2021年8月24日火曜日

障がい者に訊く京都ALS事件(全4回) ~私がスイス安楽死を望む訳~

障がい者に訊く京都ALS事件① ~私がスイス安楽死を望む訳~


https://agora-web.jp/archives/2052730.html

Pornpak Khunatorn/iStock

2020年7月、京都市内の筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, 以下ALS)患者が、SNSで知り合った2人医師の手を借りて「安楽死」を遂げていたことが大きなニュースとなった。なおALSとは全身の運動神経系が徐々に侵される病気で、歩く・話す・食べるといった行為が段々と困難になり、進行すると呼吸すら困難になる一方で、意識は末期でも保たれている神経難病である。患者は医師のうちの1人とSNSを通じて知り合って安楽死を依頼し、計130万円を振り込んだとされた。別の報道では「患者は主治医に『管による栄養を徐々に減らして死にたい』という希望するも断られた」ともある。

医師たちは逮捕され、大手メディアでは「ナチスのような優生思想」「津久井やまゆり園事件の再来」のようなバッシングや「不要な命など無い」「安楽死よりも障がい者が絶望しないような支援を」のような美しいがどこか空疎なコメントが並んだ。一方でインターネット上には、「安楽死を法的に認めて欲しい」「苦しみながら生かされるのは辛いと思う」のような擁護論もそれなりに存在するが、大手メディアではほとんど取り上げられてはいない。

私はSNSを通じて、ある難病を患う女性と出会った。くらんけ(@IrreKranke)というハンドルネームで主にTwitterで発信している。早ければ2021年8月末にはスイス渡航して安楽死を選択する予定だと言う。幸いにも直接お話を伺う機会を得たので、ここに記したい。

◇

――どういう病気ですか?

くらんけ氏(以下:くらんけ):神経系の難病です、個人特定につながるので病名はちょっと…明確な治療法はなく、私の場合は進行しても回復は望めない病気です。高校は車椅子で通学していました。進学校の普通科で、エレベーターや車椅子用トイレを整備してもらったし、面と向かってイジメられたこともありません。卒業のあたりから病気が進行して…その後は病院と自宅生活だけで十年以上が経ちました。

――現在の生活は?

くらんけ:現在は一級障害者に認定されて、母親に生活全般の介護を受けています。かつての同級生とも疎遠になってしまって…特に友人はいません。親しく交流するのは家族と犬と猫ぐらい。ネットを通じて付き合いのある人はいるけど、善人ばかりではないので…殺害予告を受けて警察に届けたこともあります。

限定スイーツを喜ぶくらんけさん

――行きたいところとか、好きな本や漫画、ファッションは?

くらんけ:日光が苦手だから遠出できないし、文字は長時間読めないんです。出歩くこともないからファッションもテキトーだし。今の楽しみは、ネットで見つけたスイーツのお取り寄せ。今回のインタビューも気が進まなかったけど、手土産のスイーツ(某高級ホテル限定の焼き菓子セット:写真参照)につられて承諾してしまいました(笑)…でも、そろそろいいかな。

――「スイスで安楽死」を思いついたきっかけは?2019年にはNHKでもドキュメンタリーが放送されましたよね。

くらんけ:ネット検索で見つけました。NHKの番組と時期は重なるけど偶然です。そもそもの計画では2020年の春ごろにスイス渡航する予定だったのですが、コロナ禍にモロにぶつかってしまって出国困難となって…「死ぬ気ないでしょ」「いつ死ぬの」などとSNSでコメントされたこともあります。2021年夏、やっとコロナワクチンも完了したし、スイス側の入国制限も緩和されたので近いうちに実行できればと考えています。

――スイスでの安楽死には、どのような手続きが必要ですか?

くらんけ:私が加入したライフサークルという組織では、以下の3つの英文書類が必須です

  • パーソナルレター(安楽死を希望する理由、生育歴/病状/予後など)
  • 家族の略歴と環境についての報告書
  • メディカルレポート(パーソナルレターを裏付ける診療記録と、それを保証する医師 のサイン

――書類作成は大変でしたか?

くらんけ:この中で最も大変なのが、メディカルレポートでしょう。現在の日本の法律ではサインをした医師は「自殺ほう助」に問われる可能性があるからです。また、公になると社会的にも激しいバッシングに晒される可能性が高く将来を棒に振るリスクが大きいけれど、協力するメリットは無いに等しいからです。

私の場合、当初は長く通院していた大学病院の主治医にメディカルレポート作成を依頼しましたが、精神科医と神経内科医で意見が分かれたり、倫理委員会での審議にかけられた後に拒否されてしまいました。やはり大学病院や公立病院などの立場のある先生では難しいのでしょう。

その後、SNSで出会った医師に協力してもらい、メディカルレポートを作成し、ライフサークルより安楽死の許可を頂きました。その協力医が大久保愉一先生でした…京都ALS事件で逮捕された2人の医師のうちの一人です。

(②につづく)

■

ライフサークルにおける手続きの詳細については、くらんけ著「安楽死に至るまで」がkindle出版されています。

くらんけさん著作

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障がい者に訊く京都ALS事件② ~大久保先生に私は救われた~

筒井 冨美

Pornpak Khunatorn/iStock

2020年7月、京都市内の筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, 以下ALS)患者が、SNSで知り合った2人医師の手を借りて「安楽死」を遂げていたことが大きなニュースとなった。ALSとは全身の運動神経系が徐々に侵される病気で、歩く・話す・食べるといった行為が段々と困難になり、進行すると呼吸すら困難になる一方で、意識は末期でも保たれている神経難病である。

私はSNSを通じて、ある難病を患う女性と出会った。くらんけ(@IrreKranke)というハンドルネームで主にTwitterで発信している。早ければ2021年8月末にはスイス渡航して安楽死を選択する予定だと言う。幸いにも直接お話を伺う機会を得たので、ここに記したい。

(前回:障がい者に訊く京都ALS事件①)

◇

――くらんけさんにとって大久保先生はどういう存在ですか?

くらんけ氏(以下:くらんけ):大久保愉一先生によって私の魂は救われました。先生には大変感謝しています。実は、この事件でいろんなメディアに取材されて、5時間以上インタビューされた時もありますけど、いくら強調してもこの意見はカットされてしまう。「私にとっては間違いなく名医です。本当の意味で患者に寄り添う素晴らしい先生」と言ったのに「多くを語らなかった」とか書かれたり…だから、ぜったい載せてくださいね!

――京都ALS事件についてどう思いますか?

くらんけ:京都ALS事件で安楽死された方も、同じ想いだった気がします。また、大久保先生は頭の良い方だから、確信犯的に事件を起こしたような気もします。今の社会では安楽死そのものがタブー視されて、公の場所で話題にするだけで「優性思想だ!」とかバッシングされてしまう。そういう現状を憂いていたんじゃないでしょうか。これまで魂を救えなかった患者に対する罪滅ぼし、自分がドロを被って社会に問題提起したかったということのような気もします。でもコロナ禍にかき消されたのか社会的議論にはなりませんでしたけど。

犯行は監視カメラにはバッチリ映っていますし、完全犯罪にしてはワキが甘すぎる。でも処置内容としては1人でできそうな難度なのに。単独で行えば、残りの一人が塀の外で活動を続けることも可能だし。でも、2人で行ったということは、安楽死とは医師としても側にいてくれる仲間が必要な重い行為だったんでしょうか。

――「150~200万円が相場」という記事もありますね。

くらんけ:130万円も高いとは思いません。医師にとっては人生が終わるリスクがありますから。私が安楽死を依頼したライフサークルは非営利団体ですけど、諸経費で100万円以上必要になりますから、相応の必要経費だと思います。

――大久保先生から連絡はありましたか?

