2023年7月9日日曜日

幡野広志さんに聞く~安楽死制度を議論するための手引き09(後編)

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幡野広志さんに聞く~安楽死制度を議論するための手引き09(後編)

2023年7月6日 22:12

論点:安楽死制度を日本で作っていくことは可能か?

 前回まで、「安楽死制度を日本で作っていくことは無理だと思いますよ。それは安楽死制度が完全に政治的イデオロギーになってしまったからです」と解説してくれた、写真家で多発性骨髄腫というがんの治療を続けている幡野広志さん。

 今回は、「そもそも日本において、安楽死の議論は可能なのか」というところから話がスタートします。

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西:そもそも安楽死の「議論」ってスタートしていくと思います?

幡野:ははは、そもそも僕は議論に意味ないと思っているので。

西:『安楽死を遂げた日本人(小学館)』などの著書がある宮下洋一さんは、ある番組の中で「オランダやベルギーでは、安楽死制度を求める市民運動・・・ムーブメントが起きていった結果として、制度化を認めようという流れになった。そういう歴史があるからこそ、現在の姿がある。一方で日本は、そういうのが全く無いにも関わらず、いきなり制度を作っていくなんて無理」とおっしゃっていましたね。

幡野:いや、でもそれは欧米人の価値観と日本人の価値観が全然違うじゃないですか。欧米人の価値観になんで日本人が合わせなきゃいけないんですか。

日本人の価値観は「人に迷惑をかけたくない。人に排泄の世話をされるなら死にたい」って思う人がいますよね。

欧米の歴史をなぞるような運動が起きるはずはなく。声すら上げないまま黙って自殺していくような国ですから。だから海外のように日本がなっていくのは無理だと思うし、必要もないと思います。

西:そうですね。日本においては他の社会課題を見ていても運動、ムーブメントまで発展することはほとんどないですよね。

幡野:僕がもう一つ思うことは、こうやって番組や取材とかで安楽死制度を否定して、それは健常者の皆さんにとってはハッピーエンドかもしれないけど、僕ら病人にとっては苦しさが無くなるわけじゃないんですよね。

それなのに、安楽死を否定した代わりに何があるのか?ってことは誰も提案しませんからね。反対してもいいんですけど、その先に何も示せないなら、それは患者を絶望に追いやっているだけじゃないかと思います。

西:確かに、絶望だけを与えて、希望が無い。

幡野:ただ、スイスとか他の国で安楽死をするのは僕は反対です。自分もスイスの安楽死団体に登録した手前、あまり強くは言えないですけど、実際にそういうことを希望する前に、よく考えた方がいいんじゃないかなって思っています。

西:おっ、そうなんですか。それはなぜ、そういう考えになったんですか?

幡野:それは、西先生が先ほど言った、「安楽死をしたいです」「はい、どうぞ」がまかり通ってしまう世界だと思うから。それに、単純にスイスが遠すぎる。

登録した人の何パーセントがスイスで死を迎えているんでしょうかね?僕も、登録はしたけど「海外で安楽死すること」に魅力があるわけじゃないです。

登録したのは自動車保険に入った感覚なんですよね。安心感はある。だけど自動車事故を起こしたくはない。

それでも、患者さん全員がその保険を使える状態であった方が良いとは思うんですけど。

西:幡野さんは以前から「安楽死という切り札のカードを持っておきたい。それがあるから安心して生きられる」といったことをおっしゃっていましたし、海外でも同じことをおっしゃっている方が何人もいますね。

幡野:今回、「骨に転移しているかもしれない」って言われて1か月検査したって言ったじゃないですか。

その時に、もう一度真剣に考えてみたんですよね。それで「やっぱりスイスには行かないな」って思いました。

子どもがもっと小さかったり、独身だったら行っていたかもしれないけど、もう子どもも小学生になって・・・小学生だからできないって理由はうまく言葉にはできないんですけど、いまの状況ならスイスで安楽死をするのはベストではないなって思っているんです。

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西:僕は、幡野さんのおっしゃる「海外で安楽死することの魅力は無い」っていうのがよく分からないのですけど、じゃあもし日本で安楽死ができるとしたら、それは「魅力ある選択肢」になるのですか?

