2021年7月21日水曜日

みわよしこのブログ

 2019年11月、京都市に在住していたALS患者の女性(当時51歳)を嘱託殺人した疑いで、2020年7月23日に医師2名が逮捕されました。
 それから1ヶ月が経過したわけですが、私は日に日に、報道や障害者団体の発言等の一部に耐えられなくなってきました。
 8月20日ごろ、記事や声明を見ていると苦痛で泣き叫びそうになり、「限界だ」と感じました。読むと心と精神をタコ殴りされ、口や手に見えない猿ぐつわや見えない手錠がかけられようとしているような気持ちになってくるのです。
 私は障害者です。「障害者だから言うべき」も「障害者だから言ってはならない」も、あってはなりません。しかし、期待されることを言わずタブー発言を口にすることは、「障害者としては生きていけなくなる」、すなわち生きていけなくなることにつながりかねません。そういう世界に自分が閉じ込められていることを、思い知らされつづけているのです。


理由1 報道が寄ってたかって介護者支援者像を作ってないか?

 報道が開始された当初から、「なんだか怪しい」と感じていました。世論が介護事業者やヘルパーの責任を問う方向へと流れないように、報道が先手を打っている印象を受けたからです。
 亡くなった林優里さんは、「死にたい」という思いやヘルパーによる苦痛を、ブログやツイートに書き残していました。
 最初に「怪しい」と感じたのは、介護事業者など支援者側が、林さんのブログやツイートを「知らなかった」としているという報道を見かけたときです。「なぜ、わざわざ、そんなことを書くかなあ?」と思いましたよ。そもそも、不自然すぎる話です。
 役所の福祉部門も介護事業所等も、障害者や生活保護利用者によって自分たちの悪口が書かれていないかどうか、けっこう神経を尖らせているものです。

 私なんて、誰にも存在を話していない英文のブログに書いた杉並区障害福祉とのゴタを書いた3日くらい後、「そんなことを書くと、今のわずかな障害者福祉もなくなるぞ」と圧力かけられたことがありますよ。居住している杉並区の区役所ではなく、区役所が強引に押し付けた訪問医療の作業療法士からでしたけど。2007年から2008年にかけての話です。

 全くチェックしていないとしたら、危機管理の観点からいって、ちょっと問題ありそうに思えます。「サービスや制度の利用者に自分の悪口を書かれる」という恐れもあるでしょう。虐待やハラスメントなら、そういう書かれて困ることは最初からしなければいいんですけどね。逆に「組織や上司の目のとどかないところで、末端の従業員が何をしているかわからない」という恐れから、ある程度の”エゴサ”を行い、利用者が公開している文書をチェックするのは、非常に自然です。
 林さんの場合は、「京都市」「ALS」「24時間介護」「女性」あたりから、ブログやSNSアカウントを簡単に突き止められたはず。介護事業所との関係の中での救いのないストーリーを、結末が救いのないままながら希望のもてる書きぶりで締めくくっていたりするあたり、実際に起こっている虐待的な扱いをマイルドにしているように思える書きぶりなどから、介護者・支援者の目や反応を意識していた可能性が見受けられます。
 もちろん、メールやSNSメッセージのやりとりを介護者や支援者が知るのは、好ましくありません。ましてや安楽死の相談となると、林さんは見せない努力をして成功していた可能性が高いと思われます。
 ブログやSNSアカウントの存在や内容に関して、報道の数々に紹介された支援者や介護者の言葉は、非常に不自然な点が目立ちます。フツーの健常者は疑問を持たないかもしれないけど、障害当事者でありモノカキ稼業23年目の私を、煙に巻けるとは考えないでほしいです。そもそも報道が解禁されはじめてから数日間の記事は、締切時間とコメントが取られたと考えられる時間帯とコメントの主だけで「怪しすぎる」ものがいくつも。
 最大の疑問は、「なぜ、そんなことを?」「なぜ、ここまで?」でした。今もそうです。


理由2 なんのために、介護者や支援者の像を作らなくてはならないのか

 まず、「ケアマネの横暴やヘルパーによる虐待の可能性に注目されたくない」という至極当然の理由は、そりゃまあ、あるでしょうね。ただ、それは単純に「不適切な対応や虐待があったら都合が悪い」という話でもないと思われます。
 自分自身の記事でさんざん書いてきていますが、そもそも介護業界には深刻な人材不足があります。仕事と責任の重さに見合う給料じゃないですから。最低賃金よりは相当高いけど、コンビニやスーパーが人手不足から時給を上げれば簡単に抜かれる時給です。2019年は、1人のヘルパーさんを14.5件の求人が奪い合う状況でした。さらに、高齢者福祉よりも障害者福祉、障害者福祉の中でも医療的ケアを伴う分野だと、さらに深刻な人材難になります。
 ALSの介助は、特別な技術をいくつか身につけ、さらに各患者さんに個別対応する必要があります。しかし、長期にわたって腕を磨きながらキャリアを継続できる可能性もあります。私の直接知る範囲に、キャリアアップして介護事業所の経営に至った女性もいます。「介護は給料が安くて悪条件で不安定な仕事」という”常識”の例外を生み出しやすかった障害分野の一つは、ALSの介助だったりしました。ヘルパー資格を持っていない人の登用をやりやすくする仕組みも、長年かけて作られてきました。
 それでも深刻な人材難。厚労省の報酬削減の影響がないわけはありません。「人であればなんでもいい」という採用をせざるを得ない場面も増えてきているようです。それで「虐待があるわけない」と言われたって、信じられません。
 とはいえ、世の中や患者さんたちに「そんな介護を受けて暮らすしかないのなら、もう死んだほうがいい」と思われてしまったら、今までの蓄積まで失われてしまいます。24時間介助を受けて地域生活をする重度障害者を増やし、そのポジティブなイメージを広報していけば、人材難が解消されてヘルパーの質も上がるかもしれません。良心的な支援者たちや介助者たちが、それを何とか目指し続けようとしているのは私にも分かります。
 が、その路線に報道が沿い続けていいんでしょうか。広報ではなく報道であることの意義は、どこにあるのでしょうか。現状を伝えながら、ポジティブな事実もあることは伝えながら、しかし虐待の可能性に蓋をせず、介護や介助に関する構造的な問題を解決する方向に世論を動かしていく方向性はあるのではないでしょうか。
 私は、心ある報道陣の一部がそういう動きをしていると見ていました。それに期待していました。でも、今後も期待していいんでしょうか。「たぶん無理だろう」と絶望的な気持ちになっています。
 ALSの介助に関わっている数少ない介護事業所や支援団体や当事者団体は、取材にあたって情報源の中心にならざるを得ません。その意向に沿わない取材や報道は、「やってもいいけど出禁覚悟」ということになるでしょう。政治スキャンダルなら、ときには公益のために、信用させておいて裏切ることもありえます。しかし、このケースで「公益」とは? ALSの介護に関わっている数少ない事業所を減らし、虐待はするけれど仕事は一応するヘルパーを退場させると、「公益」どころではなくなるでしょう。しかしながら、障害者虐待の可能性に蓋をすることも「公益」ではないでしょう。




