飲食を絶ち、自ら死期を早める患者たち
安楽死の代わりの方法なのか?
(この話に登場する人物にモデルはいますが、仮名を使うなどご本人とわからないように詳細は変えて書いています)
医師は誰しも過去に苦々しい経験をしています。もちろん私にも、どうしても忘れられない出来事があります。
それは、外科医のように上手くいかなかった手術や、内科医のように病気を見過ごしてしまった出来事ではありません。以前働いていたホスピスで、患者の死に加担してしまったのかもしれないという疑念を、今もずっと振り払えないでいるのです。
ホスピスでは毎日のように末期のがん患者が亡くなっていきます。医師である私は、患者が苦痛なく最期の日が迎えられるように、できる限りの治療をしてきました。
「緩和ケアは死を早めたり、引き延ばしたりしない」ように治療、ケアにあたるのが、ホスピスで働く上で大切なことでした。無理な延命治療で、患者の苦痛を長引かせてはなりません。また反対に、患者に請われたとしても、患者の死を早めるような治療してはなりません。
私も一人で患者と向き合えば、判断を誤ることもあるでしょう。しかし、私の働いていたホスピスでは、私の他にも医師(上司)がおり、多くの看護師も患者のケアに当たっていました。病室の中で、私と患者が決めたことであっても、必ず他の医師と看護師に周知し、治療とケアを絶えず見直していました。
しかし、もう10年も前に出会ったタカシさんの治療は、当時の私の知識や経験ではどうしたら良いのか分からない迷宮に入り込んでしまいました。
タカシさんは、肺がんのためホスピスに入院しました。既に子供さんも独立し70才を超えたタカシさんは、奥さんと2人で暮らしていました。穏やかな口調で話す方でしたが、自分の考えをきちんと持っている方でした。
ホスピスに入院してからも、きちんと座って話もでき、食事も自分で食べていらっしゃいました。奥さんが毎日病室に来て、自分の作ったおかずを差し入れていました。
幸いタカシさんの痛みは、薬で十分に抑えることができました。自分で、肺がんであること、既に治る見込みがないことをご存じでした。そして、今後病状は悪くなり、近い将来亡くなることも予感されていたのです。
それでも、ホスピスに入院してからは、
「家に居るときは、今後どうなっていくのか不安でたまりませんでした。ここに来てからは、いつも見守ってもらえているような気持ちになれてほっとしています」と話し、奥さんも、「私一人、どうやって家で看たら良いのか、ずっと不安でした。ここで機嫌良く過ごしているので安心しています」と話していました。
「死なせてほしい」と頼まれて
私は毎日タカシさんと部屋で話しました。以前の仕事のこと、家族のこと。タカシさんは、一人新聞を読んでいるときもありましたが、私が部屋に入ると人懐っこい笑顔を浮かべ、自分自身の感じてきたこと、考えていることを率直に話す方でした。
「先生、もう行く末がないことも分かっているんだよ。いっそ先生の力で楽にしてくれないかな、死なせてくれないかな」とある時いつも通りの穏やかな口調で言われました。
ホスピスで患者からこのように、「死なせてほしい」と頼まれることは、よくあることでした。医師である私を信頼すればこそ、出てくる患者の本音だといつも感じていました。
患者から「先生の手で死なせてほしい」と言われると、ホスピスで働く以前は大いに戸惑い、「そんなことは、この日本では違法だ」とか、「そんなことは、私にはできない」と患者の話を終わらせ、そして拒絶していました。
ホスピスで医師を続けるに従い、患者は自分を信頼してこそ本音を吐露するのだと理解し、患者の死に向かう恐怖や苦痛をただ受け止めるようにしてきました。「患者から死なせてほしい」と言われない医師は、患者から心から信頼されていないのではないかとさえ思っています。
タカシさんには、「そうですか、死にたいと考えるほど気持ちは追い込まれているのですか」と静かに返しました。その時は、タカシさんから医師として信頼されているという実感だけを得て話を終えました。
いつものように、患者は真剣に死を望んでいるわけではない、自分への信頼の証に本心を吐露してくれたと思っていたのです。
自らの意思で飲み食いをやめる
しかし、次の日のタカシさんとの会話で私は医師として自分がどうしたらよいのか、分からなくなってしまいました。経験したことのない衝撃でした。タカシさんはこう言ったのです。