くらんけ:はい、弁護士さんを通じてですが。

書類が当初は偽名だった件も謝って頂きました。大久保先生にも家庭や社会的立場があるから仕方なかったと思っています。書類は修正して、スイス側の許可も無事に下りましたので、私にとっては大きな問題ではありません。

偽名なことよりも、私の苦しみは医者含め他者には計り知れないということを認め、書類を作ってくれたこと自体に私は感謝していますから。

実は、弁護士さんから裁判に関するご相談もあって。大久保先生の裁判が有利に進むよう出来る限りの協力はしたいと思っていました。

しかし、「もう一人の医師の父の死にも関与していた」とか後からイロイロ余罪が出てきて拘留が長引いてきて、裁判もいつ始まるのか分からなくなってしまった。スイス渡航もコロナ次第では再び閉ざされる可能性もあるので、いつまでも待てない。だから、心残りだけど大久保先生の裁判は見届けずに渡航する予定です。

そういう意味でも、大久保先生への感謝の気持ちは何がしかの形で残しておきたかった。

――舩後靖彦参院議員(れいわ新選組、ALS患者でもある)も事件に関してコメント出していますよね、「ネットで安楽死容認論が出ているけど、強い懸念を抱いている」みたいな…どう思われますか?

くらんけ:はい、知っています。「『死ぬ権利』よりも、『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切」という話ですよね。私も「もっと重度の障がい者が生きているんだから、貴女レベルの軽めの障がい者が安楽死なんて考えちゃダメだ!」「貴女の病気ごときで安楽死なんて馬鹿げてる!」って、病名で線引されたり、障害の程度だけみて説教されることもありますけど…「余計なお世話だ、放っておいてくれ」と言いたい。

――「安楽死を容認すると障がい者が生きづらくなる」「障がい者に安楽死を強要するムードが生まれる」「安易な自殺が増える」という意見も根強いのですが。

くらんけ:私は舩後さんのように「あらゆる医療機器を使って長生きしたい障がい者」を非難していませんし、そういう選択は尊重されるべきだとも思います。それと同時に「病気が程々の時点で安らかに逝きたい」という選択も尊重して欲しいのです。いわゆる「有識者」は「同調圧力で人が死ぬからダメ」と言いますけど、ライフサークルには何重もの審査があります。「スイスに行けばすぐに安楽死できる」訳ではないのです。もっと現状を勉強した上で発言して欲しいです。人生の選択肢を増やしてほしいのです。

インタビューに応じるくらんけさん

――安楽死というと一部の難病患者における特殊な話と思われがちですが、「寝たきり老人」を含めれば、実はだれでも直面する可能性のある話ですよね。「寝たきりで会話もなく食事も排泄も他人任せ」の状態で何年も施設で暮らす高齢者は、今の日本では珍しい存在ではない。「そういう状態で長生きしたいか?」と問われると…「そうなる前に書類を準備しておいて早めに逝きたい」と、私自身も思います。

くらんけ:はい、そう思います。人間が老いると、程度の差こそあれ障がい者になるし、少子高齢化の日本では真剣に考えるべき社会問題だと思います。でも、安楽死どころか2019年にアドバンス・ケア・プランニング(ACP、人生の最終段階にどんな治療やケアを受けたいか本人による意思決定を支援)のポスターを病院に張っただけで、「不安をあおる」などのクレームが出て撤回せざるを得ないのが現状です。コロナ渦中の2021年も、大阪府職員が「病床の有効利用のために、高齢者は入院の優先順位を下げざるを得ない」とメールしたことが発覚して謝罪と撤回に追い込まれて…「イヤだから」「叩かれたくないから」と議論を封印するばかりで、問題そのものに真剣に取り組もうとはしない。

安楽死非合法のまま高齢化社会が進行すると、「介護心中」「家族内殺人」が増えてしまうのでは…と心配です。2020年にも介護に疲れた孫娘が祖母を殺した報道がありましたよね。大久保先生も、そういう「寝たきり老人」のシビアな現実を診てきたからこそ、メディカルレポート作成に協力してくれたんじゃないかと思っています。

(③につづく)

■

大久保愉一氏はKindleで「お看取りマンガ~「延命処置どうしますか?」と医者に聞かれる前に読む本」を出版している。

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障がい者に訊く京都ALS事件③ ~パラリンピック番組は視てません~


筒井 冨美

 2021.08.24 07:00

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Irina Gutyryak/iStock


2020年7月、京都市内の筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, 以下ALS)患者が、SNSで知り合った2人医師の手を借りて「安楽死」を遂げていたことが大きなニュースとなった。ALSとは全身の運動神経系が徐々に侵される病気で、歩く・話す・食べるといった行為が段々と困難になり、進行すると呼吸すら困難になる一方で、意識は末期でも保たれている神経難病である。


私はSNSを通じて、ある難病を患う女性と出会った。くらんけ(@IrreKranke)というハンドルネームで主にTwitterで発信している。早ければ2021年8月末にはスイス渡航して安楽死を選択する予定だと言う。幸いにも直接お話を伺う機会を得たので、ここに記したい。


(前回:障がい者に訊く京都ALS事件②)


◇


――最近、パラリンピック関連番組が多いけど視てますか?


くらんけ氏(以下:くらんけ):視てません、あまり面白くないし(笑)。「障がいを乗り越えて栄光を掴みました…」みたいなストーリーが多くて…パラアスリートは立派だと思いますけど、感動を強要するような番組はちょっとね。全ての障がい者がパラスポーツに興味ある訳ではないので。


――パラリンピックの学校観戦が話題ですが?


くらんけ:情操教育として強要するのは良くないと思う。観たい人が見るのはいいけど。授業で強制的に見せて、感動的な作文を強要するのは、大人たちを満足させるだけでしかない。求められているであろう文を書かせて何になるのか。マイナスイメージや思ったことを素直に書けば確実に説教されるわけで、むしろ反感や悪意のあるイタズラ心を持たせてしまいそう。駅で後ろから障がい者をドンと突き飛ばすような子供を作ってしまいそうで。



――駅と言えば、最近は社会運動家みたいな障がい者が目立つけど、どう思いますか?2021年4月に「来宮駅(無人駅)で車椅子対応」を要求した車椅子ユーザーとか。


くらんけ:「大人げないなあ」と思います。乙武さんの銀座レストラン事件(2013年に、車椅子ユーザーの乙武洋匡氏が銀座のエレベーター無レストランで「自分を抱えて2階まで運んでくれ」と依頼したのを断られて、レストランの実名入りでSNSで非難した事件)なんかもそう思います。世の中の構造って、どうしても多数派に便利なように作られているし、障がい者は少数派なので。「『わきまえない』ことが立派」みたいなこと言う人いるけど「わきまえろよ!」と言いたい。


来宮駅の人も、最終的には駅員さんに車椅子を運ばせているんだし、「怒る」のは違うと思う。車椅子ユーザーは普段からいろんな人に気使ってもらえることも多いわけで、それに胡座をかいて批判されたら「弱者を叩くのか!」と騒ぐのは違うでしょう。少なくとも「事前に電話」ぐらいは仕方ないことですよね。


たぶん、このぐらいが多数派の車椅子ユーザーの感覚だと思います。SNSでは過激な少数派の方が目立つけど。



インタビューに応じるくらんけさん


――2019年、れいわ新選組から参議に当選した車椅子ユーザーの舩後靖彦氏と木村英子氏は、どう思いますか?