理由3 「死人に口なし」とは言うけれど

 私が報道に接することに耐えられなくなっていったのは、2020年8月5日の京都新聞記事『ALS女性嘱託殺人事件報道について、日本自立生活センター記者会見全文』を読んだ時が決定的な契機だったと思います。
 会見した障害当事者スタッフ3名のうち、大藪光俊さんと増田英明さんには直接の面識があります。私は、増田さんの言葉に、なんといいますか。立ち上がれないくらい打ちのめされてしまいました。

私たちは生きることに一生懸命です。安楽死や尊厳死を議論する前に、生きることを議論してください。

 私自身の記事での立場は一貫しています。今の日本には、安楽死や尊厳死を云々する前提がありません。なぜなら、「安楽生」「尊厳生」が無条件に保障されているわけではないからです。生きることに関する多数の魅力的な選択肢があり、どれも容易に選ぶことができ、それよりやや選びにくい位置に「安楽死」「尊厳死」があること。それが、明日も生きる選択の代わりに「安楽死」「尊厳死」を選択できるための最低条件でしょう。「生きる選択が事実上出来ないから死ぬ選択を」というのなら、社会全体で自殺幇助しているのも同然です。この点では、増田さんとの意見の相違はないと思います。

そしてヘルパーさんや経営者のみなさんにエールを送ってください。おねがいします。


 エールだけじゃ無理です。同情するなら人間らしい暮らしが営める報酬を。そういう経営が無理ゲーにならない環境整備を。もちろん、増田さんを含む日本の重度障害者たちは、そのために闘ってきています。しかし、この文は何のためにあるのか。次の文を読むと浮かび上がってきます。

安易に彼女の言葉や生活が切り取られて伝えられることや、そうやって安楽死や尊厳死の議論に傾いていくことに、警鐘を鳴らしてきました。いま私たちの間には静かな絶望が広がっています。


 林さんが書き残した程度も内容もさまざまな苦痛の数々は、そう安易に切り取れるものではありません。時系列的にも内容的にも、矛盾がありません。全体を踏まえながらどこかを切り取ると、「つまみ食い」になりようがありません。論理的に「だから生き続ける選択はなく、安楽死しかない」という結論が導かれます。私は、林さんのその明晰な思考を否定したいとは思えないんですよ。それはそれで尊重したいです。そして、「だから安楽死しかない」という結論を導く前提条件や仮定を突き崩したいです。というか、何があれば死ななくてよいのか、林さん自身が見抜いていました。介護報酬を高めること。他の仕事にも就ける人が誇りをもって介護職に就けるように地位を高めること。ツイートに繰り返し出てますよ。アケスケに書いてはありませんが、それで介護業界に「良貨が悪貨を駆逐」が起これば、解決になるでしょうね。実はリーマン・ショック後の2~3年間、現実になりかけていました。
 「虐待に甘んじていなくてはならないのはイヤだ」という林さんの魂の叫びが浮かび上がってくるような記述の数々を、なぜ、障害当事者や介護や支援に関わる人々が、よってたかって掻き消さなくてはならないのでしょうか。「死人に口なし」にしてしまうのでしょうか。そうなってしまう背景は、ある程度は分かるつもりです。それだけに、私は深く深く絶望します。

 私の仲間はこの報道を聞いて、自分がどうしていいのかわからなくなったといいました。支援者もこの事件や報道に傷つきながら、わたしたちを支えてくれています。


 福祉・介護・医療のパターナリズムは、障害者だけで話をするとき、「あいつら最悪」という形で語られることが多いものです。しかし障害者が抵抗して声をあげようとすると、うまいこと”回収”されてしまうんですよね。「私たちも、もう少し考えなくてはなりませんね」「私たちも、そういうお気持ちを理解できるようにならなくてはなりませんね」などと。
 私は「こういう言動がイヤだからやめてほしい」と言いたいだけです。それは膨大なリストになるようなものではなく、重要なものに絞れば10項目以下になりそうなものです。でも、それを聞いてもらえたことがありません。そういう話にしようとすると「その前に相互理解が」とか言われて、さらにすり減り、絶望して離れていくことの繰り返しです。あまりにも同じパターンが繰り返されるので、「相手が意図的に、こちらの消耗と絶望を誘起しようとしている」と考えるようになりました。
 増田さんの仲間の当事者の方の「自分がどうしていいのかわからなくなった」という言葉。私も、どうすればよいのかわかりません。でも、現状がおかしいのは、はっきりしています。このおかしな現状を変えなくてはなりません。

彼女のひとつだけの言葉をとって、安楽死や尊厳死の議論に結びつける報道は、生きることや、それを支えることにためらいを生じさせます。いまこの事件をしって傷ついているひとたちに、だいじょうぶ、生きようよ、支えようよ、あきらめないでと伝えて、応援してほしいです。生きていく方法は何通りも、百通りだってあります。ひとの可能性を伝えるマスメディアの視点を強くもとめます。

 
 増田さん。なぜ、そうなるのでしょう? 
 生きることに向かおうという方向は、私も同じくしているつもりです。
 でも、生きる方法や可能性を探る前に、苦痛を取り除かなくていいんですか? 
 少なくともご本人が虐待だと感じていて、読んだ私や友人の障害者たちが「これ虐待だよね」「これだったら私だって死にたくなる」と感じるようなことを、まず止めさせるべきではないのですか?
 そこに女性というジェンダーや、「にもかかわらず」の高学歴や過去の職業キャリアが絡んでいて、苦痛が除去しがたいものになっているとすれば、まず、女性であっても高学歴であっても職業キャリアがあっても快適に今を生きられるようにすべきなのであって、その阻害要因を除去するべきではないのですか? 
 現実の問題として、阻害要因を除去したら抱き合わせで支援が除去されてしまい、生きていけなくなるわけです。その現実に正面から向き合って環境を変えなければ、いつまでもこのままになるのではないのですか?