「先生が死なせてくれないのなら、薬で眠り続けるように治療してほしい。飲み食いを止めて薬で眠っていれば、早く死ねると思うのです」
私は、返す言葉を失いました。多くの患者の臨終を見守ってきましたが、これほど当惑したことはありませんでした。
タカシさんはまだ自分で飲み食いができる状態でした。しかし、病状が進み1〜2ヶ月程度で亡くなるであろうと予想されました。今は飲み食いすることができても、もうしばらくでそれもできなくなることは、私もそしてタカシさんも分かっていました。
横でタカシさんの言うことを聞いていた奥さんも、さすがにびっくりし、「そんなことは、先生にも迷惑がかかるから止めて」と言いました。
タカシさんが本当に飲み食いを止めてしまえば、口の渇き、空腹感でとてもつらい思いをするでしょう。そして、そのつらさのためきっと飲み食いを再び始めるだろうと私には思えました。無謀な試みに、自ら懲りるはずと内心思っていました。
しかし、頑固なタカシさんは、本当に自分で飲み食いを止めてしまいました。私は、「こんなつらいことやめよう」と言いましたが、タカシさんは聞き入れません。
そして「先生、頼むから前に言ったようにもう薬で寝かしてくれないかな」と請われたのです。「この先、生きていてもつらいのだから、先生の力で楽にしてほしい」と真剣な面持ちで言うのです。
緩和ケアのひとつ、薬で眠らせること
自分の目の前で起こっていることが私には理解できなくなりました。無理矢理に飲み食いをさせることもできず、本人の意思に反して点滴を始めることもできませんでした。もし始めたとしても自分で点滴を抜いてしまうでしょう。私や看護師、奥さんの説得はタカシさんの心に届きませんでした。
また、タカシさんは本気で死のうとし、そして信頼する私に医師としての協力と助けを求めていました。「生を助ける」ことで、終末期のがん患者に向き合っていた私です。「死を助ける」ことを、これほど切実に求められたことはなかったのです。
私は、医師や看護師とも何度も話し合い、「死にたくなるほど、精神的につらい思いをしているのであれば、もうケアや治療は尽くした。本人が望むように、つらい思いを緩和するためにも薬で眠らせてあげよう」と決めたのです。
普段はうとうとし、呼びかけると返事ができる程度の状態になるよう、睡眠薬を微調節し1週間くらいでタカシさんは亡くなっていきました。
タカシさんは、一切の治療を拒否し、自分の力で自分の余命を短くし、死の時をコントロールできたのです。私は医師としてどうするべきだったのか、それからもずっと悩み続けました。
残念ながら、10年前の私は知識がなく、タカシさんがしたこと、私がしたことの意味を知ることができませんでした。実はタカシさんのように、自分で飲み食いを止めて死期を早める方法は、安楽死や医師による自殺幇助の代わりの方法として、以前から、外国では知られた方法でした。
英語ではVSED(voluntary stopping eating and drinking; 自発的な飲食の停止)と言われています。
VSED(自発的な飲食の停止)と世界の安楽死の実情
自分で飲み食いを止めるVSEDは、安楽死や医師による自殺幇助が合法ではない国や地域であっても、患者自身で死を早める方法として、知られています。
オランダのように安楽死が受けられる国に暮らしていても、安楽死が受けられる条件を満たしていない人は、どれだけ希望していても望みが叶うことはありません。
国によって異なりますが、安楽死できる条件は、「耐えがたい苦痛があること」「余命が6ヶ月未満と医師が判断していること」といった基準により厳しく管理されています。
また、日本のような安楽死が違法である国の人達が、安楽死が実行できる国へ行っても、すぐに安楽死が受けられるわけではありません。安楽死が拒絶されることも度々で、審査待機中に病状が悪化して亡くなってしまうこともあります(関連記事)。
ある調査を紹介します。本人が望んでいたにも関わらず、医師(かかりつけ医)から条件を満たしていないと拒絶された人達のために、安楽死を請け負う特別なクリニックがオランダにはあります。そこを受診した25%の人たちが、実際に安楽死を遂げました。
しかし、46%はやはり安楽死の条件を満たしていないと判断され、19%は安楽死の基準を満たしているか審査している間に亡くなっていきました。