くらんけ:木村さんが大西つねき氏騒動(れいわ新選組の大西つねき氏が動画投稿サイトで「高齢者をちょっとでも長生きさせるために子供たち・若者たちの時間を使うのかっていうことは、真剣に議論する必要があると思います」「命、選別しないとダメ」などの発言に対して「命の選別を許すな!」と炎上した事件)の「当事者の意見を聞く会」で泣いちゃったのはねぇ…。「命の選別が始まったら、私たち障がい者は真っ先に排除される、こわいわぁ~(涙)」みたいなアピールをしていた。あれは飛躍しすぎですよね。「障がい者」「女性」という二重の弱者アピールで戦略的に泣いたのかもしれない。その効果なのか、大西つねき氏は政党を除籍されてしまいましたね。


木村氏や船後氏や乙武氏は身体的には弱者かもしれないけど、経済的には勝ち組ですよね。社会的にも弱者ポジションではないと思います。


――参院議員なら年収約3000万×6年間が保障されていますからね


くらんけ:えぇ~すごい、私、れいわ新選組から出馬しようかしら(笑)。でも私、都合よくタイムリーに泣けないからダメだわ。「障がい者は、もっと社会的常識を持ちましょう」みたいな主張だと選挙ウケしないでしょうし。そういえば大久保先生も以前、「宮城県知事に出馬してみようかな」みたいなことを言ってました。「一緒に出馬しませんか」って言われたこともあった(笑)。どこまで本気だったのか分からないけど、「世の中を変えたい」という想いがあったと思います。


――障がい者が政治家になることをどう思いますか?


くらんけ:まあ、いいんじゃないですか、当事者じゃないと分からないこともあるし。でも人選が大切ですよね、バランス感覚とか。発言力があるから、障がい者議員個人の発言が「障がい者全体の総意」と解釈されると困りますね。


ALSの船後議員は「安楽死は絶対反対」だけど、私みたいにそうじゃない人も居るんだし。「安楽死反対論者」は護りつつ、「安楽死したい人の制度も整えてゆく」みたいなのが理想だと思います。最近は多様性とかジェンダーレスとか尊ばれるけど、安楽死も選択肢として増えてゆくのが理想だと思います。もっとシンプルに「生きたい人は全力で生を謳歌し、死にたい人は潔く去る」でよいのでは。みんな違うんだから。


(④に続く)



障がい者に訊く京都ALS事件④終 ~迷いはあります、人間だもの~

Irina Gutyryak/iStock

2020年7月、京都市内の筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, 以下ALS)患者が、SNSで知り合った2人医師の手を借りて「安楽死」を遂げていたことが大きなニュースとなった。ALSとは全身の運動神経系が徐々に侵される病気で、歩く・話す・食べるといった行為が段々と困難になり、進行すると呼吸すら困難になる一方で、意識は末期でも保たれている神経難病である。

私はSNSを通じて、ある難病を患う女性と出会った。くらんけ(@IrreKranke)というハンドルネームで主にTwitterで発信している。早ければ2021年8月末にはスイス渡航して安楽死を選択する予定だと言う。幸いにも直接お話を伺う機会を得たので、ここに記したい。

(前回:障がい者に訊く京都ALS事件③)

◇

――具体的な安楽死の方法は?

くらんけ氏(以下:くらんけ):ライフサークルの場合、医療者は安楽死薬を詰めた点滴を準備してくれますが、ストッパーを外す行為そのものは患者自身で行う…と聞いています。長年にわたって準備してゆるぎない覚悟があっても、いざとなると怖気づいてストッパーが外せないかもしれませんね。

――「安楽死の許可をもらっても実行しない」ケースもよくあるのですか?

くらんけ:安楽死ほう助の予約をしたからといって、キャンセルはいつでも可能です。渡航して安楽死薬を摂取する瞬間まで患者は拒否することが可能です。

スイスの別の安楽死団体であるディグニタスによると、「厳格な審査に合格した患者のうち7割が権利を実行しなかった」という調査結果を発表しています。出口が確保できている安心感や、病苦に束縛されない圧倒的な解放感に包まれたためでしょう。「『いつでも死ねる』は最強の健康法」…と、かねてより私は主張しています(笑)。

――ディグニタスとは日本人だと、美容外科医の高須克弥氏が会員になっている団体ですね。

くらんけ:ですね。会員になるだけなら年会費払うだけなので、安楽死の権利の獲得とは全く別ということ高須先生にはきちんと周知してほしいです。

――現実の病院でも、ALSの患者さんで「病気が進行しても人工呼吸器を希望しない」と文章で表明していた方でも、いざ呼吸が苦しくなると「やっぱり付けます」と撤回するケースは稀ではありません。2019年には、東京都福生市の病院で40代患者が、あらかじめ「透析治療を希望しない」同意書に署名したけど、病状か進行すると「やはり透析してほしい」と看護師に伝えたものの治療は行われず亡くなったケースがありますね。大きな公立病院だと職員数が多く、コミュニケーションも万全とは言い難いので、このような患者の迷いには対応しきれなかったのかもしれません。

くらんけ:人間だから、迷いや葛藤があるのが当然でしょう。私の両親は、娘の決定を尊重してくれるものの心から賛成している訳ではありません。今日もインタビューの場所までは連れてきてくれたけど、インタビューは見たくないらしく買い物に行ってしまった。メディア取材の時はいつもそうなんです。

スイス渡航は父親が同伴してくれる予定だけど、葛藤しているのも伝わってきます。出発の日が近づくにつれて母も精神的にダメージを受けているようだし、渡航前に発作的にパスポートを焼き払われてしまったら…私は渡航できなくなります。

あと、世界的にコロナウィルスのデルタ株も大流行しています。この調子では、いつ渡航に制限がかかっても不思議ではありませんし。

――他にもメディアの取材申し込みもありますか?

くらんけ:はい。テレビで「渡航から安楽死まで密着取材」のお話とかムッチャきてます。家庭内も病院での通院の間もずーっとカメラを廻す…みたいな、お断りしましたけど。父も「ウチは見せ物じゃないんだ!」って怒っていたし。「講演会しないんですか?」とも聞かれるけど、講演会って「障がい者だけど病気に負けず前向きに過酷な治療もしながら一生懸命生きています!」みたいな話が期待されるじゃないですか、私そんなキャラじゃない(笑)。

――SNSでの発信が向いていたのかもしれませんね

くらんけ:でもTwitterのフォロワーには変な人もいて、いろいろ誹謗中傷されたり…「楽に死ねる」ってそんなに妬ましいことなのかしら。生活保護の逆で、使う税金の額は確実に減るわけだけど、既得権益の問題などで患者に死なれたら困る人たちがいますからね。むやみやたらな「延命労働」なんてその最たるものじゃないですか?