 私は、その可能性に向かうメディアの一員であろうとしています。
 が、毎日のように「これでもか、これでもか」と繰り返されるポジティブ重度障害者ライフキャンペーンに、ぶちのめされてしまいました。
 ポジティブ要因が悪いと言いたいわけではありません。虐待や差別といったネガティブ要因に蓋をせずにポジティブキャンペーンを展開することだって出来るはずだと言いたいのです。

私は疲れ果て、絶望しています

 ともあれ、私はぶちのめされてしまいました。
 ことさらに誇示されるかのような、ポジティブ重度障害者ライフの数々に。
 「安楽死上等」という意見だって人の意見であり、それも尊重してこその言論の自由なのに、「言ってはならない」と言わんばかりの識者の声の数々に。
 立場の弱い人の主張を支えて拡大する方向や、誰もが自分の言論の自由を行使出来る方向に向かっているとはいえない、本件の報道の数々に。
 虐待や差別や排除が「ある」という事実を認めて無くすのではなく、「つながり」「共生」「包摂」といった実体不明の言葉で明るい将来像が示され続けることに。
 絶望しました。疲れ果てました。
 しばらく本件から離れていようと思います。


https://miwachan.blog.jp/archives/1077921836.html

2021年7月19日月曜日

<後編>脳死状態になることも…自殺を考える人に“もう一度だけ”あがいてみてほしい理由<yuzuka×よしむら香月>

コロナの影響や、著名人の相次ぐ自殺も原因となっていると見られている。これは、異常事態である。まだ希望を持つべき人たちが、次々に命を絶っていく。厚生労働省は、「自殺はその多くが追い込まれた末の死だ」と、言い切った。



面会で“明るく振る舞う”家族の姿

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よしむら香月さん

「自殺を図ったが死に切れなかった人がどうなるのか」を聞いた前回に引き続き、今回は、「自殺を図った人の家族や、自死遺族のこと」、そして、自殺を考えている人に伝えたいことについて、2人で語り合った。

yuzuka:漫画に描かれていた、自殺を図ったことで寝たきりになってしまった患者さんの面会に来られた、ご家族の表情が印象的でした。

 どこか楽しそうというか、笑顔だったのが意外で…… 。何か意図を持って描かれたのでしょうか?

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『自殺を考えている人へ』(よしむら香月)より

よしむら香月さん(以下、よしむら):はい。実際に家族の方で、こういう方が多かったというのを表現しました。当たり前ですが、状況的にはご家族はものすごく辛いんですよね。だけど目の前にいる患者さんに、辛い顔を見せようとしない姿勢を感じるんです。

 実際に、いつも楽しそうに思い出を語られている方が多いのが印象に残っています。おそらくその楽しい雰囲気をベッドに寝ている本人たちに伝えようとしているのかなと思います。もちろん想像の範疇ですが。

yuzuka:辛いですね……。ちなみに面会される方は多いのでしょうか。

よしむら:はい。 他の原因で入院されている患者さんたちと比べると自殺がきっかけで入院された患者さんは、圧倒的に面会が多いです。ご家族だったり、お友達だったりですね。ほとんど毎日いらっしゃる方もいますね。



私が孤独死現場でみた“遺族の姿”

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筆者・yuzuka

yuzuka:そうですか……。実は私、今、特殊清掃の現場に密着で取材を行っているんです。実際に孤独死のあった現場に出て、清掃のお手伝いもさせていただいています。

 孤独死の現場に行ったときに感じるのは、圧倒的な孤独感です。部屋も荒れていて、生前に孤独だったことが空気で分かったりすることがあります。それと同時に、ご家族から冷たい対応を取られることも多い。

 つい最近も、あるアパートのお部屋で孤独死がありました。だけど、すでに腐敗臭もすごいのに、ご遺族が清掃に関するお金を負担したくなくて、そのまま何ヶ月も掃除ができず、対応が宙ぶらりんになっています。今頃そのお部屋は、何ヶ月も血やハエ、ゴキブリまみれだと思います。

 そういうお部屋のお話を聞いたり、出会ったりすると、「一人で死ぬ以外に、方法がなかったのかもしれない」と思うときがあります。もちろん死因は自殺に限りませんが、孤独を肌で感じるんです……。

 だけどよしむらさんのお話をきくと、やっぱり入院されている方たちの中には、生前にもご家族やご友人の愛が確かに存在した方もいると思うんです。それに気づいていたけれどこのような結果になってしまったのか、それとも気づけなかったのか、なんだか、すごく切ない気持ちになりますよね。



「自殺を実行すべきじゃなかった」とは、言えない

よしむら:学校のいじめなどに巻き込まれて自分から命を絶つという選択に至った、という方もいると推察します。僕は基本的に、自分の意見を相手に押し付けたくないです。「自殺を実行するべきじゃなかった」とは、言えない。どういった結果であれ、そこに至るまでのその人の気持ちがあったと思うから。きっとその人には自死以外に方法がなかったのかもしれないですよね。

 ただ……。脳症というかたちで寝たきりになってしまった患者さんの中には、 「ずっと意識があった」という方もいらっしゃいます。意識がある状態の中で、目も開けられず、何もできない状態になってしまう。辛い状況から抜け出したくて自死を選んだのに、客観的に見るともっと辛いだろうと思う状況で、そのまま生き続けなければならない患者さんを見ていると、きっとこの方は、こんな状況になるなんて知らなかったんじゃないかなって、どうしても思ってしまうんです。

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『自殺を考えている人へ』(よしむら香月)より

 だからこそ、あの漫画を描きました。もちろんそれを、どう受け取られるかは分かりません。僕の作品がきっかけで自殺を止める人もいるかもしれないし反対に、確実に死ねるようにしようと思う人もいるかもしれない。だけど僕は、僕が見たありのままの事実を伝えるべきだと思ったんです。

yuzuka:作品への反響は大きかったですか?

