2020年1月10日金曜日

陳情書素案

90日以上の猶予期間を設けた公的安楽死制度実現への陳情

〈問題提起〉

医学的には解決のできない持続的な苦痛は存在します。
このような問題に対して、生命の維持だけを目的としない、本人の意思を尊重した延命治療の拒否、苦痛を取り除く緩和医療のようなQOLを優先した医療のあり方が一般的になってきました。
海外では、尊厳死や安楽死を認める法案が少しずつ拡がりを見せています。国際的にも人権の観点から安楽死を認める方向に進んでおりますが、各国の動きは極めて緩やかなものに見えます。

これまでは、医学的に解決できない持続的な苦痛の問題は、人権や生存権を守る社会を形成する上でのデメリット、副作用といった位置にありました。
しかし今日、世界の先進国では、未だにホームレス等の貧困問題は存在し、格差、少子高齢化、若者の生き辛さ、ひきこもりといった問題も先進国共通の問題として存在しているのが現状であると思います。

日本が高度医療の恩恵によって、世界に先駆けて超高齢化社会に突入したことは誰もが認める事実です。その一方で生命維持を最優先した、望まない延命治療の問題や解決策のない少子化問題、急激に格差社会に移行したことによる貧困問題、どれをとっても他の先進国以上に大きな問題を抱えていると言えるのではないでしょうか。

さらに日本は、年間2万人を超える自殺大国であり、その度に警察が出動し捜索活動、事件性の捜査活動が行われております。また、増加傾向にある孤独死、変死体の中には、一昔前であれば自殺に含まれているケースも含まれます。操作依頼が出されないなどで捜査対象に含まれない行方不明者、失踪者の数は統計上は把握しきれませんが、1万人程度いると言われています。
このような、自殺や変死による警察への負担や捜査依頼のない行方不明者の問題は大きな問題であり、制度によってある程度軽減できるものと考えています。

医学的に解決できない持続的な苦痛の問題。死にたいと望む者の自殺、他殺、自殺幇助を認めない社会のあり方は、当事者にとっては終わりの見えない地獄であり、それは死刑よりも遥かに残酷です。世界的に見ても、適切な方法で積極的安楽死を認めていくことは、人権や生存権、人としての尊厳を守ることに繋がる行為として支持される時代になっていると言えるでしょう。


・望まない延命治療は、国内でも大きな問題であった。現在は実質的な安楽死や尊厳死が認められており状況は大きく改善しているが、法整備の面では大きく遅れをとっており、患者の意思が尊重される保証がない。
・高齢者や癌患者等の普段から医師に接する機会の多い者以外は、医師との信頼関係を築くのは難しく、政府の進める人生会議のような制度は絵に描いた餅である。
・安楽死制度のない状態で終末期医療について考えることは、専門性の極めて高い話になるため困難である。
・安楽死制度のない状態での自殺対策は、特に対象が男性の場合において多くの場合は無意味である。
・自殺願望のあるものを保護する施設は必要である。
・保護施設は安楽死を希望するものだけではなく、安楽死を選ばなかった者、社会不適合者等、幅広い保護希望者の生活を保障できるものでなければならない。
・保護施設は、生活保護制度と並ぶもう一つのセーフティーネットとして機能する物になる。そのため、医療、自殺、行方不明者、貧困問題等、幅広い社会問題に対応するものとなる。

〈希望する制度の内容〉

私の考える具体的な制度内容を以下に示す。

安楽死希望者は希望理由の記入等の必要書類を揃え、申請手続きを行う。
執行は、申請後90日以上の猶予期間を設ける。
行政は、90日以内に申請の受理を行う。
90日間の内、最低30日間を行政管理下の保護施設で過ごすものとする。
希望であれば執行日までの全日を施設で保護することも可能。
行政は、執行までの間、安楽死回避の為の最大限の対応を行う。
日時と場所は、出来る限り希望に沿ったものとし、執行の直前まで撤回可能。
保護施設は、執行しなかった場合の、その後の生活も可能。
安楽死を希望しない者の保護も可能。
保護施設の実態、安楽死執行の実態は公表、周知を徹底するものとする。
周知の為、広報の全戸配布を徹底する。

