2020年8月10日月曜日

8月9日に思う。戦争、虐殺よりも残酷な行為。

 前回の記事がどのように解釈されたのか心配である。

この時期になると、人と人が殺し合う理不尽さと向き合うことになる。
戦争という不幸に思いをはせ、命とは何か、生きるとは何か、現代社会と向き合うことで、様々な思いが溢れてくる。

安楽死制度は、もっとも残酷で重要な問題として、他の政治問題とは切り離して考えたいと思っている。

労働問題、原発問題、社会保障制度、少子化問題、食品安全、外交、戦争、テロ、虐殺事件、どれも非常に重要な政治問題である。しかし、それでも安楽死制度は、もっとも残酷で重要な問題であり、他の政治問題とは切り離して考えたいと言っているのである。わかって欲しい。

人権、生存権は、重要な概念である。その重要な人権、生存権がなぜ曖昧で抽象的な概念のままなのかを考えて欲しい。死の権利が確立されていないからである。

なぜ、生きる権利は存在しないのか。なぜ、生きる権利ではなく、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利となったのか。健康で文化的な最低限度の生活と死の権利の間をどのように定義するのか、そろそろ死の権利の重要性に気付くべきだ。

死の権利がなければ何も始まらない。人権も生存権も曖昧で抽象的なままでは虚しい。
安楽死制度の成立。できるだけ良い形でスタートする事が大切だと考えてきた。人権や生存権の前進に繋げたいと考えてきた。

ALS女性嘱託殺人事件が、その考え方を変えた。少しでも苦しむ人を救うために、早く変えたい、少しでも変えたい、そう思った。

一例として、近年ALS患者が人工呼吸器をつける選択を迫られた場合、3割がつけ、7割が死を選ぶそうです。一度つけると取り外すことができない。それが怖くて死を選ぶそうです。
今回の事件は胃ろうをつけた事を後悔した話でした。ネット上には胃ろうをつけた事を後悔し共感する患者自身の書き込みが複数見られました。

医師は当然、つけることを勧めるだろうし、患者に生きる希望を与えるべきです。私はそのような医師のあり方は正しいと思います。
しかし、それを拒絶する患者の立場は辛いと思います。支えてくれた医療スタッフを裏切るような気持ちになると思います。死にたい訳ではない、つけた後の生活が怖い、死ねなくなるのが怖いから、医師や家族の気持ちを裏切り、死を選ぶのだと思います。

なぜ死の権利が認められないのでしょうか。死の権利があれば、当然、人工呼吸器や胃ろうを選択する患者は増えるだろうし、もっと納得の出来る最期を迎えることが出来るはずです。
なぜ自然死の体裁にこだわるのでしょうか。薬による安楽死、呼吸器の取り外しによる死、選択された死は望ましくないものなのでしょうか。

私は将来、選択できる死を選びたい。納得できる最期を選びたいと考えています。
それは、家族に対してもそうあって欲しいと思います。最後まで支えたい。本人の意思を受け入れたい。最期まで見届けたい。安らかな最期を迎えて欲しいと願うからです。
何人もの家族、親族の死を受け入れてきました。医療の発達した現代社会において自然死の体裁にこだわり続けることは、多くの場合において不自然だと感じています。

話を戻します。胃ろうや人工呼吸器の取り外しに関わる分野は、尊厳死の分野に入ると思います。以前の私であれば、私の考えるような安楽死制度の成立を目指すことで、多くの不幸をなくすことが出来る。まず、そこを目指すことが大切と考えていました。しかし今は、尊厳死の分野だけでも変えたい。少しでも早く変えたい。少しでも不幸をなくしたいと考えています。

呼吸器を選択しなかった人、なぜ医師や家族の勧めを拒否し、呼吸機能の低下を待って死ななければならないのでしょうか。この事だけでも不自然で理不尽です。
もっと理不尽なのは、医師や家族の勧めに従って胃ろうをつけて後悔した方です。後悔しても誰も助けてくれません。意思表示能力が無くなれば、誰も本人の気持ちに気付くことができず、家族や医療スタッフは本人が喜んでくれているに違いないと感じながら何年にもわたる介護生活を続けることになるのです。こんなに理不尽で残酷な話はないと思います。
今回の事件は、目の機能が衰え、まもなく意思表示能力を失いそうな中での事件でした。

私は、障害当事者であり知性を感じる彼女に、ツイッターで質問をしていました。事件後にそのツイートにいいねが押されたことをきっかけに当時の記憶が蘇りました。辛かったです。

話は変わりますが、今回の事件では、障害当事者の書き込みが多く見られました。今までは、あまり無かったことです。亡くなられた女性同様に視点入力装置等によってインターネットを出来る環境が整ってきたからだと感じています。私の知る限り、皆さん匿名で書き込みをされているようでした。


私が安楽死制度を、もっとも残酷で重要な問題と考え、他の政治問題とは切り離して考えたいと感じている理由。原爆や戦争よりも、大量虐殺事件よりも残酷だと感じる理由は少しでも理解していただけたでしょうか。
まだまだ話足りないことはたくさんありますが、今回はこの辺りで失礼します。

0 件のコメント:

コメントを投稿

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15

分母を増やすのは無駄にならない~安楽死制度を議論するための手引き15 西智弘(Tomohiro Nishi) 2024年4月15日 20:38 論点:安楽死の議論は本当に「進んでいない」のか ▼前回記事 「安楽死制度の議論は、日本では全然盛り上がっていかない」という声を、時々耳に...