よしむら:そうですね。 今回の作品を投稿した際には、肯定的な意見以外にも、否定的な意見もありました。「寝たきりになることなんて知っている! それでも死にたいんだ!」というような意見も多かった。僕はすべてに目を通していますし、どの意見も否定しません。

 だけど「寝たきりでもいいんだ」と話す人と実際に話してみると、その人の頭の中にあるのは、ドラマで見た綺麗な寝たきりの患者さんの姿だったりするんです。僕も介護士として働く前は、「寝たきり」がどういう状態かなんて、知らなかった。だけど今では分かるから、やっぱり伝えるべきだと思っています。

yuzuka:寝たきりってしんどいよ、とか、孤独死の現場ってこうなんだよ、とか。そういうのって言葉で伝えてもなかなか限界があって……。だから私はできるだけ取材にいって、自分自身も現場を体験して、さらに写真を撮って伝えようというのを心がけています。そうでなければ伝わらないと思っていて。

 だからこそ、よしむらさんはイラストを使って伝えられるところが素晴らしいと思っています。私はそこに現実がある限り、伝える人が必要だと思っているけれど、グロテスクなものは見たくないという人もいますからね……。だけど写真が難しくても、よしむらさんの絵なら見られる、という人は多いと思うんです。


誰にでもいいから、悩みを話して

image8yuzuka:よしむらさんから、自殺を考える人に伝えたいことはありますか?

よしむら:誰にでも良いから、悩みを話してほしいです。ネットの知らない人でも良い。僕でも良い。もしかしたら悩んでることへの解決の糸口がみつかるかもしれない。自死を選ぶのであれば、これ以上やることがないってくらいまで他の方法を探してみてから選んでも遅くはないと思います。

yuzuka:そうですよね。とっさに自死を選んでしまう人もいるから、自殺を防止するって、すごく難しいと思います。私が自殺を考えていたときも、周りの言葉なんてなんにも響かなかった。

 全部が綺麗ごとに思えたし、自分の周りにある世界だけがすべてに見えて、希望なんて一生手にできないような気持ちになってくるんです。私も首を吊ろうとしたことがあるから、全部じゃないけど、その時の気持ちが想像できます。この記事を読んで、「だから死なない」と思うのは難しいと思います。この記事の中の話が、死にたい理由の根本的な解決にはならないと思うから。

 だけど、1日考える猶予が持てるなら、やっぱりそれには意味があると思うんです。「寝たきりになるのはちょっと怖いな」とか、生きる理由なんて、それだけで良いと思う。そうやって1日先延ばしにして、もう1日先延ばしにして、そしていつか本当の生きる理由を見つけてほしいって思います。

 よしむらさんが言うように、「どうせ死ぬんだから」って、最後にあがくのはすごく大切だと思います。死ぬ気になった人間って強いと思うから。私の場合も死ぬ気になってはじめて、「なんだっていいや」と思えたんですよね。「なんだっていいや」と思って行動すると、実はどうにでもなることがあったりもする。助けてくれる制度だってたくさんあります。


「まったく関係のない人の話を聞いてみる」ということ

よしむら:その通りだと思います。僕はとにかく、自分とはまったく関係のない人の話を聞いてみるってすごく大切だと思っています。世の中には、自分とは全然違う考えや生き方の人がたくさんいて、そういう人を見つけられるのがSNSだったりしますから。何かヒントがあるかもしれないので、そういう人に直接、メッセージを送ってみても良いと思います。

yuzuka:そういえばこの前、作家の末井昭さんとお話する機会があったんです。『自殺』という本を出版されている方で、子どものころにお母さまが不倫相手とダイナマイトを使って自殺をしたというた壮絶な過去を持つ方です。

 母親も失って、彼自身多額の借金も作って、ギャンブルで返そうと思って、さらに泥沼にはまっていたそうです。だけどある時から、彼も「なんだっていいや」って思えたそうなんです。すべてをネタにして生きていこうと思えてから、ようやくふっきれたと話しておられました。そしてそういう生き方にしたら、面白がってくれる人がたくさんいたんだ、と。

 私は彼とマインドが似ています。私も風俗嬢になったり、借金にまみれたり自殺未遂をしたり誹謗中傷から整形をしたり。いろいろとあったけど、いろいろとあったから、今はなんだっていいやと思える。だからお互いの昔の話をして、「それは大変だったね」と、クスクス笑い合うことができるんです。



まともに生きようとしすぎると、疲れてしまうから

考える女性
※イメージです

yuzuka:だけど末井さんと話している時にふと、普通に生きていたら、お互いこういう人種に出会うことってなかなかないよね、という話になりました。だって世の中で普通に生活している人たちの多くは真面目で、誠実だから。

 もちろんそれも大事です。だけど、時々苦しくなる原因でもあると思うんです。真面目に、まともに生きようとしすぎると、疲れてしまうから。それに比べてネットって、よしむらさんが仰るように、いろんな人に出会えます。

 私も看護師だけをしているときには、こんなにいろんな人がいるなんてこと、生き方があるなんてこと、知らなかったです。私のようなどうしようもない奴でも生きているんだってバカにしてもらって、それで生きてみようかなって思ってもらえるだけでも良い。実際そういう声も多いです。死にたくなったら私のことをバカにして、なんでもいいのでメッセージをくれると嬉しいです。

image13よしむら:自死を選んだ人は自死を選ぶ以外になかったのだと思います。その気持ちは決して否定したくない。だけど患者さんの姿を見ていると、どうしてもその姿を望んでいたとは思えないんです。だから今現在、自死が選択肢の中に入っている人には、他の選択肢も探してみてほしいです。

 もしかしたら、それ以外に選択があるかもしれない。探せば、見つかるかもしれない。どうかそれを、見つけようとしてほしい。僕はそんな気持ちで、これからも作品を描き続けます。もちろん辛かったら、僕にもメッセージをください。

image5<取材・文/yuzuka>

介護士が見た、自殺に失敗した人の“その後”。「寝たきりは、想像する姿と違う」<yuzuka×よしむら香月 前編>

越えられそうにない夜を、過ごす人がいる。

 世の中に絶望して、生きることを放棄したくなっている人が、この日本では、あとをたたない。

【マンガを読む】よしむら香月さんが描いた漫画『自殺を考えている人へ』

 2020年、日本の自殺者数は11年ぶりに上昇し、前年を上回る2万1081人になった(4.5%増)。男性は前年より23人減ったのに対して、女性は935人も増えて7026人が自ら命を絶った。コロナの影響や、著名人の相次ぐ自殺も原因となっていると見られている。これは、異常事態である。