以下、五つの基本方針により、全ての人が生きがいをもって生き生きと生活できる社会の構築を目指すものとする。

本人の意思を尊重した安楽死執行。
安楽死回避への最大限の努力。
公表の原則。
周知の徹底。
施設による幅広い保護。

〈制度のポイント〉

我が国における安楽死制度の一番の問題点は、自発的な選択ではない同調圧力による選択がなされることを恐れてのものでした。
保護施設の存在は、同調圧力からの開放だけではありません。孤立化、ひきこもり、孤独死等の現代社会特有の問題への対応や、年金目当ての延命措置の心配からの開放という側面もあります。
保護施設の実態は、積極的に公表、周知を徹底されるべきものです。性質の違いから既存の対策と平行して存続できるものであり、既存の生活保護制度の在り方等にも大きな影響を与えるものになります。

他国の安楽死制度は、非常に条件の厳しいものになっています。これは、医学的に解決のできない持続的な苦痛に対して限定的に対応するためのものであって、限定しても相当数の該当者が集まってしまうため条件を緩めることが難しくなっていると思われます。
当然ですが、条件をつけることは、実在する問題に限定的にしか対応しないことを意味し、好ましい対応とは言えません。また、条件をつけることで申告の内容が歪曲される懸念もあります。医学的に解決できない持続的な苦痛は第三者に判断できるものではありません。

我が国が優先して対応すべき問題は、貧困問題。現在は年金が社会保障問題の中心となっておりますが、国民年金受給者等、既に年金だけで生活出来ない層が増えています。
今後は生活保護が社会保障の中心になることは間違いありません。
しかし、現在の生活保護制度は、社会保障制度の中心になるような制度ではありません。現在の生活保護制度の補足率は2割程度と言われています。国民の多くが、極めて問題の多い制度であることを認識しています。

私の考える安楽死制度の対象は、意識がはっきりとした自力で書類手続きの可能な個人で、情報公開に同意できる者に限られます。
終末期医療や認知症、尊厳死のような判断の難しい問題とは無縁である。
意識や判断能力が失われた場合を考える終末期医療の問題に比べて、国民が自分の人生の最後と向き合う上で最もわかりやすくポピュラーであり、重要な制度です。
意識や判断能力が残っているにも関わらず、その主張が認められない。その事で自殺に追い詰められる者も出てくる。尊厳死等の問題に比べて極めて重要な制度です。
私が安楽死制度を重要視する理由は、安楽死制度がない事が、最悪の状況を生み出す可能性があるからです。別の言い方をすると、もし事故で最悪の状態になった場合、最後の望みになるのは安楽死制度に他ならないからです。
尊厳死法案等の制度に先駆けて施行されるべきだと考えます。


何か大きな事件が起きた時に、事件が大きく報道され、その時に初めて社会問題として注目を受けるような現代社会の在り方は問題があります。
社会問題と自己顕示欲の問題は非常に重要です。集団での暴動の起こりにくい現代社会において、情報公開性の高い社会保障制度の構築は意義があります。

プライバシーに配慮した保護制度とは別に、情報公開を前提とした制度は必要であり、それは、プライバシーに配慮した制度に比べて主要で大規模なものであることが好ましい。
困っている時は、誰かに助けを求めたくなる。困った人を見ると助けたくなる。これが、健全な社会のあり方である。
本当に困っている人を差別する。行政に支援を求める一方でプライバシーへの配慮を求めなければならない社会のあり方は健全ではない。
既存の社会保障制度に比べて情報公開性の高い社会保障制度の構築は非常に意義がある。これには、プライバシーに配慮した制度と平行して存在する必要があり、プライバシーに配慮した既存の制度に比べて主要なものであることが好ましい。

保護施設は安楽死の為の施設ではなく、健康で文化的な最低限度の生活を保障する為の、生活保護制度と平行して存在する、情報公開性の高い社会保障制度です。
先に保護施設を作り、その結果により、施設数の増加や安楽死の実施を決定していくのが現実的な施行方法ではないかと思います。

私の考える安楽死制度では、安楽死の執行よりも、まず保護することを優先したものになっています。そして、そのあり方を周知徹底することで問題の存在の認知度を高め、全ての人が生きがいを持って生き生きと生活できる社会の構築を目指します。

老衰や自然死を理想の死と考える方は少なくないと思います。しかし、医療の発達した現代社会においては少数派であり、その定義は医師の恣意的な判断に過ぎないと言えます。
たとえば平均寿命が80歳を超えた現代社会において50代で老衰と診断されることはまずありません。当然、80代で老衰の診断を受けた場合も老衰以外の診断を下すことは可能なはずであり、なんらかの延命措置も可能なはずなのです。
みずから希望して向かえる安楽死を好ましくない死に方と言えるでしょうか、老衰や自然死があると信じて、その時を待つ死に方を好ましいと言えるのでしょうか。