安楽死や、医師による自殺幇助は医師の助けを必要とします。安楽死が一番行われているオランダでも、例え患者が安楽死を望んでも、実際に遂げられるのは、その一部なのです。
そこで、VSEDという方法を患者自身が実行する方法が考え出されました。とても単純な方法です。自分で飲み食いを止めてしまえば、医師の助けや、安楽死の厳しい基準を満たさなくても、自らで死期を早めることができるのです。
アメリカのCompassion & Choicesという支援団体では、VSEDを実行する人達のガイドブックが存在し、オランダ(王立医師会)やアメリカ(看護協会)では、VSEDを実行する患者の治療やケアの方法が紹介されています。
飲み食いできる状態なのに、自分から飲み物も食事も絶つのですから、よほど意志が強くても相当な苦痛を味わうことになります。VSEDに伴う苦痛(だるさ、口の渇き、空腹感)に対しても、緩和ケアとして睡眠薬の投与を行い、患者の意志が果たされるように援助すべきという医師の主張もあります。
当時タカシさんが実行したのは、まさにVSEDであり、私はVSEDに伴う苦しみに対して、緩和ケアとして睡眠薬を投与したと気がついたのが数年前でした。タカシさんの治療とケアを通じて自分の中に生まれた、複雑な葛藤はやっと名前を与えられ、その行為の意味と仕組みを知ることとなりました。
日本で初の調査 VSEDを試みた患者はどのくらいいるのか?
そこで、2016年に緩和ケアや在宅医療の専門医に対し、私と同じようにVSEDを試みた患者の経験があるかどうか、調査をしました。
私は当初VSEDの患者を経験した医師はほとんど居ないだろうと予想していました。しかし、調査の結果、32%もの医師が実際にVSEDの患者を経験していることが分かりました。
この数字は、安楽死や医師による自殺幇助が認められている国とそれほど変わりません。患者一人一人がVSEDをやり遂げ自ら死期を早めたかどうかは分かりません。しかし、稀なことではないということが分かりました。
2017年、ついにカナダ全土でも、安楽死と医師または看護師(ナースプラクティショナー、診療行為ができる診療看護師)による自殺幇助が認められました。
世界中で「死にたい、死なせてほしい」人たちに対しての望みを叶えようという動きが拡がっています。
安楽死や自殺幇助、VSEDを封じ込めず、患者と向き合うこと
私は、かねてより緩和ケアが適切に行われれば、安楽死を望む人たちの苦痛は軽減できると主張しています。
しかし、現実では、安楽死が違法である日本の医療現場でも、私が経験したVSEDのように、安楽死に近いともいえる方法が実行できてしまうのです。
10年前の私は、タカシさんの耐えがたい苦痛を緩和したのでしょうか。それとも死期を早めるいわば緩やかな安楽死、自殺を手伝ったのでしょうか。今でもずっと考えています。
日本の医師は、特に終末期医療に関わる医師であっても、安楽死の問題は、特別な海外の話と思っているように感じます。しかし、昨今の週刊誌や報道では、当たり前のように安楽死という言葉を見聞きします。
海外では、患者の意思、意向が、患者自身の受ける治療を決める上で最優先であるという考えが主流です。日本の医療現場では、患者と家族、それぞれの意向を尊重し治療しています。
しかし、今後は海外のように、より患者の意向が優先される考え方に傾いていくと、私は予想しています。患者の意向を明らかにし、最も優先される、「自己決定、自己責任」の考え方の先には、患者自身が自分の生死を決めてもよいという考え方に達するのです。
日本もその道を毎年少しずつ進んでいます。日本に安楽死が上陸するのもそれほど遠い将来ではないと私は考えています。
日本の医療者が今おこなうべきことは、安楽死や医師による自殺幇助、さらにはVSEDのような話題を封じ込めてしまうのではなく、世界で起きている動きをもっと知ることだと思います。
そして、「将来、病の苦痛から、安楽死を含めて、確実に苦痛から解放されたい」と真剣に願う多くの人たちと真摯に向き合うことなのです。
【新城拓也(しんじょう・たくや)】 しんじょう医院院長
1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。
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