終末期病棟で働く介護士が見たものとは?
 まだ希望を持つべき人たちが、次々に命を絶っていく。厚生労働省は、「自殺はその多くが追い込まれた末の死だ」と、言い切った。

 私は普段から、精神科で看護師として働いていた経験と、自分自身が自殺未遂をした当事者であるという目線から、自殺防止の啓発活動を行なっている。今回の企画では、この「自殺」について、さまざまな視点から掘り下げる。

 特殊清掃員である小島美羽さんと対談した前回に続き、今回は「自殺を図ったが死に切れなかった人はどうなるのか」という部分について、実際に終末期の病棟で介護士をしながら、漫画家として活動をしているよしむら香月さん(@tuki_no_kodomo)と対談した。

Twitterに投稿された漫画「自殺を考えている人へ」
 対談のきっかけは、彼がツイートした『自殺を考えている人へ』という4ページの漫画だ。

「最近、ウチの病院に入院される方で若い患者さんが増えています。大体14、15歳くらいの思春期が多く、皆、意識がありません。つまりいわゆる植物人間。彼らは皆、自殺失敗者です」

 と始まるこの漫画では、自殺を図ったが死に切れず、一生残る後遺症を負ってしまったり、脳死状態になってしまった人の、実状が描かれています。この漫画でよしむらさんは、「考え方やそれに伴う選択肢は十人十色」としながらも、「自損行為にはリスクを伴うことも知っていただきたい」と呼びかけています。

「自殺に失敗する」という可能性
 警察庁の統計によると、自殺の手段としては“首吊り”を選ぶ人が圧倒的に多く、ネット上にも「成功率が高い」との情報が多い中、「僕の病棟にいる患者さんは、首吊り自殺に失敗された方がほとんどです」と語るよしむらさん。

 後遺症で寝たきりになった患者さんの状態、病院にかかる費用まで、オンラインで話をきいた。

yuzuka:ここ最近、自殺を図ったものの死に切れなかったという方からのメッセージが増えました。みなさん口を揃えて、「こんなはずじゃなかった」「自殺未遂をする前に戻りたい」と話します。障害が残ってしまった方や、傷が残ってしまった方も多いです。

 自殺を計画される方の多くは、「自殺に失敗してしまう」という可能性や、死に切れなかったときの、その先を見ていない傾向にあるのではないかと思いました。そこの部分を掘り下げたいと思い、今回はよしむらさんにご依頼しました。まずはよしむらさんが働いている病院について聞かせてもらえますか。

よしむら香月(以下、よしむら):ありがとうございます。僕が働いているのは療養型の病院で、入院されている患者さんの8割が終末期医療、つまりは看取りまでをそこで過ごされる方です。

yuzuka:年齢層はどうですか?

よしむら:幅広いですね。一番若い方が14歳、もちろん100歳を超えるご高齢の方もいらっしゃいます。

yuzuka:よしむらさんの作品の中で、最近自殺が原因となって入院する患者さんが目に見えて増えた、という一文がありました。立て続けにそういう方の入院があったのでしょうか?

よしむら:そうですね。同じ月に2名入られて、そのときに、半年前にも同じ理由で入院された方がいたことを思い出しました。以前は若い患者さんの入院が滅多になかったので、印象的でした。


「寝たきり」とは“ただ眠っている”だけではない
yuzuka:自殺がきっかけで入院された患者さんについて、伺える範囲で、状態などを聞かせてください。

よしむら:多くは、首吊り自殺を実行した方です。首を吊った後、心臓がまだ動いている、もしくは止まってすぐの段階で家族や友人に発見されて、病院に搬送されて処置を受けたために、生き延びたという方が多いですね。

 その状態から蘇生が成功したとしても、蘇生後脳症、低酸素脳症などの重篤な状況に陥ることが多いんです。そうなってしまうと、僕のいるような療養型の病院に入院されることになります。年齢としては、10代の方が多かった印象ですね。

yuzuka:状況としては、いわゆる植物状態。意識が戻らない状態ですね。

よしむら:はい。はっきりと意識がある方がうちに入院されることは少ないので。

yuzuka:首吊りって、自殺の中でも成功率が高いといわれているんですよね。「確実に死ねる」と書かれているサイトさえあるんです。だから、他の方法と比べても実行する人が圧倒的に多い。だからこそ、よしむらさんの漫画に描かれていた、「一命は取り留めたが身体リスクを負った方は自損行為者総数の約60%」という数字に、私も驚きました。

 多分、死のうとする人たちの中には、そういった現実を知らない人がたくさんいます。もしくは失敗といっても、もう少し程度が軽いものを想像していたり、仮に「寝たきりになるかも」という思いがあったとしても、よくドラマなどに出てくるような、まるで白雪姫のように美しく眠っているような姿を想像している人が多いんじゃないかなって。だけど私は、その想像と現実にはかなりギャップがあると考えているんです。

よしむら:僕も同じです。

寝たきりになった患者さんへの介護
yuzuka:実際に自殺を図ったことで寝たきりになった患者さんには、どのような介護をされているのでしょうか。

よしむら:いわゆる植物人間と呼ばれる状態では、患者さんの自身の力では身体がまったく動かせません。なので、僕たちがお手伝いすることの中に、まずは排泄介助があります。おむつに定期的に排尿や排便があるものを、僕たちがきれいにする介助です。

yuzuka:お部屋の中で排泄があると、廊下にまでにおいが充満します。そのにおいもそうですし、親族や知らない人にオムツを替えられるということ自体に激しい羞恥心を感じて苦しまれる患者さんも多いですよね。

よしむら:そうですね。排泄の処理の他には食事介助もあり、これは看護師さんにやってもらっています。お鼻から胃まで、マーゲンチューブという管を通して、そこに液状の食事を直接胃に注入します。

 体位変換も欠かせません。寝たきりになると、寝返りも打てなくなるんです。そのままにしておくと、同じところに圧がかかってそこに褥瘡(じょくそう。床ずれ)ができたり、拘縮(こうしゅく)がひどくなってしまいます。それを回避するために、クッションを使って2時間に一度、身体の向きを変えます。


拘縮や褥瘡…寝たきりの患者さんの身に起きること
yuzuka:拘縮や褥瘡も大きな問題ですよね。看護師をしていたので見たことがあるのですが、寝たきりの期間が長くなっていくと、筋肉や骨は硬くなりながら縮んでいき、身体はどんどんまるまって、動かなくなっていくんですよね。