90日以上の猶予期間はありますが、その後は日時や場所を指定して、好きな人に見取られながら最後を迎えることが出来る。いざという時は、直前で撤回、もしくは延期を申し出ることも出来る。これが、私の提案する安楽死制度です。



未成年に対する対応

未成年の安楽死は、原則として認めるべきではないと考えています。ただし、保護施設での保護は積極的に行うべきであり、現在の児童福祉制度は明らかに不十分と考えています。
SNS上で安楽死に関する活動をした際、安楽死に興味を持つ者は毒親問題等、その生い立ちに問題のある者がほとんどでした。そして、安楽死以上の拡がりを見せているのが反出生主義です。
反出生主義を私なりに説明すると、生まれたことに感謝できない、生きることに喜びを感じることが出来ない、これから生まれてくる子供達も同じような思いをするだろうから子供を作るべきではないとする考え方です。その為、私は子供を作らないであったり、現代人は子供を作るべきでないと主張します。このような問題は貧困問題とはイコールではなく、ひきこもり、格差問題、暴動が起こらない問題と共に世界的な問題となっています。

私は、反出生主義ではありませんが、毒親問題には当てはまると思います。
色盲や発達生涯に例えるとイメージしやすいと思いますが、同じ時代、同じ社会で同じ物を見ていても、その見え方は一人一人異なることを理解して欲しいです。
もっと身近で開放された保護施設があれば、どれほど救われたことかと思います。

現代社会が、生まれたことに感謝できない、生きることに喜びを感じることが出来ないといった問題に向き合えているとは思えません。
凶悪犯罪者が、その生い立ちに問題のある場合も多いと思います。
すぐに死刑の話が出てくる日本社会のあり方は問題があります。
どれだけ刑罰を重くしても、それは受身でしかありません。なぜ、犯罪抑止力として意味がないことを理解できないのでしょうか。
国際人権上、非常に問題のある死刑制度ですが、私はそれ以上に人を自殺に追い詰める社会、安楽死を認めない社会の方が極めて残酷で、大きな問題であると考えています。

私が安楽死制度実現のために熱心に活動しているのは、医療費削減の為でもなければ、命の重みを軽く考えているからでもありません。
安楽死制度に反対する人と比較して、命の重さを大切に考えていますし、本人の意思、尊厳、人権、QOLのようなものに対しても大切に考えています。
現在の医療制度は、多額の保険料を利用して患者の自由を奪い、人としての尊厳、人権を踏みにじる残酷な制度であると思います。
そして、そのような状況を容認する残酷な人達を量産しています。
私を含めたいかなる人も、明日、事故等でどのような身体になるかわかりません。その時に、意思表示能力がはっきりあるにも関わらず生きているしかない状況はあまりにも残酷です。

90日以上の猶予期間を設けた公的安楽死制度実現へ、行動を起こしていた頂くようお願い申し上げます。



以上の内容になりますが、最初の陳情には短く解りやすい内容の方が良いと思うので、印象に残るフレーズを選び、分かりやすく整理したいと考えている。

2019年12月4日水曜日

希望者安楽死

自殺防止の観点、全ての人が生きがいをもって生き生きと生活できる社会を目指すために安楽死制度が不可欠と考える。また、死の権利を明確に定めることにより、生存権の定義をより明確に示すことを目標とする。

私の考える具体的な制度内容を以下に示す。

安楽死希望者は希望理由の記入等の必要書類を揃え、申請手続きを行う。
執行は、原則申請後90日以上の猶予期間を設ける。
行政は、90日以内に申請の受理、安楽死回避の為の最大限の対応を行う。
日時と場所は、出来る限り希望に沿ったものとし、執行の直前まで撤回可能。
90日間の内、最低30日間を行政管理下の療養施設で過ごすものとする。
希望であれば執行日までの全日を療養施設で保護することも可能。
執行しなかった場合の、その後の生活も可能。
安楽死を希望しない者の保護も可能。
療養施設の実態、安楽死執行の実態は原則公表、周知するものとする。
周知の為、広報の全戸配布を徹底する。