くらんけさんのスマホ

――世の中、「違うことをする人を叩かずにはいられない人」っていますからね。

くらんけ:そうそう、アンチのいない人は居ない。そういう人はスイス渡航が延期になると、それはそれで文句言ってきそう。「まだ死なないの」みたいに。2020年にコロナ禍で渡航延期になった時も「死ぬところがみたくてフォローしていたのに」とコメントもらったことあります。

――逆に「死なないで!」と引き留めてくる人は?

くらんけ:いないですね。普通の人は「おめでとう」「もっとお話ししたかった」「悲しいけどお祝いすべきなんでしょうね」みたいな反応です。

――インタビューをありがとうございました。無事の渡航を祈ってます。だめだったら、またSNSで発信してください。

くらんけ:はい。

2021年8月10日火曜日

痛くてペンが持てない、授業中に意識もうろう…16歳で発症した難病「全身性エリテマトーデス」 反対押し切り一人暮らし

配信

新・のぶさんのペイシェント・カフェ 鈴木信行

【今月のゲスト】永森志織(ながもり・しおり)さん

痛くてペンが持てない、授業中に意識もうろう…16歳で発症した難病「全身性エリテマトーデス」 反対押し切り一人暮らし

永森志織

痛くてペンが持てない、授業中に意識もうろう…16歳で発症した難病「全身性エリテマトーデス」 反対押し切り一人暮らし

オンラインで対談する永森志織さん(左)と筆者

体育の授業に出られず留年 特別支援学校に転校

痛くてペンが持てない、授業中に意識もうろう…16歳で発症した難病「全身性エリテマトーデス」 反対押し切り一人暮らし

特別支援学校高等部の教室で。ペンが持てない時にはパソコンを持ち込むこともあった(永森さん提供)

高校卒業後、一人暮らしに挑戦 しかし、就活は……

日本の「難病」資料を英訳して海外に情報発信

鈴木信行(すずき・のぶゆき)

痛くてペンが持てない、授業中に意識もうろう…16歳で発症した難病「全身性エリテマトーデス」 反対押し切り一人暮らし

鈴木信行(すずき・のぶゆき)

患者さんの命は誰のもの?|がん患者と緩和ケア医の安楽死をめぐる本音(1)

 

患者さんの命は誰のもの?|がん患者と緩和ケア医の安楽死をめぐる本音(1)

窓ガラス越しに映る西先生を撮影する幡野さん

本対談の写真は、ガラス反射を利用した幡野広志さんの撮影による。

 

写真家の幡野広志さん(35)は、2017年に多発性骨髄腫を発病。

余命3年という診断を受け、最期は安楽死で逝きたいと表明しています。

 

西智弘さん(38)は、腫瘍内科と緩和ケアが専門で、在宅診療も行う医師。

日本における安楽死の合法化に対しては慎重な立場です。

 

以前から親交があり、意見をぶつけ合ってきた2人。

「安楽死」についてさまざまな角度から本音で話してもらいました。

 

 

病院の中で「死」は禁句

幡野:早速ですけど、なんで医師は安楽死に反対するんですかね?

看護師は9割が賛成していて、一般の方も7割が賛成している状況にあって、僕が話を聞くかぎり、医師は安楽死に反対している人が多い印象です(※)。

なんでなんでしょう?

 

そもそも、医師同士って安楽死や死について日頃話してるんですか?

むしろ禁句になってません?

 

西:「病院において患者さんを死の方に誘導する発言をするのは、おかしいんじゃないか」そんなふうに考えている医師が大部分だと思います。

 

多くの医師にとって、安楽死や死は「見たくない」「見るべきではない」概念です。

「禁句」といっても、過言ではないかもしれない。

 

安楽死には主に「積極的安楽死」と「医師による自殺幇助」の2つがある。いずれも2018年の日本では違法。安楽死と混同されやすい尊厳死は「治療の差し控えと中止」や「消極的安楽死」とも呼ばれ、法的には明確に定められていない(2018年12月現在)。
<文献1~3)を基に看護roo!編集部作成>

 

 

医師は「まだできる治療があるのではないか」と考える

腕を組み、なにかを見つめる西先生の写真。

 

西:大多数の医師は、「一生懸命、患者の命を延ばすのが当たり前だろ」という感覚をもっていると思います。

「まだできる治療があるんじゃないか」と常に考えていますね。

 

たとえば、日本で合法的な手段である「鎮静」に対しても、強い反発を持っている医師が一定数います。

 

鎮静と安楽死の違いを説明する図。鎮静は、苦痛緩和のために患者の意識を低下させること。安楽死は患者の生命を終わらせることによる苦痛緩和。

鎮静は、苦痛緩和のために患者の意識を低下させること。安楽死は患者の生命を終わらせることによる苦痛緩和。

<文献2)~4)を基に看護roo!編集部作成>

 

眠らせるという選択肢は「医師にとっての敗北宣言」という考えが根強い。

 

 

患者不在の話し合い

幡野:鎮静をするかどうかを医療者だけで決めることが、まずおかしいですよね?

その人の治療に関することなのに、なぜ患者不在で話し合うんでしょう?

 

西:病状が悪化したときに初めて、鎮静について話し合われているからだと思います。

 

その状況で「苦しいからもう眠らせてほしい」と患者が訴えたとしても、「一時的な感情かもしれない」と言う医師がいたり、「眠らせてほしくない」と思う家族の感情が優先される場面があります。

 

幡野:がん患者になってみないと、理解ができないんでしょうね。

よく患者から「先生にはわからないよ」って言われないですか?

 

患者を疑似体験できるVR(バーチャル・リアリティ)とかできたらいいのに、と思っちゃう。

 

西:患者の気持ちを想像するよりも、医師は自分の信念を優先してしまうんでしょうね。

医師の多くは「自分の仕事は患者の命を延ばすことだ」というプロフェッショナリズムをもっているのではないでしょうか。

 

「患者の命を延ばすこと」よりも「患者の幸せとは何か」を優先的に考えている人は少数派だと思います。

 

僕個人としては、安楽死をしたい人の想いは否定したくありません。

 

ただ、安楽死の合法化は時期尚早だとも思う。

緩和ケアが十分に広まっているとはいえず、「生きる権利」がないがしろにされていたり、幡野さんが指摘しているように、医療者間ですら、安楽死や死についての議論が十分にはなされていませんから。

 

対談の行われた川崎市立井田病院7階「ほっとサロンいだ」に並んでいる書籍の写真。

対談が行われた場所は川崎市立井田病院7階「ほっとサロンいだ」。患者さんが好きなときに訪れて手に取れるよう、書籍が充実している。

 

 

「積極的安楽死」と「尊厳死」は同じもの?違うもの?

幡野:いまの日本でも、消極的安楽死(治療の差し控えと中止、尊厳死)は臨床で行われてますよね?医師は、消極的安楽死を受け入れるのに、どうして積極的安楽死に反対するんでしょう?

 

西:「命を縮めているわけではないから」じゃないですかね。

 

幡野:たとえば、その処置をしなければ翌日亡くなるかもしれないけど、処置を行えば2~3週間、延命できる可能性があるとき。

治療の差し控えと中止は、命を縮める行為にはならないんですか?

 

いま現在、医師が治療の差し控えと中止を行う場合、「消極的安楽死をしている」という認識はもっているんですかね?

