を行っていく必要がありますが、上記の3つの層のうち、その運動に積極的に参加してくれるのは①と②のごく一部でしょう。つまり、国民の仮に10%くらいが「(狭義の)賛成派」であり、その一方で絶対に安楽死制度実現を認められない反対派もおそらく10~20%程度。そして残りの70~80%はほぼ無関心層。もちろん、この無関心層は広い意味で言えば賛成、となってくれる可能性は高いため「国民的議論になりさえすれば」安楽死制度実現に向けて一気に潮目が変わると思います。ただ、そのための運動をする上で賛成派と反対派が拮抗している現状では、無関心層が動くことは無いでしょう。
少し話がそれますが、そもそも日本ではマイノリティの人権に関して、反対派がそれを侵害し続けていても多数派は何とも思わない、という構図になっている事例が、歴史上現在に続くまで繰り返されています。
例えばで言えば、同性愛者の婚姻問題や夫婦別姓問題などがそうです。同性愛者や、夫婦別姓を求める方々はマイノリティですが、国民は多くは無関心といえども「別に反対はしない」立場ではないかと思います。ただ、強固な反対派の声が大きく、制度化を求める声と拮抗してしまう結果、潮目は変わらず無関心層が動かされることもありません。
僕は個人的に、この2つの問題は日本人がマイノリティの人権に対しどういう意識を持っていて、どのように行動するかという点で注目しているのですが、一向に解決に向かわない現状を見ている限り、安楽死制度実現への道も遠いのではないかと思ってしまいます。マイノリティの人権に対し、鈍感すぎるのです。
「安楽死制度実現を求める運動とは、人権運動である」
この前提を共有したうえで、「余命要件」と「疾病要件」の話に移っていきましょう。
時間をかけても適応を広げるか、なるべく早く実現することを優先するか
これまで述べてきたように、安楽死制度賛成派はマイノリティであり、それを求める運動とは人権運動です。そして、この運動を進めるのにネックとなるのはいわゆる反対派の存在です。
賛成派と反対派は、おそらく数(発言ベース)の上で後者の方が多く、また社会的権力を握っている層も多いのが現状です。安楽死制度を求める当事者や支援者の声も、時々取り上げられることはありますが、一時的な発信に留まる場合が多いうえ、「両論併記」という形で反対派の意見によって相殺され、無関心層へ訴求する力はほぼ失われています。
この現状に対して取るべき戦略はいくつかありますが、「反対派の取り込みまたは切り崩し」はそのひとつとしてすぐに思いつくものでしょう。そして、この戦略を採用するためには「反対派」とされる人たちがどのような対象なのかを知る必要があります。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、なのです。
ここで、反対派を「所属する属性」で定義してしまうと、戦略の本質を見誤ります。一般的に「安楽死の反対派」というと、医師や患者団体、またはその支援団体などが挙げられますが、その医師だけ取り上げても全員が一様の価値観を持っているかと言えばそうではありません。安楽死制度に賛成する医師がいることも事実ですし、「条件付きであれば」認めるという医師も多いのです。ここで重要なことは、その「条件付きであれば」の部分を知ることになります。この「条件」を広くすればするほど、反対派と言われる方々は増えますし、「条件」を絞るほど反対派は減ります。つまり、一般的に「反対派」と言われている人たちというのは、その実は流動的であり、簡単に取り崩せる部分をもった集団であるということをまず念頭に置いておくべきです。
そのうえで、「では反対派がこだわる条件とは何か?」を考えていくのがこの連載の「論点」となります。これから、多くの「条件」について論点としてあげていきますが、ここではまず「余命要件」と「疾病要件」について考えてみましょう。
まず「余命要件」とは、安楽死制度を運用する上で「余命○○か月以内と医師から診断されたものに限る」という要件を設けるか否か、という論点です。余命要件を設ければ、例えば死期が迫った患者に対し、十分な緩和ケアを行ったとしても苦痛が緩和できない際に安楽死を行うという選択肢が生まれることになります。一方で、神経難病や認知症のように、身体的・精神的機能が十分ではなくなった後も余命が長く続くことが多い疾患の場合は、この余命要件が設けられてしまうと安楽死制度の対象から、その死期が迫るまでは除外されてしまうことになります。精神疾患による安楽死制度適応も当然のように除外されます。余命要件の設定は、安楽死制度を運用するにあたり、その対象者を大きく絞ることになる一方で、「本当は死を望んでいない患者を死に追いやることになる」といった、よくある反対理論を封じ込めることに寄与するといえます。つまり、この余命要件があることによって、まだ十分に生きる時間がある人を、安楽死制度の濫用から守る、という意味合いを持っているということです。
また、「疾病要件」とは安楽死制度を適応する疾患を、いくつかに特定してしまう、という論点です。この意図するところは、「安楽死制度を求めるために必要な3つの要素」で取り上げた、緩和ケアがどの程度いきわたっているかによって安楽死制度を適用しても安全かどうかを判断する、という意図があります。日本国内において、少なくとも現状では「がん」と「非がん疾患」に対する緩和ケアリソースは大きな差があります。「がん対策基本法」に基づき、20年近く緩和ケアの充実に取り組まれてきたがん領域は、マンパワー的にも社会制度的にも他疾患の終末期ケアより数歩は進んだ仕組みが構築されています。こういった状況の中で、疾病要件を設けずに安楽死制度を運用してしまえば、結果的に「緩和ケアが不十分であるがために苦痛が取り除かれず、結果的に安楽死制度で死を早めてしまう」事例が多発する懸念があるということです。それであれば、国内で比較的緩和ケアリソースが充実しているがん領域でのみ、安楽死制度の運用をスタートしてみて、そこでの課題の洗い出しや手順の確認などを行っていくことで、将来的に他の疾患へも対象を広げていくべきではないか、という考え方があってもよいと思います。この疾病要件も、対象となる人を絞ることによって、反対派の当事者となる方を減らすことに寄与するでしょう。
では次の章では、この余命要件と疾病要件を設けることにどのような利点があり、逆にどのような問題点があるのかを洗い出していこうと思います。
https://note.com/tnishi1/n/n59fd518cb0d9
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