以下、五つの基本方針により、全ての人が生きがいをもって生き生きと生活できる社会の構築を目指すものとする。

本人の意思を尊重した安楽死執行。
安楽死回避への最大限の努力。
公表の原則。
周知の徹底。
療養施設による幅広い保護。

2019年11月24日日曜日

安楽死反対の理由が明らかになりました。

https://ironna.jp/article/8622
の記事について、


 安楽死が「殺」であることは間違いないが、それがすなわち「安・楽」とは異質なものとはならない。
 安楽死のためにスイスに行く事例は増えている。
https://www.swissinfo.ch/jpn/society/命の尊厳_台湾の有名司会者がスイスで安楽死-その後台湾で起こった大きな運動とは-/44993418
日本人女性がスイスで安楽死したドキュメンタリーは、京都の障害者団体によってBPOに訴えられた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191001-00000195-kyodonews-cul
番組が良質であったことから大きな話題となり障害者団体は批判にさらされた。
安楽死制度を強行に反対する、製薬業界、医師会、障害者団体の体質は世界的な問題である。

多くの人がスイスでの安楽死のあり方に感銘を受け光を見出している。多くの人が痛みと苦しみに耐えながら光を求めている。その実態を隠し、強硬に反対しているのが製薬業界、医師会、障害者団体である。彼らを犬飼状態にし、そこから利益を得ている。利用しようとしている。
 モルヒネ漬けにされるのが嫌で自殺を選んだ人がいる。彼らは、そのような事例が多数あることを知っているはずだ。彼らは、自殺は自分達の責任ではないと考えている。尊厳死・安楽死を許してはいけないと政治的に圧力をかけている。ゲスの極みです。
 彼らは、明日は我が身という気持ちにならないのだろうか?自分が同じ立場になった場合はどのようにするのであろうか?その答えが、以下の文章のなかにある。
比較対象は、自殺、延命治療を施し、痛がり苦しみ続ける状況に寄り添い続ける行為になると思います。そのような実態を当たり前のようにとらえる医師に命を預けることになるのです。家族にとって複雑な気持ちだと思います。
 持続的深い鎮静は、事実上の安楽死です。80年代に、患者や家族に選択肢を与えずに、あらゆる手を尽くして平均寿命を延ばすかのような医療が蔓延しました。そのような医療の在り方は問題視され社会問題となりました。患者の選択肢は少しづつ拡大し、当時の状況に比べ、現在の医療は非常に良くなったと思います。しかし、まだまだ多くの悲劇が存在することは否定できないと思います。

痛がり苦しみ続ける患者の希望を否定し、痛みを取ることは可能であると主張する。痛みさえ取ることが出来れば問題がないとでも言うのでしょうか?
 先ほど、明日は我が身、自分が同じ立場になった時のことを考えないのだろうかと疑問を投げかけました。おそらく彼らには医療知識があり、事実上の安楽死である持続的深い鎮静を選択するのではないでしょうか?
 安楽死を否定する気持ちは、死というものと真剣に向き合えば向き合うほど、同じ人間として理解できるものではありません。
 私は、母の終末期に付き合ったので、少し話が長くなりそうです。
 私の母は、亡くなる半年前には自力歩行が困難になり、その時点で回復を見込めない状態になりました。それでも母は、最期まで病気を治そうという強い意志を持ち続けていました。
 ある日、妹が見舞いに来ました。やせ細り点滴に繋がれた姿を見て、「かわいそうに、いつまでもこんな姿で生きていたくないだろうね。」と言いました。私も同じ思いでした。ところが妹が病室を出ると両手を振って悔しがりました。思いがけず、まだ元気になりたいという思いは消えていなかったことに気付かされました。
 父親と二人で仮眠をとりながら母に付き添いました。痛みを取り除けるというのは嘘だと思います。母に異変があるたびナースコールを押し、モルヒネの量を調整して貰いました。母は常に痛みと戦い続けていたと思います。異変があったのは、あまりの痛みに耐え切れなかった時のみだと思います。
 普通の人が見れば死にたくなって当然だろうと思うような状況でも、母は生きる意思を示しました。だからこそ私は、最後まで対応してくれた医師にも感謝し、最後まで見守ることが出来て良かったと思うことも出来ました。
 母の医療費は月額100万円を超えていました。しかし、実際の負担は8万円程度で、年間の医療費控除もあるので負担額はそれほど大きなものではありませんでした。このような医療制度の在り方も、非常に有難いものであると感じています。