 

対談内容を基に、治療の差し控えと中止したあとの、自然死と消極的安楽死の境界線を説明する図。

<対談内容を基に看護roo!編集部作成>

 

西:どうなのかな…。

「尊厳死」という言葉に置き換えると耳障りが良くなるのかもしれません。

「命を縮めている」という言い方をすれば、医師は「そんなことない」と否定するんだろうけど。

 

僕個人の考えですが、「一生懸命、命を延ばした結果」をこれまで山のように見てきたからだと思うんですよね。

 

僕が医師になった当時(12~13年前)、たくさんの管につながれたいわゆる“スパゲッティ症候群”の患者さんが珍しくありませんでした。

 

“スパゲッティ症候群”の患者さんの最期を、医師はたくさん見てきたんです。

その結果、「多大な苦痛を与えても病状が良くならないのであれば、そのまま生命を終わる選択肢」を受け入れてきたんだと思います。

 

 

「患者・看護師 vs. 家族・医師」の構図

ガラス反射を利用して西先生を撮影する幡野さんの写真。

 

幡野:これまでいろんな医師と話してきましたけど、医師って患者の気持ちよりも自分の信念で動いてるように思うんです。

 

看護師は、医師と違って患者さん側の気持ちに立っている人が多い気がする。

患者の心身の苦しさや悩みを総合的に看てくれる印象です。

 

治療を続けようとする医師への反発心もあるのかもしれないけど。

 

医師は「この痛みをとるための治療は…」とピンポイントの解決を考えてる。

 

家族に至っては、患者が頑張りたくてもそうでなくても、「頑張れ頑張れ」しか言わない。

 

僕は、「患者・看護師 vs. 家族・医師」の構図があると思ってて。おかしなことに、意思決定のときには家族・医師サイドのほうが強くなってしまうんですよね。

 

 

唯一「僕の話」を聞いてくれたのが看護師

幡野:僕が看護師に救われたなと思ったのは、緩和ケアの認定看護師さんと話したとき。

激しい痛みでものすごくつらくて、苦しみを訴えたときでした。

 

「医療者に相談する内容なのかな、これ」って僕自身が迷うくらい、いろんなことを話しました。

2歳の子どものことや、家族のこと、これからやりたいこと。

 

がんになってから、いろんな人に一方的に励まされてきたんです。

 

「頑張れ」「きっと治る」「奇跡は起きる」と。

みんな、自分が言いたいことを押し付けてくるだけだったんですけど。

その看護師さんは唯一、「僕の話」を聞いてくれたんです。

 

診断を受けてから、「残りの人生でこういうことをしよう」とか自分なりに考えてました。

 

でも、「そんなことしなくていいよ」「そんなことしないで」と、家族や友だちから否定され続けた。

 

否定しないで背中をうまく押してくれたのは、その看護師さんだけだった。

 

あの技術ってみんな習得した方がいいんじゃないかって思います。

 

その看護師さんの顔も名前も、一生忘れないでしょうね。

体調が一番つらかった時って、死にたかったんです。自殺しようと思ってました。

だから、命の恩人です。

 

窓際に佇むかんごるーちゃんの写真。

 

 

看護師のプロフェッショナリズム

幡野:それまでは看護師さんに深く関わったことがなくて、「医師の助手」くらいの認識でいました。

 

でも、実際は全然違う専門性をもっているんだとわかり、結構衝撃を受けたんですよ。

 

あの看護師さん何であんなにうまかったんだろうな。訓練の結果そうなってるのか。だとしたらすごい技術ですよね。

 

西:看護師は、医師とは全然違うプロフェッショナリズムをもっています。

 

僕も医者になりたての頃は、看護師は医師の助手という認識でした。

看護師ってどういう職業なのか、誰も教えてくれないんですよ。これだけチーム医療と言われているのに。

 

でも、今勤めている病院で武見綾子さんという看護師に出会って、「プロの看護師ってこういうことなんだ」とわかりました。

 

医師のスタンスとは全然違う。

患者さんの話を、とにかくよく聞いてます。生活という視点、生きるという視点から。

 

武見さんがいつも言うのは「患者さんの側に入り込む」です。

 

医師って、患者とのあいだに線を引いて客観視する職業です。

 

看護師は、そこを飛び越えて相手の方に入っていく。相手側に入り込むのが看護師で、患者さんの味方になりやすい。

 

幡野:看護師を味方にできたとしても、家族を味方にできてる患者って少ないような気がするんだよな。

 

ましてや、医師を味方にできる人なんてわずかで。

患者さんの本音は、医師には言えないし、医師も聞かないというのが現状ですよね。

これ、どうにかならないのかな?

 

(次回へ続きます)

※2018/12/28 公開です。

(※編集部注)

-看護roo!のアンケートでは9割以上の看護師が安楽死に賛成、という結果(2018/12/27時点)。

-朝日新聞社が2010年に行った世論調査(有効回答2322人、回収率77%)では、積極的安楽死を日本において法律で認めるようにするべきかという質問に約7割が賛成。

 


●幡野広志(はたの・ひろし)

1983年、東京生まれ。2010年に「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に息子が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。

公式ブログ、Twitter

 

●西智弘(にし・ともひろ)

川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科医。2005年北海道大学卒。家庭医療を中心に初期研修後、緩和ケア・腫瘍内科の専門研修を受ける。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも携わる。「暮らしの保健室」など、院外にも活動の場を広げている。

Twitter

 

編集/坂本綾子(看護roo!編集部)


https://www.kango-roo.com/work/6350/

2021年7月21日水曜日

なぜ異性介助が問題とならないのか河本のぞみ / 作業療法士

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気を、どのくらいの人が知っているだろうか。

 

難病中の難病と言われたりする。日本で約10000人(平成27年9430人)罹患しているが原因は不明だ。徐々に全身の筋肉が動かなくなり、それはやがて嚥下や呼吸をする筋にも及ぶ。

 

こう聞くと、恐ろしさでいたたまれなくなるが、多くの人は(私も含めて)自分は罹らないと思っている。だが、誰でも罹りうる病気だ。

 

 

当事者はどんなふうに暮らしているか
 

私は訪問看護ステーションで仕事をする作業療法士だ。訪問看護の利用者の疾患でALSはちっとも珍しくない。厳しい病気であることには違いないが、病態は様々で、10年以上呼吸苦もなく電動車いすで一人で外出して暮らせている人も居れば、半年くらいの間に立ち上がれなくなり嚥下ができなくなる人も居る。機能低下の最中にある人は日々その症状に直面するのだから、不安は大きい。もちろん家族も介護という仕事がどこまで大きくなるのか考えるだけでも気持ちは押しつぶされそうになるだろう。

 

私たちの仕事は、病状に対するケア‐リハビリテーション職であれば、コンディションを整えるための四肢胸郭のストレッチや運動、動作がしやすくなるための環境調整、つまりベッドの高さや家具の配置などから住宅改修、車いすや便器の仕様、様々な福祉用具の適合調整、そしてどんなことになっても暮らせるよ、ということを伝え、その方法を提案していくことだ。


 
 