 だんごむしのような姿勢を想像すれば分かりやすいかもしれない。それを拘縮と呼ぶのですが、例えば折りまがったまま固まってしまった腕は、伸ばそうとしても、まったく伸びてくれないほどになってしまう。無理に負荷をかけると、簡単に骨が折れてしまうくらいです。

よしむら:オムツ介助のときに股関節を開いて洗浄するのにも苦労するほど、筋肉や骨が縮んで固まってしまっている方も多いです。顔も、口を開けたまま痩せこけてしまって……。よく床頭台に、 元気だった頃の写真が飾られてあったりするんですが、ふとそれを見たとき、面影がなくて驚くと同時に、切なくなることがあります。

yuzuka:多くの寝たきり患者さんが悩むことになる褥瘡(床ずれ)も、一旦ひどくなると、仙骨とよばれるおしりの骨の部分周辺に、拳が一つ入るほどの穴が開いてしまうこともありますよね。皮膚の中身がさらけ出された状態で膿が溜まっていますから、においは激しいし、穴の中までえぐって洗浄する必要があるので、きっと痛いんじゃないかなって思います。意識がある患者さんだと、いつも叫んでいたし……。

寝たきりの自分を本当に想像できているのか?
よしむら:こればかりは、実際に見たことがない人は想像もできないことかもしれませんね。

yuzuka:吸引も毎日、毎時間の業務ですよね。痰の排出もご自身ではできなくなってしまうので、鼻や口から管を入れて吸い取るんです。これがおそらく苦しくて痛いんだと思います。ほとんど動かない人なのに、その時だけ苦しそうな顔をする人もいました。

 看護師をしているとき、そういった状態の患者さんを多く見てきました。そしてたくさんの患者さんに言われたんです。「殺してくれ」「死んだ方がマシだ」と。その度に言葉につまりました。私にできることなんてほとんどなかったから。

 寝たきりになっても良い!という人はたくさんいます。だけど、それは本当に正しくその姿を想像できているのだろうか? という疑問はあります。1年、2年、3年、いつか自然に命が尽きるまで何年もその状態が続くことを、本当に想像できているのかなって……。金銭的な負担も大きいですよね。

よしむら:金額は個々のケースによって異なりますが、長期の入院となればけっして「たいした額ではない」とは言えない金額ではないでしょうか。

yuzuka:もちろん自死を考える方全員が、ご家族の負担を心配できるような状況にはないと思います。むしろご家族が原因でそうせざるをえなかった人もいると思うから「実行した後のことなんて関係ない!」という人もいるかもしれない。

 だけど、実際に自殺をされた方の現場に入られた特殊清掃の方のお話などを聞いていると、一概にそうとはいえないと思うんです。

 最後まで、ご家族やご友人に、できるだけ迷惑がかからないようにとご準備をされて亡くなられる方が本当に多い。そういう人にとっては、もしも死に切れなかったときにそれだけの負担がご家族にかかるというのは、やっぱり知っておくべきことだと思います。
<取材・文/yuzuka>

<悩みを抱えたときの相談先>

・こころの健康相談統一ダイヤル
0570-064-556
※相談対応の曜日・時間は都道府県によって異なります。(一覧はこちら)

・#いのちSOS(特定非営利活動法人 自殺対策支援センターライフリンク)
0120-061-338(フリーダイヤル・無料)
※毎日12時から22時

・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
0120-279-338(フリーダイヤル・無料)
岩手県・宮城県・福島県から 0120-279-226(フリーダイヤル・無料)

・いのちの電話(一般社団法人 日本いのちの電話連盟)
0570-783-556(ナビダイヤル)
※午前10時から午後10時。IP電話(アプリケーション間の無料通話を除く)からは03-6634-2556(通話料有料)へ。

・厚生労働省「まもろうよ こころ」
※電話相談、SNS相談の方法や窓口の案内

【yuzuka】
エッセイスト。精神科・美容外科の元看護師でもある。著書に『君なら、越えられる。涙が止まらない、こんなどうしようもない夜も』『大丈夫、君は可愛いから。君は絶対、幸せになれるから』など。動画チャンネル「恋ドク」のプロデュース&脚本を手がけた。Twitter:@yuzuka_tecpizza

2021年6月25日金曜日

「2人で死ぬ予定だった」 “老老介護”の末に… 語られた真相 広島

中国放送

2021年6月24日木曜日

「おしどり夫婦」承諾殺人、近隣住民も衝撃…各地で相次ぐ「老老介護」の悲劇

配信

「おしどり夫婦」承諾殺人、近隣住民も衝撃…各地で相次ぐ「老老介護」の悲劇

事件が起きた住宅(広島市安佐北区で)

2021年6月19日土曜日

夫婦2人は共に難病 ALSとコロナ禍を生きる 半年以上離れ離れも心は一つ(鳥取市)

 


TSKは難病ALSについて継続的に取材をしている。鳥取市には共に難病を抱えながらも前を向く夫婦がいる。コロナ禍を生き、会えない日々が続く2人を取材した。

鳥取医療センター。
中山美智子さん(63歳)ALSを発症して5年、手足は動かせず、声も出にくくなっている。

Q家族の支えが一番ですか?
中山美智子さん
「そうですね。それが無かったら、生きていません」

ALS・筋萎縮性側索硬化症は運動神経が障害を起こし、全身の筋力が急速に低下する原因不明の難病。全国に約1万人、鳥取県に約50人、島根県に90人の患者がいる。多くの人が2年から5年で死亡する一方、人工呼吸器を装着すれば生き続けることもでる。
中山さんは4年前人工呼吸器を装着、生きる選択をした。
家族への負担などから呼吸器を付ける人は3割に留まっている。
中山さんは生きることを即決したと言う。