幡野:少なくとも、海外でするよりは魅力があると思います。それが、何でなのかっていうのは・・・う~ん。

西:じゃあ、ちょっと質問を変えますが、幡野さんの中で魅力のある・・・というか理想的な安楽死制度の形というのはあるんですか?

幡野:それは、自分で望んだタイミングで苦しまずに死ねるってことですね。それはやっぱり、鎮静では、それを実行する医者のボーダーラインがまちまちだから難しいですよね。逆に、鎮静も、自分でタイミングとかを選ぶのが自由になるんであれば、それは全然日本でも良いんじゃないかと思っています。

西:う~ん。でもそれは「海外で安楽死する魅力の無さ」の答えとはつながらないですかね。

幡野:こう考えてみたらどうでしょう。安楽死を望む人たちって、多くは似たような意見じゃないかと思うんですけど「苦しんで死にたくない」なんですよ。ただ、その「苦しむ」っていうのに人それぞれあって、「人に迷惑かけたくない」とか「家族に苦しんでいる姿を見せたくない」とか。僕にとっての「苦しくない」は、「家族に苦しんでいる姿を見せたくない」のと「家族・親族にコントロールされて死を迎えたくない」ってこと。逆に言えば、そこさえクリアできるのなら、そもそも自分にとって安楽死は必要ないのかもしれません。

西:なるほど。

幡野:実際、安楽死を実行することで遺された家族が受けるダメージもあるわけじゃないですか。

よく「人の命は、その人だけのものじゃない」という価値観の人がいます。

自分のいのちを「株」みたいに例えると、人生ってその株券を渡した相手と会社を作っていくみたいなものです。

僕が病気になったときって子どもはまだ1歳半だったんですけどもう7歳です。年齢が上がったことで単純に、子どもの持ち株が増えていると思うんですよ。妻の持ち株は変わらないけど。

そうなってくると必然的に、子どもの意見も尊重しないとならないとは思っています。

それでやっぱり子どもは、反対すると思うんですよね・・・。これから生きていく人たちが生きやすいようにしていった方が良いなと考えたとき、家族の今後の人生を守ることも大切にしないとなとは思います。

子どもには意見を言う権利があるし、僕は子どもの意見を聞くべきだと思います。僕のいのちの株の大株主ですから。

そう考えていくと、やはりスイスでの安楽死は難しいなと思うんですよね。だけど、僕みたいな状況のがん患者っていうのは少数派ではあるので、僕にとって必要ないってなっても、大多数の他の人も同じとは限らないですよね。だから、日本にあった方が安心だとは思いますよ。

西:なるほど。遺される家族の人生を考えたときに、スイスで安楽死するのが現実的と思えないということですね。

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幡野:あと言いたいことは、今現在は緩和ケアに対する不信感もありますね。緩和ケアに対する信頼感が上がれば、安楽死を望む方は少なくなるんじゃないかとも思うんですよね。

さっきの僕みたいに、諸条件がクリアされれば、安楽死は必要なくなる人っていると思うんですよ。

だから、20年後にもっと緩和ケアが充実して、鎮静を取り巻く状況も改善したら「安楽死制度必要なかったよね」ってなる未来も、ひとつの理想だとは思っています。

西:そうですね。さすがに20年も経って緩和ケアも今の状況と変わっていないとは思いませんけど、20年後と言わず今現在もがんに伴う苦痛に苛まれている患者さんはたくさんいるわけで、1日でも早く緩和ケアの充実をはかっていかないとなりませんね。

幡野:そうですね。

西:では、天ぷらも食べ終わったことですし、お終いにしましょうか。今日はお忙しいところお時間をいただきありがとうございました。

幡野:いえいえ、こちらこそ。美味しかったです。

(了)


https://note.com/tnishi1/n/n0efe755f3b66

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