実際、全く動けなくなっても自宅で暮らしている人たちが居る。食事は胃ろうから注入し、人工呼吸器を装着し、痰の吸引をし、重度訪問介護という制度で家族ではなくヘルパーの長時間の介護で暮らしを支える。その中で、仕事をしたり旅を楽しむ人も居る。最近では国会議員になった舩後靖彦氏が、知られた存在だろう。2018年に亡くなった物理学者のスティーブン・ホーキング氏は最も有名なALS者でもある。

 

有名な力ある人だから、特別な才能があるから、身体が動かなくなっても自宅で暮らせるということではない。だれでもそういう暮らしは可能だし、私たち(在宅ケア支援者)は普通の市民がALS者として普通に、家族と(家族介護によらず)、あるいは一人暮らししている例を少なからず知っている。とは言えそれは、自分の身に起こった経験としてではなく、支援者として限られた時間を共有している時に様子を垣間見るだけだ。また、そういう暮らしが落ち着くには、それなりの葛藤や修羅場や奮闘があることも事実だ。(あの頃は地獄だったという回想を聞いたことがある)。

 

当事者というのは、その立場を引き受けざるを得ない、一瞬たりとも替わりがない人のことだ。初めて直面することがらに一人きりで対峙する(家族も当事者家族として直面する)。はたで見て動きが悪くなってきたとわかるずっと以前に、当人は動きがおかしいと気づき、それを口に出さずにいる時間がある。その間、何と孤独だろう。そしてALSの診断がついて、その後もずっとできなくなるという経験が続く。

 

「まだ飲み込めます。今のところはね」「今のところは、なんとか座っていられます。」彼/彼女らは、そんな風に「今のところはね」と言う。軽く言っているように聞こえるが、「今のところ」は常に注意深く自身によりチェックされ、重い唾を飲み込んでいる。

 

リハビリテーションで進行を遅らせることはできない。様々な努力をされていて進行が遅い人はいるが、努力にかかわらずそういう病態なのであって、進行が速い人は努力が足りなかったわけでは決してない。(だからといってリハビリテーションの技術が無効というわけではない。呼吸に関するケア、そして機能低下に応じて有効で実際的な環境調整と介助方法の提案、特に低下の速度が速い場合は、その速さに間に合うように素早く環境を変えていかないといけない。これはかなり時間勝負となる)。

 

厳しい病気になると、なぜ自分が?と思い、何か悪いことをしただろうか?と問う。病気はなにかの罰ではないのに、そう思ったりする。また、知人がこの病気になったと知らされたら、なんと声をかけていいかわからなくなり距離を置こうと思ったり、当人に原因があるのではないかと思ったり、気の持ちようだなどとお角違いの慰めを言ったり、代替療法を勧めたりする。インターネットでいち早く多数の情報を得る人もいるし、それを伝えてくる人もいる。ありがたいこともあり、ありがた迷惑なこともまたあるだろう。


 
 

日常生活というものは、厳しい病気の最中でも普通に流れていく。患者として病院にいる間は、治療中という仮の状態で、生活を一時棚上げして病人仕様の環境で過ごす。だが、家では、今までの日常の続きにいる家族の中に、動けなくなっていく身体を持って参入していくから、大いに波風が立つ。いら立ち、怒り、困惑、無力感、繰り返されるなぜ?そして疲労、、、。傷つく。本人も、そして家族も同様に。

 

それでも生活というものは小さないつものことで成立している。飼い犬のいつもの仕草に「先にチコに餌やって」と家族に言うとか、シャンプーは前使ってたものの方がよかったとか、サキちゃんが欲しいランドセルの色は薄紫なんだって!とか、あのチェックのシャツ出してとか、マッサージ用イボイボ付き肩たたき、お父さん(ALS本人)がいいって言ったから自分用に買っちゃった(妻)とか、そんな些細な家族共通の話題と、ベッドから車いすに移乗するのが命懸けとか、むせが激しいから食事形態を変えるとか、胃ろうからの注入を1日3回にするとか、夜間の吸引が3時間続き寝不足とか、そういうハードコアなことが併存する。

 

もちろんハードコアの部分が、生存に関わる事柄で、当人にも家族にも1番重くのしかかる。だが、日常の些細なことが暮らしを支える大事な要素に違いなく、それは当人と家族、介護者との関係から生まれる小さな油のようなもので、暮らすということへのエネルギー供給に作用している(ように見える)。

 

支援に入る私たちは、どこまで行っても生活の断片を垣間見るのに過ぎない。他人の私との会話で見せる顔とは違う顔で、夜中に暗闇を見つめているに違いないと思う。うかがい知れない部分だ。

 

死にたい気持ちはよくわかる、と割と簡単に私たちは言う。

 

だが本当にそうだろうか?

 

当事者ではないということは、身体の自由を失うプロセスを経験しておらず、日々その不自由さに折り合いをつけるという手間を経験しておらず、その経験の中にある発見ということを知らず、いずれ呼吸苦が来たらどうするか考える、あるいは考えないようにするという重い課題が目の前になく、景色が違って見えることを知らず、微細になっていく身体の感覚を知らない。

 

身体の内部にじっと目を凝らす時間を持たず、身体の信号に耳を澄ます機会を持たず、この身体の条件で何ができるか延々と思いを巡らすことをせず。ただ単に、今ある自由さや仕事をしている自分を基軸に、もしこれができなかったらと一足飛びに寝たきりの自分を想像し、それはつらいわ、生きてる甲斐ないわ、と言ってしまう。

 

だが多分、当事者とは全然違う立ち位置にいるままで、そう言い放っている。

 

 

京都でおこった事件
 

一人暮らしをしていたALSの女性、林優里さん(当時51歳)が嘱託殺人で亡くなられていたことが、その容疑者が逮捕された報道で衝撃的に伝えられた(2020年7月23日、医師二人逮捕)。

 

殺人をしたのは安楽死を肯定する医師で、SNSで知り合い、面識はなく、当人の依頼により殺人のためだけに2019年11月30日夕方マンションを訪れた。ヘルパーは林さんに促されて退室し、約10分後に二人の訪問者は帰り、ヘルパーが室内をのぞくと林さんは意識を失っていた。彼らは初対面の林さんに、鎮静作用のある薬物を胃ろうから大量投与したとみられている。


 
 

二人の容疑者、大久保愉一、山本直樹両医師には、ヤマモトナオキ名義の口座に11月21日と23日、2回に分けて計130万円が振り込まれている。彼らは報酬を得、宮城と東京から京都にやってきて、目的を遂行して帰った。これは、「殺し屋」という職業のそれと違わない。

 

だが、この二人の医師が、殺人者として非難ごうごうというわけではない。それは、奇妙な景色だ。依頼人は、殺された当人。死にたい気持ちわかる、自分で死ねないなら、訴追覚悟で死なせてあげたのは勇気ある行為だ、と心の中で思った人は少なからずいる。元東京都知事で作家でもある石原慎太郎氏が、業病からの解放を手助けしたと言って医師を讃え、弁護したいとツイッターに書き、炎上し謝罪した。謝罪はしたが、考えは変わってないだろう。彼は今まで何回もマイノリティへの差別的発言をしている。

 

この事件の後、いろいろな声がALS当事者や介助者から出た。なぜ、生きる方向でなく死ぬ方向に行ってしまったのか。人工呼吸器をつけて在宅で暮らしてる人のことをもっと知ってほしい。安楽死(尊厳死)容認せよという声が出てこないか、そこが心配だ。本人は誰か心を許して話せる近しい人はいなかったのだろうか……。