中山美智子さん
「自分は大したことない夫の方がつらい」

生きる選択を後押ししたのは、難病を抱えていた夫・和夫さんの存在だった。

夫・中山和夫さん
「両足に包帯をしています。水疱ができる。僕は難病の表皮水泡症。生まれつきの病気」

和夫さんは全身に水疱ができる生まれながらの難病で、ALSと同じく根治する治療薬はない。
だからこそ、生きることに迷いはなかったと言う。

Q決断は早かった?
夫・中山和夫さん
「即答でした。その場で、僕らはやりますと」

妻・中山美智子さん
「他の人と結婚していたらどうなっていたかわからない」

難病を患いながらも、前向きに生きる夫を尊敬するからこそ生きることを決めた美智子さん。
しかし、2人はこの時半年間、会うことができていない。

一つはコロナ禍により面会謝絶が続いていたこと。
もう一つは和夫さんが去年、難病が原因で足の指や舌のガンを発症し、体調に不安を抱えていたため。

中山和夫さん
「ストレス…会いに行こうと思っても会えない」

夫婦の会えない日々、お互いの心を支えていたのは、毎日のメールのやり取りだった。

中山和夫さん
「コミュニケーションはとれていました(笑)」

それを可能にしているのが『オリヒメアイ』という意思伝達装置。

中山美智子さん
「ひととはなしをするのはたのしいです」

この日は看護師に手伝ってもらいテレビ電話にも挑戦した。

夫・和夫さん
「こんにちは」「調子はどう」

妻・美智子さん
「(涙…)良くしてもらってから」

離れ離れでも思いは通じている。

Qコロナが終息したら2人で何がしたいですか?

夫・和夫さん
「2人で自宅で話ができたらそれでいい。」
妻・美智子さん
「夫と一緒に過ごせるだけで十分です」


6月21日は『世界ALSデー』。これは季節の変わり目『夏至』の日に合わせていて、難病が治る転換点が来るようにと願いが込められている。


(TSKさんいん中央テレビ) https://news.yahoo.co.jp/articles/83487ad01436d56c02ae3012455b9dae03672c54

2021年5月31日月曜日

安楽死協会と阻止する会の歴史

https://webmedia.akashi.co.jp/posts/2668


 第6回 安楽死・尊厳死を考える(その2) 

 太田典礼は、産婦人科医にして、旧社会党の衆議院議員として旧優生保護法の制定に寄与し、「日本安楽死協会」を設立した人物として知られている。その太田典礼が、はじめて安楽死の法制化に言及したのが『思想の科学』(1963年8月)に発表した「安楽死の新しい解釈とその合法化」という論考である。これが安楽死・尊厳死の法制化運動のはじまりである。太田はこの論考で次のように語っている。「苦痛を和らげることを主目的にするもので、死期を早めることを目的としない。従って、使用するのは薬剤であって、麻薬あるいは睡眠薬、神経安定剤である。ただ、その使用の結果、生命を短絡する危険があってもそれにこだわらないという立場に立つ」。すなわち、医師の立場から、苦痛緩和を目的とする間接的な安楽死の合法化を求めたのが太田典礼であった。

1.日本安楽死協会の設立の「前史」

 「日本安楽死協会」を組織した発端となったのは、1968年に植松正や稲田務らとともに設立した「葬式を改革する会」であった。「葬式を改革する会」は『葬式無用論』(稲田務・太田典礼編:葬式を改革する会発行、1968年)といった書物も刊行している。太田典礼は、『葬式無用論』に収められた論考「葬式無用と改革」において次のように述べている。
「私は、青年時代にキリスト教の洗礼をうけ何年も信仰生活をつづけてきたが、神の存在、霊魂の問題に対して疑念を抱き、数年間の苦悩の末、ついに神から自己をとりもどした。宗教のもつ良いところは認めるが、害悪の方がはるかに大きい。なるほど宗教は阿片であると悟り、一さいの宗教を否定し、それからずっと無宗教者として生きてきた。あらゆる宗教は、何らかのマジナイを伴っており、医者としても、マジナイ宗教はごめんだ」
 太田典礼は、戦前の唯物論研究会の会員であり、宗教に対しては、生涯にわたって厳しい批判者であった。『無宗教生きがい論』(みずうみ書房、1976年)では、「無宗教は非宗教であり、脱宗教、反宗教でもある。そのもとは現世の肯定、人間としての自信である」とし、「神にたよらず、自ら自身をもつことこそ人間の強さであり、そこではじめて人間性の回復、自立性の確立が可能となる」と述べている。そして、自らの無宗教の立場を「宗教的神秘主義をかなぐりすてた科学的合理主義に立つもの」であると述べている。太田が、キリスト教に惹かれた背景には、6歳で実母を癌で亡くした喪失体験、その葬儀では儀礼ばかりが重んじられ遺児の悲しみなど捨て置かれた孤独と傷心の体験、翌年父の再婚によって継母と心が通わず味わった疎外感などの諸事情があった。
 「葬式を改革する会」では、安楽死が何かと話題になり、会員の刑法学者の植松正の協力を得て『安楽死』(太田典礼編:クリエイト社、1972年)を出版することとなった。そして翌年には、今日的古典ともいえる単著『安楽死のすすめ』(三一書房、1973年)を出版し、安楽死立法化への再提案を試みるのである。
 太田は、『安楽死』に収められた「立法化への基準」という論考において、薬剤、心理的処置、宗教家の役割、医学的条件を列挙し、「不治の病」についての判断は極めてむずかしいとしながらも、死期の遠い不治に関しては「植物的人間と同格に議論がある」としている。その範囲には、「中風、半身不随、脳硬化症、慢性病の寝たきり病人、老衰、広い意味の不具、精薄、植物的人間」を含めている。
 安楽死立法化の発言が再開された1972年は、有吉佐和子の長編小説『恍惚の人』(新潮社、1972年)がベストセラーになって老人問題がクローズアップされたり、「植物人間」が話題になりはじめた時期である。『恍惚の人』は、森繁久彌の主演で映画化され、老人福祉行政の進展にも影響を与えた。1960年代から70年代にかけて日本の人口が1億を超え、1972年には東京でアジア人口会議が開催されている。当時の時代状況のもとで太田典礼自身のなかにおいて「植物人間」と「老人」は分かち難く結びついていき、安楽死運動となっていったのである。安楽死運動は同時代の植物人間・老人の問題と連動してマスコミに活発に取り上げられるようになった。
 また、ベルギーでのサリドマイド児を殺害した母親・医師・家族らに対する無罪の判決をめぐって賛否両論が渦巻いていたこともその背景にある。『婦人公論』(1963年2月号)は、ベルギーのこのサリドマイド事件を契機に「誌上裁判――奇形児は殺されるべきか」という座談会(石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子)を特集している。また、日本において司法の現場で、いわゆる「安楽死6要件」(1962年2月、名古屋高裁山内判決)が示されたことも背景にある。そして障害者による草分け的な文芸同人誌として知られる『しののめ』誌も「安楽死をめぐって」特集を組んだ。障害者が「安楽死」について議論することが極めて現実的なものとなったからである。
 『しののめ』誌とは、1947年、日本最初の公立肢体不自由学校「東京市立光明学校」(現、東京都立光明養護学校)の卒業生による手書きの回覧誌として始まったもので、花田春兆を編集長とした文芸同人誌である。同人誌という形式上、その規模は決して大きくはないものの1950年代後半から60年代後半にかけて光明学校関係者以外にも広がりを見せ、特に在宅障害者を中心に障害の種別を超えて全国各地にその輪を広げていった。1962年4月、「安楽死をめぐって」の特集号(47号)を発行し、『強いられる安楽死』(しののめ発行所、1973年)も刊行される。また10年後の1972年には2度目の安楽死特集号(75号)が発行されている。『しののめ』誌の特集号は「安楽死」を取り上げた議論としてもかなり早い時期のものである。
 「安楽死をめぐって」は、外部識者と同人たちとの往復書簡・外部者へのアンケート、評論、エッセイ等で構成されている。花田は、当時島田療育園園長であった小林提樹宛ての往復書簡のなかで特集の動機について次のように語っている。
「すべては健康な社会人だったのです……この事実は安楽死問題の提起が外からなされているものであり問題は社会と結びつけているのを示す証明にもなりましょう。議論された声として提出されていないのはむしろ障害者の側の声ではないでしょうか。イギリスの安楽死論争でも、……ライン内の人には理解力や発言能力で無理な人が多かったでしょうが、ボーダーライン層がどう反応したかもわかりません。全然報道されず、資料もキャッチ出来なかったのです。つまりこの論争は外でこそ火花を散らしていたのです」
 この特集は、安楽死の是非を問うというよりも、障害者の「安楽死」を議論する声が健常者側からばかり発せられることへの疑問があったから組まれたのではないかと思われる。こうした現状から障害者自身に発言権を与えるべきであり、その声がいかに過酷な現実から発せられているかを訴えることにこの特集の目的があったと考えられる。