 しかし振り返って考えると、やはり母は明らかに回復の見込みのない状態であったように思います。回復の見込みのない患者に、元気な状態に戻れるかのような希望を持たせることは、人間として正しいことなのでしょうか?回復の見込みのない患者に判断を下すのは、本人でもなく家族でもなく、専門家である医師の努めではないでしょうか?
 母は、もう一度元気になれると信じて最後まで死の淵で戦い続けたのです。そのような患者を見守り続ける家族の気持ちを考えないのでしょうか?
 回復の見込みのない家族の看病を続けるものは多くいると思います。そのような現状を当たり前のこととして受け入れることが正しいことなのか疑問に感じます。

 話を戻します。現状で医療者には十分なスキルがないようです。十分なスキルが身についたとして解決する問題なのでしょうか?
 どうして高額なモルヒネを湯水のように使う提案を平然と行えるのでしょうか?人間としての良識を疑います。

追記:父方の祖母は父の収入を超える額(30万円相当)の年金を貰っていたと思います。もしも母が高齢で高額年金受給者だとしたら、母が死ぬことを許さないだけで、父は働くこともせず、家族で余裕をもって生活していくことが出来ます。このような事例が社会に蔓延しているのが現代社会ではないでしょうか。
これはもう安楽死制度の説明。多くの人が病院で最期を迎える現状に対して、多くの人は自宅で最期を迎えることを望んでいる。現在広がりつつある持続的深い鎮静は、事実上の安楽死であり、自宅で最期を迎えることができる素晴らしい制度。

 壮絶な落ちであると思います。一度きりの人生、安楽死でも持続的深い鎮静でも本当に安楽に死ぬことはできず、医師にとって限りなく都合のいい制度THPケアシステムこそが安楽に死ねるただ一つの方法だそうです。ご丁寧に最後は自著の宣伝までされています。
 命を扱う医師の立場です。ここまで極端な主張ができる医師は、ほんの一握りだと思います。その証拠に80年代以降、患者の選択肢は増え医療の在り方は大きく変わりました。持続的深い鎮痛の適用も広がっていると思います。日本は良い国になりました。
 それでも、もっとも現場に近い立場で尊厳死や安楽死の法制化に反対し続ける業界団体の罪は大きいと思います。
 いくら良心的な医師が多くて実態として改善されていたとしても、業界の在り方が変わらなければ根本的な解決にならないのではないでしょうか?だからこそ、このように極端な主張が出来る医師が重宝される構造になると思います。同じ医師の立場であれば、表立って批判することは難しいと思います。
 本当は全部知ってるんじゃないですか?血も涙もないと思います。

 医療と安楽死制度の問題は世界共通の問題だと思います。
 命の問題と真剣に向き合うのであれば、安楽死制度は必ず実現しなければならない制度だと思います。

2019年9月20日金曜日

【急募】安楽死制度への協力者の募集


・安楽死制度の重要性について、SNS等を使って情報拡散をしていただける方。
・文書作成していただける方。
・ロビー活動をしていただける方。
・サイト、ロゴ等のデザインをしていただける方。

安楽死制度は、国民の7~8割の方が賛成と言われている制度であり、問題のない手法で周知活動を続けることで、必ず実現出来る制度と考えています。
今回の活動は、先の参院選での安楽会さんの出馬がきっかけとなっていますが、選挙戦での安楽会さんの主張は、問題が多数あったと認識している。
当会は選挙選にこだわることなく、速やかに制度を実現させるべく行動するものとする。

今後、ユーチューブやツイッターを使って積極的に発信予定。

2019年8月25日日曜日

安楽会の活動を支持する

当会は安楽会の活動を応援します。
http://honshitsu.org/

先の参議院選挙で安楽会が出馬したことで、安楽死という制度が大きな注目を集めることになりました。

このブログを含め、様々な活動を模索しながら挫折を繰り返しておりました。
安楽会さんが、今後も活動を継続するということですので、安楽死制度への関心を高めるには今が重要な時期であると判断しました。

私自身は、これから本業の繁忙期に入りますが、空き時間を利用して、精一杯情報発信に努めようと考えています。

2019年8月22日木曜日

死の権利の法制化イメージ

ポイントとなるキーワードは、「行政手続き」です。

私の祖母の例でもあてはまりますが、死の権利のない状態では、周りに迷惑をかけないように、誰にも相談せず単独での自死を選ぶ以外にありません。
ですので統計上は約2万人と出ていたとしても、実際の数や自殺理由は不透明なままというのが現状です。

もしも私の考える死の権利が法制化されれば、多くの人は自殺ではなく安楽死を選択することになると思います。
そうなると、そこには行政手続きが介入する事になります。

スイスの制度では、2人以上の医師の判断が重要なポイントとなっているようですが、私は本人の判断と判断能力こそが重要であり、医学的な立場からのアドバイス、安楽死以外の方法を最大限に模索できる体制作りが必要だと考えています。