 

林優里さんは高齢の父親(79歳)がいるが、家族への負担がかからないように、1人暮らしを選び、24時間の介護(重度訪問介護)を利用して暮らしていた。だが、当初24時間分のヘルパーが確保できなかったときは、ヘルパーのいない時間父がケアに入った。父は文字版でのコミュニケーションのやり取りや慣れない痰の吸引、車いすをおしての散歩も行った。(京都新聞2020年7月28日)

 

ALS患者はいずれ呼吸障害が出たときに、人工呼吸器をつけるかどうかを考えておくことを求められる。彼女は当初は人工呼吸器をつけると言っていたが、その後つけないという意思表明をしていた。人工呼吸器を使用するかしないかの意思表明は、生きるつもりかそうではないかを表明することと同義である。ここがALSの決まり事というか、最近はやりのACP(advanced care planning-終末期のケアの方法を、意識がはっきりしているうちにあらかじめ決めておく)の先駆けではある。

 

だが、当事者が「生き死に」のことを決めるという人生上の突出した大問題が、人工呼吸器という機械を挟むことで、あたかも問題は呼吸器をつけるつけないのことであるかのように姿を変える。ここで、生きるという選択は、ケア提供者にとっては人工呼吸器をつけた人のケアというスキルに変換する。

 

人工呼吸器をつけないと決めても、そのあといつでも変更可能(やっぱり生きることにした)であることは繰り返し告げられ、定期的にカンファレンスで確認される。ケア提供者にはお馴染みの光景だが、一歩引いてみると異様なことである。生きたいですか? 生きなくていいですか? という確認。

 

ここでは人工呼吸器は、延命という言葉と結びつけて使われている。そうではなく、身体を楽にして暮らすために、気管切開をしない非侵襲的陽圧換気療法(noninvasive positive pressure ventilation:NPPV)の人工呼吸器を早めに導入する、それにより生活の質が上がることがあることも厚生労働省の出した指針には出ている。だが、ほとんど検討されずに「延命」だけが異様にクローズアップされるのが、ALSと人工呼吸器の関係だ。(筋萎縮性側索硬化症の包括的呼吸ケア指針―呼吸理学療法と非侵襲的陽圧喚起療法(NPPV)平成20年)

 

林さんは人工呼吸器をつけないと決めていたが、定期的なカンファレンスで医師やケアマネジャーに呼吸器装着の有無を繰り返し尋ねられること、「生きるかどうかの選択を何度も迫られるつらさ」を、泣きながら父にぶつけていたという。

 

だが彼女は、殺人が起きた時点では命にかかわるような呼吸機能低下をきたしていたわけではなかった。父親は、「自力で呼吸ができる状態で、(死にたいと聞いていれば)当然、止めていた。後悔が残っています」と語っている。他に何と言えようか。娘が実は安楽死を望んでいたと後から知らされる親の気持ちは、誰とも分かち合えないだろう。

 

父は「娘が納得して選んだこと」と自分に言い聞かせるように語り、支えたヘルパーへの感謝の気持ちを語った一方で、容疑者に対しては「娘の生死をまるで商売みたいに扱って、犯人にくそったれと思う、悔しい、許せない。なんでこんな卑劣なやり方をするんや」と声を大きくしたという。(京都新聞2020年7月28日)

 

彼女が自力で呼吸している間は生きるつもりでいるという前提で支援していたケアチームも、当然ショックを受けた。当日、見知らぬ男が二人訪問し、林さんに席を外すように指示されて別室にいたその日のヘルパーは、訪問者が帰った後の彼女を見て、またそこで行われたことを知って、混乱に陥っただろう。作業療法士として何人かのALS者のケアチームのメンバーである私は、その場面を想像するたびに、どす黒いもので胸のあたりが重くなる。

 

彼女の主治医によれば、胃ろうからの栄養摂取の中止による安楽死を主治医に求めることがあったが、日本では法的に認められないことを伝え、30人からなるケアチームとともに話し合いを重ね、最適なケアのあり方を模索していた。ヘルパーが彼女に代わってペットの猫を飼い連れてきたり、スタッフがベッドサイドで合奏を試みたり、外出を計画したり、職種の枠を超えて彼女が生きる気持ちになれること、楽しめることを探していた。(京都新聞 2020年7月27日、30日)


 
 

だが、そんな風に暮らしながら、彼女は視線入力のパソコンを駆使し、SNSを通して命を終わらせる準備を着々と進めていった。その間、ケアスタッフと彼女はともに過ごす時間のなかで、全く違う景色を見ていたのだ。

 

彼女は自分の意思で死んだ。少々、変わった方法で。彼女は24時間のケアを受けていた。ケア体制は十分だった。だから彼女の死は全身が動かないという病気のつらさによるもので、死にたくなるのも理解できる。そう思われている。だが、本当はどうだったのだろうか。

 

2013年当初はケアに入っていたのは3事業所だった。それが2018年には17事業所に増え、1日に4から7事業所のヘルパーが入っていたという。数時間で交代するスタッフ、夜間は8時間継続で入るが、男性スタッフも入った。彼女はブログに「万年のヘルパー探しはかなりのストレス いつ穴が空くかわからない不安にいつもさいなまれている 人の手を借りないと指一本動かせない自分がみじめでたまらなくなる」(2018年6月)と投稿。同性ヘルパーの介助を望んでいたが、ままならず「男性にトイレ介助をしてもらうのがつらい」と支援者に話していたという(京都新聞2020年8月14日)。

 

 

当事者が身体を張って作ってきた制度をどうやって守るか・女たちの反応
 

重い障害がある人が、施設や病院から出て、家を借りて家族介護に頼らず暮らすという暮らし方は、1970年代に始まった自立生活運動という当事者たちの身体を張った実践により、時間をかけて制度を整え実現していった。自立生活センター(CIL—center for independent living)という当事者が運営する事業体(運動体でもある)が各地にあるが、ここが自立生活実現の牽引役になってきた。この当事者の運動により、重度訪問介護という長時間の介護サービスが制度化された(2006年の障害者自立支援法、2013年より障害者総合支援法という法律にのっとっている)。

 

CILは、自立生活のノウハウの情報提供や当事者の権利擁護、行政への働きかけなどの運動とヘルパー派遣事業などもやっており、介助は同性介助を原則としている。女性利用者には女性ヘルパー、男性利用者には男性ヘルパー。私は自立生活の取材をしてきて、男性には男性ヘルパーがトイレ介助も食事介助もしている場面を見てきたが、現実には男性が女性ヘルパーによる介助を受けることは多々ある。それを男性利用者が絶対に嫌といえば当然配慮されるだろうが、介護介助というのは女性が伝統的に担ってきた仕事なので、女性に介助を受けるのは男性にとって受け入れられないものではない(逆に女性ヘルパーを希望する男性は普通にいる)。

 

だが、女性にとっては男性ヘルパーによるトイレ介助や入浴介助は、とても受け入れられるものではない。重度訪問介護は家と言う密室の中で、1対1で行われる。無防備で全身動かない身体で居るところに、8時間男性ヘルパーと過ごすことは恐怖ではないだろうか。いくらそのヘルパーが研修を受けた良い人であっても。

 

いや、人柄とかそういう問題ではないのだ。密室での異性介助、特に男性が女性の身体介助をするとは人権にかかわることではないか。

 