2.「青い芝の会」の安楽死反対運動

 太田典礼による1972年の安楽死立法化の発言の再開と前後して、母親の障害児殺しに対し地元町内会や神奈川県心身障害児父母の会による減刑嘆願運動が起こった。そして「殺される側」からの異議申し立てを行ったのが「青い芝の会」神奈川県連合会であった。1972年、中絶を認める経済的理由の撤廃とともに胎児条項の追加を内容とする優生保護法の改正案が政府より提出され、「青い芝の会」は、「胎児条項」の導入を含む優生保護法の改正問題に対して激しい反対運動を展開していたのだ。こうした流れのなかで「行動綱領」も採択され、さらには原一男監督によるドキュメンタリー映画『さよならCP』も制作され、各地で上映会が開催された。「青い芝の会」のこれらの活動は、「障害者殺しの思想」を問うことを意味していた。1977年、九州大学で太田典礼と成田薫の講演会が行なわれたが、福岡青い芝の会と青年医師連合の抗議があったり、翌年の1978年の京都大学での学園祭実行委員による「安楽死のシンポジウム」で全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の抗議により、太田典礼の参加が急遽取り下げられるという事件もおきている。
 横田弘は、『障害者殺しの思想』(JCA出版、1980年)において太田典礼の次のような発言を取り上げている。
「(典礼曰く:筆者)植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用な者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性をもっているのであって、重症障害者やコウコツの老人から『われわれを大事にしろ』などといわれては、たまったものではない」
 太田典礼のこの発言に対し、横田は次のように批判している。
「これは、『週刊朝日』72年10月27日号『安楽死させられる側の声にならない声』いう記事にある元国会議員で、『日本安楽死協会』なる物をつくろうとしている太田典礼の言葉だ。私たち重度脳性マヒ者にとって絶対に許せない、又、絶対に許してはならないこの言葉こそ、実は脳性マヒ者殺し、経済審議会が2月8日に答申した新経済5カ年計画のなかでうたっている重度心身障害者全員の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情であることを、私はまず一点押さえておかなければならない」
 こうして太田典礼は、優生保護法制定者、擁護者にして安楽死運動の立役者というレッテルを張られ心身障害者と真っ向から対立することになったのである。太田典礼の安楽死運動は、当人の意図に反してマスコミにおいてしばしば心身障害者問題と結びつけられて語られることが多かったが、太田の優生運動と安楽死法制化運動は、「青い芝の会」によって否定されたのである。

3.日本安楽死協会の設立に向けて

 1973年に刊行された『安楽死のすすめ』(三一書房)では、「立法化への期待」と題して「任意安楽死法案」を明文化している。「本人の意志、希望を原則とし、非任意、強制ではない」とし、宣言書や、法的要件について言及している。1975年6月19日、「日本安楽死協会」の設立準備会が開催され、翌年の1976年1月20日、「日本安楽死協会」が設立された。同年、11月には協会理事の石川治が私案を作成。1978年2月に第一次法案委員会が発足し、石川治、飛田人徳、和田敏明理事によってそれぞれ私案が作られた。そして最終的には石川私案を骨子に作られた「自然死法第一次要綱案」が5月の第2回年次総会で報告された。6月末には第二次法案委員会が発足し、翌7月には衆参両院の法務、社会労働、文教各委員に法制化推進を文書により要望。延命措置を中止させる権利の確立を共通の目標とすることが確認された第二回安楽死国際会議をはさんで、11月29日、協会の「末期医療の特別措置法」草案が完成した。草案は理事会の審議を経て正式な協会案として発表された。この法案は、「安楽死」法の適用は、致死薬の投与という積極的安楽死ではなく、また「死にまさる苦痛の除去」ではなく、「過剰な延命治療の停止」であることが明確にされたのである。そして、こうした安楽死法制化運動の動向において真っ向から反対したのが、武谷三男、那須宗一、野間宏、水上勉、松田道雄ら文化人5人を呼びかけ人とする「安楽死法制化を阻止する会」であったのだ。

陳情書素案の文章をclaudeで整理してみました。

こちらのブログで紹介していた陳情書素案の文章をclaudeで整理してみました。 社会的弱者目線の包括的で徹底的な保護政策であることが読み取れると思います。 原文と合わせてご確認いただけると嬉しいです。 〈原文〉https://shinokenri.blogspot.com/202...