また、カウンセラー等をとおして生活環境、労働環境、精神面、社会体制などの様々な視点から問題解決を図り、それでも安楽死が必要と本人が判断した場合に初めて書類での手続きに進む必要があると考えています。

安楽死が決まった場合は、残された人へのメッセージを残すことが出来ます。日時と場所を指定することが出来ます。
それは、ご家庭で家族に看取られながら最期を迎えることが出来るイメージのものです。 ご家庭で家族に看取られながら最期を迎えることが出来る制度は、ひろく支持を得ることが出来ると考えています。

私は、安楽死をされた方のメッセージは、公文書として大切に扱われるべきと考えています。しかし、それによって死者のメッセージが社会的影響力を持ちすぎた場合は、その扱いに対して賛否が起こるかもしれません。メッセージを残すために、あえて死を選ぶ人が出てくるかもしれないからです。私は、死者のメッセージが大切に扱われるようになると共に、生きているひとりひとりの意見が、より大切に扱われる社会になるべきだと考えています。

死の権利のない現行制度の中では、本気で自殺を考えている人は誰にも相談することが出来ません。死の権利があるから相談することが出来るのです。

私は、死の権利の法制化によって、多くの自殺者の命を救えると考えています。
人々を自殺に追い詰める原因を明らかに出来ると考えていますし、行方不明者の数も減らせると思います。延命治療による悲劇などからも人々を救うことも出来ます。

死の権利は、命を大切にする制度です。一人一人の意思を尊重する制度です。その為の行政手続きが必要な制度です。
一人一人の命と向き合うことができるから、一人一人の命を大切にすることができます。

祖母の自殺

私の母方の祖母は、背骨の骨折が原因でなくなりました。
仕事中の仲間のミスによって骨折したのです。
すぐに病院に運ばれ、骨折は完治したのですが、痛みが残りました。
他の病院でも診てもらったのですが異常は見つからず、仕事に戻ることも出来ない状態になりました。
そして、痛みに堪えながらの生活が続いたある日、用水路の中から発見されました。
事故からは一年以上の月日が経っていました。

非常に働き者として有名だった祖母は、早くに夫を心筋梗塞で亡くした後、女手一つで二人の娘を育てました。
私の母の姉は、高卒で地元で一番の地銀に就職しました。片親の子は採用されないと言われていた当時としては異例です。
それは、祖母の評判が良かった為と言われています。

私の母が幼い時、祖母は畑仕事中に誤って指を切断してしまい、切り落とした指を持って帰って来たことがあったそうです。 祖母は裁縫道具を用意し、幼い母の隣で針と糸で指を縫いつけ、指が動くことを確認し、また畑仕事に戻って行ったそうです。
私の祖母は、けっして少しのことで痛い痛いと騒ぐような人ではないのです。
そして、なかなか病院に行こうとしないことでも有名でした。

働き者として有名だった祖母が、なぜ生きているうちに地獄のような苦しみをあじわう必要があるのか疑問に感じます。
自殺をする人は、誰にも相談できません。手助けをした人は自殺幇助の罪に問われ、相談に乗った人には不要な罪悪感を与えてしまうかもしれないからです。

祖母は、なぜ地獄のような日々を過ごす必要があったのでしょうか。それは、私達が法律に縛られた存在だからだと思います。

幼い時に、悪いことをしたら地獄に落ちると言われ、火炙りにされたり、針山の上で血だらけになっている人々の絵を見せられました。地獄に落ちると死ぬことも出来ず苦しみ続けることになると教えられました。
祖母があじわった痛みは、まさに地獄の苦しみそのものだったと思います。祖母は、何か悪いことをしたのでしょうか。
一緒に住んでいた伯母夫婦の気持ちも想像できるものではありません。

私達も、明日事故によってどのような体になるかわかりません。この問題は、明日自分もどうなるかわからないような問題です。 私は、この問題の重要性を率直に話して行けば、必ず実現できると考えています。

陳情書素案の文章をclaudeで整理してみました。

こちらのブログで紹介していた陳情書素案の文章をclaudeで整理してみました。 社会的弱者目線の包括的で徹底的な保護政策であることが読み取れると思います。 原文と合わせてご確認いただけると嬉しいです。 〈原文〉https://shinokenri.blogspot.com/202...