京都新聞にこの介護体制の記事が出たのは2020年8月14日、そして、その記事が女性障害者ネットワークが管理するメーリングリスト(たんぽぽネット)(注)に載ったのは8月18日。投稿者は現役のヘルパーであり、研究者(障害学)の立場も持つ松波めぐみさんだ。京都在住の彼女は、全国紙には載ってないこととして記事を紹介し、こう書いている。

 

(注)たんぽぽネットはDPI女性障害者ネットワークが運営するメーリングリストで登録者数は230名、障害や難病の当事者をはじめ様々な人が性別を問わず登録し情報交換に利用している。投稿は非公開。本文での引用は投稿者の同意を得ている。DPI女性障害者ネットワークのサイトはhttps://dwnj.chobi.net/?page_id=8

 

「私はこれまで20年以上、兵庫・大阪・京都の自立生活センターで介助をしてきましたが、原則「同性介助」でした。この「同性介助」も性の多様性ということからすると、もっと丁寧に語るべき点はあるにしても、少なくとも女性が望まない相手からの介護を受けないでいいようにすべき、暴力防止、という切実な動機からできてきたものだと言えます。」

「できるだけ自分で情報収集して主体的に生きようとしていた(そして24時間介護体制を組んでいた)女性が、こんな苦痛を受けていたことに、大きなショックを受けています。どれほどつらかっただろう。本人が「知られたくないこと」でもあったかもしれないと思うと、いっそう心が痛みます」

 

この投稿をきっかけに、ALS当事者でパフォーマンスアーティストのイトー・ターリさんが、8月21日次の投稿をした。

 

「松波さんの投稿を読み、胸が締め付けられました。まさに、私の悩みがそこにあったからでした。私の居住している街には夜間の巡回介護をやっている事業所がなく、近隣の市にあっても男性の介助者だと聞かされているのです。林さんも嫌だったのですね。これからどんどん介助が必要になる私はヘルパーの不足が身に迫ってきて惨憺たる思いでいるのです。これから私の闘いが始まるのです。林さんが味わった情けなさを力にして、問題を明らかにして行きたいです。今はこれ以上書けませんが、林さんの死を無駄にしたくないという思いでいっぱいです。」


 
 

8月22日には、自立生活運動の先駆者として有名な安積遊歩さんが投稿し、70年代からの自立生活運動により重度訪問介護の制度まできたが、結局ヘルパー確保に至らない現実に対して、この殺人はシステム不備による異様なものと喝破している。

 

制度が出来上がるまでは、運動として当事者と介助者(支援者)が繰り出す暮らしというアクションは熱をもち磁場ができる。人が人を呼ぶということもある。だが、こういう活動は終生継続するにはしんどすぎるし、限られた人しかできない。制度ができたら、磁場を作れる特別な人ではなくても、運動をしなくても暮らせるはずだった。

 

だが、制度はできても資源がないままなのだ。ヘルパーが集まらない。私の住む街では、自立生活センターのヘルパー事業所は、当事者主体の理念があって安心だが、ヘルパー獲得が難しい。そして全国展開の会社組織の事業所は重度訪問介護しますと謳っているが、同性介助は保証しない。「夜間8時間体制組みますよ、男性でよければ」というわけだ。、

 

林さんが、もう生きなくていいと思ったのは「指一本動かせない自分が惨めだったから」だろうか。「17事業所から数時間交代で来るヘルパーに心を砕き、男性ヘルパーによるトイレ介助を受けねばならなかった」からではないだろうか。

 

最初3事業所のヘルパー体制でスタートした一人暮らしは、最終的に17事業所となった。これは異様な多さだ。だが、そうなるにはそれなりの事情があり、ケアプランを作るケアマネジャーや相談員の苦労も並大抵ではなかったろうと思う。介助という仕事は、本人のこうしてくれという指示で成立するが、身体にかかる行為は本人とヘルパーが息を合わせるという要素がある。息が合わない場合は、訪問するヘルパーは緊張し、受ける本人もストレスになる。それが高まるとヘルパーは辞める。即人手不足になる。スキルを身に着けるのは、個人差もあり時間がかかる場合もあるが、ケアプランは待ってくれない。

 

ALSという病気は、進行する。いずれ誰にでも来る死というものが、臓器ではなくて運動ニューロンによる筋力低下というところが、他の疾患と様相を異にする。死が近くにあるようでいて遠くでもあり、死との距離が測れない。人工呼吸器はつけないと決めたとしても、だからといって死がすぐ近くにいるわけでもない。

 

こんなことならもう死んでしまいたい、という気持ちと、いや、もう少し生き延びて何かを見届けようという気持ちは、行き来しているのではないか。ALS協会の元会長、橋本操さんは26年前から人工呼吸器を付け一人暮らしだが、彼女は健常者が思う死とはずれていると断ったうえで、「私の死は私の一部になっていて、死と共に生きているようなもの」という。(ALSマニュアル決定版、日本プランニングセンター2009年)

 

そういう生。

 

ささいなこと、春の風がほほを撫でた、という一瞬で生に引き寄せられるが、今日のヘルパーは男性と思うだけですべておじゃんになる。こんなことが続くなら、もう生きていなくていいと思う。ここだけは、私もリアルに想像できる。

 

 

介助体制の不均衡
 

林さんの事件で異性介助、男性による介助が苦痛であるということが、あまり問題となっていないのはなぜだろうか。NHKが「クローズアップ現代+」で特集「ALS嘱託殺人~当事者たちの声」(2020年10月14日放送)が組まれた時も異性介助は話題にならなかった。そこに横たわっているのは昔からある障害者への偏見の一つ、性をなきものと考える癖からぬけないのだろうか。

 

障害があっても市民として普通に暮らすという、当事者が作ってきた暮らし方が、踏みにじられた事件だった。そして、女性はさらに生きにくいのだと、実感した事件だった。

 

林優里さんが決めたことは、彼女の決断として、胸に収めるとしよう。だが、ヘルパー体制が同性介助だったら、その決断をするまで追い詰められなかったかもしれないという思いが、残念感と共に残る。

 

ここまで考えてくると、おかしな使命感をもって嘱託殺人を引き受けた二人の医師は、全く幼稚な頭脳の持ち主に見える。元都知事も同様に。

 

私は2012年から、重い障害があって一人暮らしをしている自立生活の当事者たち9人の取材をし、2020年3月に本にまとめた。キーワードは「それは可能だ」。私が仕事をする上でのスローガンでもある。林さんの事件のあと、このキーワードが女性にも使えるか思いめぐらせている。

 

現実に私が仕事でかかわる筋ジストロフィーの女性が、呼吸器をつけて自宅に帰る意思表示をしている。重度訪問介護の女性ヘルパーを見つけるのは難しいと相談員にくぎを刺されている。だが、私はこれから策をねる。スローガンを下すつもりはない。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –



河本のぞみ(かわもと・のぞみ)


 https://synodos.jp/welfare/23912

陳情書素案の文章をclaudeで整理してみました。

こちらのブログで紹介していた陳情書素案の文章をclaudeで整理してみました。 社会的弱者目線の包括的で徹底的な保護政策であることが読み取れると思います。 原文と合わせてご確認いただけると嬉しいです。 〈原文〉https://shinokenri.blogspot.com/202...